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他者と暮らす

色々あって、他人と暮らしています。

この場合の「他人」とは「他者」
自分以外の人、を意味します。

わたしはこれまで「家族」と「自分」とだけしか暮らしたことが無かったので、未知の生活だったのですが。
いま一緒に暮らす人はいわゆる「婚約者」にあたるひとで、何事もなければこれからも一緒に暮らしてゆく予定の人です。

「のろけかい」
と言われそうな気もするが、彼との生活が発見の連続なので、忘れたくないことを書いておこう。
既に忘れてはじめている。

先日実家で柿がたくさんとれたので貰ってきて夕食後にむいていたところ。
彼はその姿をしばらく見て
「そういうのは、教わるの?」
と聞いてきた。

彼が柿やりんごを剥けるのかは知らないが(そもそも何らかの器具を使って皮を剥く果物を買っているところを見たことがない)
少なくとも彼は誰かに教わった事が無いのだろう。
私の記憶の中で初めて柿をむいたのはお正月の祖父母の家。
「柿は皮が厚いから練習には丁度いい」という事で初めて包丁をもって果物の皮を剥いたのを覚えている。
私の母は左利きを幼い頃に矯正された人なので、包丁は左手で使う。
なので事あるごとに
「わたしは左利きやから教えられん」と言っていた。
その時ばかりは右手に持ち替え、頭を捻りながら教えてくれた。

男兄弟の彼とは正反対にわたしは三姉妹の末っ子で、姉2人がやっていることはなんでも真似したかったし羨ましかった。
きっと姉たちがりんごや柿の皮剥きを教えてもらっていたのを見ていて幼い頃は「まだ危ないから」とやらせてもらえなかったんだろう。
満を持して包丁を持たせてもらい、柿の持ち方、包丁の持ち方を教えてもらい時間をかけて剥いた。
こたつの上に敷いた新聞紙、そこにぽとぽとと落ちる千切れた柿の皮。
力強く握りしめて暖かくなった柿を、家族で食べたのだろうか。

彼の問いかけでそんなことを思い出していた。
「そうね、女の子はこういうことを小さい頃に教えられることが多いだろうね。」と、掻い摘んで答えた。


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