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常連のおじい


ある日、誰も来ないはずのカフェ午前中の営業中におじいがひとり、ふらっと入ってきた。

白髪の、細面の薄いサングラスのおじい。

おじいはコーヒーを一杯頼み

「あんた家はどこなん」

実家だしプライバシーもアレだしと思いながらもぼんやりとした方向だけ伝えた。

お互いモゾモゾとした感じで、おじいは会話もそこそこに帰っていった。

おじいは何を気に入ったのか、次の日もやって来た。

わたしのことは根掘り葉掘り聞くくせに、自分の素性は明かそうとしない。

話ぶりからはどうやらお店を経営しているようないないような。

おじいは今日も30分程度で帰って行った。

翌週もおなじくらいの時間におじいはふらりとあらわれて。
手に茶封筒を持っていた。
こっそり覗き見ると店の数軒となりの老舗の居酒屋の名前がプリントされていた。

翌日からは、老舗居酒屋の店舗前の空きスペースに車がとまっているかどうか、朝に看板を出す時に確認するようになった。

車がない日はおじいは来ない。

「長っ尻と、金払いが悪いのは嫌われるから」

と、おじいは余程のことがない限りは30分以内に撤退する。
週に3日ほど通ってくれるので、なんだか悪くて「午前中はコーヒー50円引きます」
というと、ずいぶん嬉しそうにしてくれた。

それ以外のときに50円おまけしようとすると、頑なに断られた。

おじいはぽつぽつと、これまでどんな仕事をしてきたのかなどを話してくれた。
大阪で飲食店を経営していたこと。
かなり羽振りのいい時期があったこと。

83歳のおじいの人生はなかなか波瀾万丈だ。

事故で手に障害が残ってからは、趣味の射撃も少しかじっていたギターも調理の仕事もできなくなった。
ゴルフだけは細々と続けているが、最近はそれも玄関で埃をかぶってカビ始めている。

定期的に禁煙をするが、一ヶ月も経たないうちにタバコを咥えながら店に入ってくるようになる。

何か強いトラウマがあってどうしてもおにぎりを食べることができないらしい。
おじいのくせに。

おじいはカフェにやってくる居合わせたお客さんと話をするタイミングがあると必ず
「あんた家はどこなん」
と聞く。
これは運転が好きなおじいなりに、「◯◯やったら近くにあれがあるね、、」という感じで一番の共通の話題として聴くのだろう。
でもお若いお嬢さんに聞くのはやめなさい。
こわいから。

半年ほど前のある日、おじいがガラガラ声でやってきた。
熱はないが咳と声枯れがひどいらしい。
コロナの検査は陰性。
明日病院に行く、といって数日後

「とうとうやばいかもしらん。」

おじいはここ2ヶ月で10キロ体重が減っていて
そして病院の検査では肺に影がある。と言われた。

ついその同時期に、おじいと同年代の上岡龍太郎が亡くなっていた。
それにもおじいは肩を落としていた。

おじいの鼻から鼻水が垂れていたのでティッシュを一枚取って渡した。

「これでもう最後かもしらんな!」
と言っておじいは550円を机に置いた。
時計をみると12時10分だったけど、50円を返した。
おじいは「ほうけ」といって50円を財布に戻した。

「そんなん言わんと」
くらいのことしか言えなかった。
見送ってからちょっと泣いた。

3日に一度は来ていたおじいは、1週間ほどあらわれなくなった。
車も無い。

1週間後、おじいはひょっこり現れて
「なんや原因はよう分からんらしい!」

といってまたほぼ毎日来るようになった。

オイ、私けっこう落ち込んだんやぞ。


夏の真っ最中の頃、おじいは50年続けた店を閉めることを決めた。
おじいの店はサラリーマンの大きな宴会で生計をたてていたので、案の定コロナは大打撃だったらしい。
コロナの最中の無利子の貸付の返済も始まり、また10月からはインボイスも始まる。
ちょうどいいタイミングで後継の店をやってくれるところと話がついたので、ここで閉めることにしたらしい。

10月からはゆっくりできるね、と言うと
暇でしゃーない、何かせんとなぁ、と言う。
なんかやりたいことないの?

もう全部やった。
やりたいことは、ぜんぶやった

お店の閉店後もおじいは後片付けに数日は店に通い、コーヒーも飲みにきてくれた。
3日ほど続けて来て、3日とも
「ほなこれで最後やな!世話んなったな!」
と言って出て行って、ほんとに来なくなった。

お店引き渡しの前日、わたしがカフェを閉めて駅までむかっていると、おじいは店の前に軽トラをとめて
お店のシンボルのように飾ってあったデカい木彫りの馬を運び出していた。

「これからこいつを売りに行く」

骨董好きのおじいが、どんなに「売ってくれ」と言われても手放さなかった一本彫の馬。
これは家に置いておく、と言ってたけど手放すんやね。

オジィはニヤニヤしながら木彫りの馬の股間を指して
「ご利益あるからさわっとけ」
と言う。

おじいはすぐにそういうことを言う。

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