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異種格闘技 鷲田めるろ 2020.1.10-2.1 だれもあのこをとめられない @eitoeiko

五箇公一と安田早苗の二人展である。
五箇はアーティストではない。ダニの研究者である。普段は目にすることのない小さなダニとその生態をコンピュータグラフィックで拡大して描いている。展覧会のオープニングでダニに関するトークが行われたが、交尾のこと、寄生のことなど、それぞれのダニに関する膨大なエピソードがあって、五箇の思い入れの強さが感じられた。
一方、安田は、教育者としての顔も持つものの、基本的にはアーティストである。花粉や種をモチーフにしながら、植物の移動や交配について考え、油彩や水墨画、記録映像など様々な技法で表現している。「エデンの東」など映画のシーンを引用し、油彩画として描くことで植物の持つ記号的な意味を問う作品もある。美術教育で使われる水墨画のキットを使っているものもあり、美術教育に対する批判的な眼差しを垣間見ることができる。その関心は、移民や文化の多様性といった今日の社会問題にまで広がる。
二人の作品は、生物とその多様性への関心で繋がっている。しかし、それぞれの活動における作品制作の意味は大きく異なっており、その対比にも、この二人展の面白さはある。
五箇の作品は、いくつでも複製が可能である。五箇はダニについて広く知ってもらうためにテレビ番組にも積極的に出演し、そうした機会にダニの絵をタレントなど有名人に贈呈している。二人展の会場は個人の運営するギャラリーで、プライスリストも置かれているのだが、安田の作品には値段が書かれているのに対し、五箇の作品は「非売品」となっており、美術作品の通常の売買システムに乗っていない。「作品」はむしろ、ダニに関する研究や環境問題について関心を持ってもらうための宣伝ツールのような役割を果たしている。トークで語られた言葉は作品のための解説というよりは、作品はダニについて語るためのきっかけであるとも言える。一方、安田は社会問題を扱いながらも、美術作品として位置付けられている。この二人展の異種格闘技ぶりは、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」で、様々な作品を一緒にまとめた、そのまとめ方に通ずるように感じられた。つまり、内容は全く異なるが、作品の機能だけに目を向ければ、五箇の作品は、慰安婦問題に目を向けるように訴える役割を担う《平和の少女像》と共通するものがある。《平和の少女像》も複製が可能で、エディションのコントロールはなく、「表現の不自由展・その後」においても、ソウルの日本大使館前にあるブロンズ像と、出品されたFRP製の原型は、同じ作品として扱われていた。
美術が社会問題に向き合うとき、商業ギャラリーのような売買システムに乗る狭い意味での「美術作品」からその外へ境界なく広がってゆくこと、狭い美術の世界にとどまることができないことを、この二人展から感じさせられた。

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