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永田雅乙|繁盛する外食、負ける外食ー飲食店の事例から見る成功する「あり方」【文末に動画あり】

この距離感での講演は10年ぶりくらいとおっしゃる永田雅乙さん。「話すことも決めてないので、みなさんが『聞きたい』ことを話します」と始まりました。CONCEPT BASE Shibuyaの『事業を知る、社会を知るビジネス夜会』、今回が3回目です。(聞き手・小山龍介 文/写真・片岡峰子 グラフィックレコーディング・豊田陽)

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おじいちゃんのように小学校を出たら働く!

映画会社を創設した家に生まれ、ひいおじいさんとひいおばあさんに育てられた永田さん。優しかったひいおじいさん(永田雅一氏)は偉大な方で、お葬式にはお坊さん60人体制で読経、テレビの生中継もされ、ときの総理大臣が参列。9歳の永田さんは「おじいちゃんはいったい何者なんだ? 小学校しか出てないのにすごすぎる!」とびっくりすると同時に「大好きだったおじいちゃんのように小学校を出たらすぐ働く。そしておばあちゃんを守る!」という強い思いを抱くことになる。

慶應義塾幼稚舎からストレートに上がっていき、小学校を卒業した永田さんはさっそく仕事を探し始めた。街に「スタッフ募集」の貼り紙を見つけると「働かせてください」とお願いしては断られ続け、あるとき、老舗イタリアンレストランに出会う。中学2年のときだった。

働きたいという中2に「いいぞ」と快諾してくれたシェフ。あとから思うと、「どうせすぐやめるだろ」という思惑もあったのだろう。周囲のマイナスの期待に反して、永田さんはそこで毎日働き続ける。お給料日になると、シェフが自分の財布から2万円を出して手渡してくれた。

今や永田さんは、外食産業専門のコンサルタントのなかでも、最も老舗の部類に入る。起業してから27年。ずっとトップを走り続けてきた。

もともとは、ただただ、仕事ができればよかった。小学校出たら働こう。そうしたらおばあちゃんを守れる。その一心だったという。

16歳の天才サービスマン

ところで、料理人の世界とは理不尽な世界。怒鳴られ、殴られる毎日。永田少年も、当時はやんちゃだったので、怒られた日は、一日中シェフを睨んでた、という。そんな負けん気の強い永田少年。15歳で大きな挫折を味わうことになる。ある日、シェフの不在中、一年上の先輩に頭をはたかれたことに我慢ならず、相手をボコボコにした。戻ってきたシェフに「ルールを守れないやつは店においておけない」と、とあるお店に修業に出されることになる。

新しい修業先では、料理の下ごしらえはおろか、厨房にも入らせてもらえない。いやいやトイレ掃除と接客をする毎日。お客様に「ありがとうございます」すらうまく言えなかった。

そんなある日、とある老夫婦が来店した。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんに育てられた永田少年は、なんとなくその老夫婦に親近感を抱いた。お料理を運ぶと、おばあさんが「おいしいわ」とにっこり笑ってくれた。自然に「ありがとうございます!」と口から出ていた。いま、自然にお礼が言えた……。自分が、がんばってやったことを人から認めてもらえることの喜びを知った。

それから一年。永田少年は「16歳の天才サービスマン」としてメディアに取り上げられることになる。自分の預かり知らぬところでものごとが動き始めた。

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「大」の扉をノックする

そんなとき出会ったのが、とあるコンサルタントの大御所。「君は天才だから起業しなさい」といわれた。まだ17歳。先生は、起業に年令は関係ないという。それでできたのが株式会社ブグラーマネジメント。常連のお客様がみんなで持ち寄って、資本金1000万円を出してくれた。折しも外食産業が、フードビジネスと呼ばれ、ビジネスっぽくなって来た頃だ。

ノッてる時は無知でもいける。当時のレストランベスト10のうち、5〜6つが永田さんの仕事。マスコミが名付けてくれた「フードビジネスプロデューサー」を自らも名乗り、「自分を天才だと思ってた。いま思えば天狗になっていた」と当時を思い起こす。

そんなとき出会った、外資の有名コンサルタント。会っていきなり質問された。「将来どんなコンサルタントになりたいの?」考えたこともなかったが、何か言わねば、と「マクドナルドのような大企業に呼んでもらえるコンサルタント」と答えた。いまある仕事をひとつひとつ誠意を持ってこなしていけば、それは果たせると思っていたが、それを即座に全否定された。「失礼な爺だ!」と怒って席をたったが、そのあとも彼に言われた「3つの扉」の話が頭から離れなかった。

「扉が3つ、大中小とあるとしたら、君は小の扉しか開けていない。それではマクドナルドはコンサルできない」ムカつく! すぐさま、マクドナルドに電話して、社長に会いたいと秘書に伝えた。なんと、その一本の電話で藤田田社長までつながり、アポが取れた。「大」の扉は、ノックをしたら開いたのだ。

だれとも戦わない

いろんな引き合いが来る。永田さんは決めていることがある。「ぼくじゃないとならない仕事しか受けない」だれとも戦わないのだ。どうしても永田さんに、と言われる、外国のスーパースターや政治家の2時間の会食の接客で100万〜200万円稼ぐ。いわく「ただ、いらっしゃいませしてるだけ。でも僕じゃないといけないんだって」

赤字経営のお店の相談を受けたとき、いけるとわかる瞬間があるという。「100席のレストラン。毎日ランチで30人のお客さんが来る」という状態だったとき、伸びない経営者は、70席の空席を語る。イケる人はいま来ている30人のお客様の話をする。願えば叶う、思考は実現する、という引き寄せの法則があるが、どちらにフォーカスしているかがとても重要だという。空席に嘆くか、いまのお客様に感謝をするか。不安があっても、感謝の気持ちをもって、いまいるお客様が快適においしく食事を召し上がってるかどうかに集中してたら、あとの70席はあっという間に埋まるのだそうだ。

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今あるものに感謝できるか

年収300万を1000万にしたいと願うひとは多い。いまの300万円で豊かに暮らせていることに感謝できるかどうか、いまあるものに目を向けることが明るい未来をつくるという。

いつのまにか飲食業以外にも携わるようになった。債務超過で潰れそうな家具メーカーを引き受けたときのこと。もとの社長は、家具工場にいるときはキラキラしていた。家具が輝く話しかしない。経営者に向いていないだけで、このひとはいけると思った。その会社を1円で買って、借金2億を引き取った。まず赤字仕事をすべて断り、売上は1/3に減った。みんなが心配するなか「でも暇になるからいったん落ち着こう。大丈夫。その代わり、ワクワクを忘れないで楽しんでほしい」と言い続けた。

家具にはリサイクルのMarketがある。カッシーナなどの高級家具も骨組みだけになると1000円程度で買える。永田さんが買い取った家具会社にはそれを新品のカッシーナにできる技術があった。永田さんは、10人くらい座れるバカでかいソファを1000円で買った。それに5万円くらいのクロコダイルの赤い合皮を使ってソファをリメイクしたところ……、ディスプレイに使いたいから欲しいというひとが現れ、なんと100万円で売れた!

ご機嫌で楽しく笑顔で暮らしたい。だから好きじゃないと思ったひとと仕事はしない。わくわくできるか、今あるものに目を向けられているかが何より重要。

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潜在意識にまかせて3秒で決断する

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