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スポーツ観戦で夢を見せてもらった話

今回のテーマは、「#スポーツ観戦」である。

幼い頃、週末になると4つ上の兄が所属していた地域のサッカークラブの遠征試合に強制的に連れて行かれたものだ。試合会場へは車での移動が常であり、乗り物酔いをしやすい私は、毎回憂鬱だったのを覚えている。試合中、大人たちは子供たちの応援に夢中になり、私は完全に放っておかれるのも嫌だった。試合を観て熱狂する大人たちを横目に、時にグラウンドの隅にある草をむしり、時に水たまりをのぞき込みながら子供心に思っていた。……何が面白いんだろう?って。

そう、私はスポーツ観戦に興味がない。オリンピック、ワールドカップ、世界水泳といった国際大会でない限り観ることはないし、それも後でニュースの総集編で確認する程度である。スポーツは観るより、実際にやってみる方が面白い。

そんな私でもスポーツ観戦に夢中になった時期はあった。きっかけは、冒頭のサッカークラブの中で飛びぬけて上手な選手(仮Aさん)がおり、後にJリーガーになったことだった。当然、地元は熱狂した。サッカー少年たちが一度は抱きそうな夢を実際に叶える人が身近にいるなんて。

Aさんがプロのサッカー選手になってからというもの、両親と我が兄は時間と距離の許す限りスタジアムへ応援に駆け付けた。遠方で行けない時でもテレビで観られるようWOWWOWに入会した。兄はJリーグの選手名鑑を毎年買ってきては、「すごいだろう?」「スターだからな!」と妹に丁寧に説明をしてくれたし、父は「俺が教えたんだよ(よくいますよね……そんなことは決してない!)」なんて言いながらテレビに映る姿を見つけては「いたいた!」と喜んでいた。始めは興味を抱かなかった私も、家族の影響で次第に応援に加わるようになり、その魅力に引き込まれた。

プロってすごい。スタジアムでみんなから声援を贈られるんだ。プロって厳しい。結果を出せなければ容赦なく落とされる。自分のいる世界とは縁遠い、華やかで厳しい世界を少し覗かせてもらえたのは背筋が伸びる経験だった。

私は、ピッチに立ち、プレーをしているAさんの背中を観ているのが好きだった。試合の動向より(そもそもルールがよくわからないから)も「どれだけの努力を積み重ねたんだろう?」とか「どれだけの犠牲を払ったんだろう?」とか、想いを巡らせては「私も頑張ろう」と勇気をもらっていた。

もう一つ、好きだったことがある。応援している家族の姿だ。どんな選手だって調子のアップダウンはある。Aさんにも怪我をして暫く出場できない時代はあった。降格される不遇の時代だってあった。けれど、家族はAさんがプロになってから、調子の良い時も悪い時も、変わることなくまっすぐに応援し続けていた。その姿が私は誇らしかったのだ。……伝わるだろうか。

素晴らしいものを素晴らしいと、惜しみない称賛を贈れる人は清々しい。華々しい表だけでなくその裏に隠れた努力や葛藤を想像し、変わらぬ声援を贈れる人は素敵だと思う。

上手くいっている(ように見える)人の上手くいっている状態だけを切り取って、僻んだり自分を蔑んだり、足を引っ張りたくなったり、そういう暇な人は沢山いる。私だって悔しさから相手の利点を素直に認められないこともある。彼らの姿勢は、当時つまらない葛藤を抱えていた私の心に涼やかな風を吹きこんでくれた。私の目線をまっすぐに戻してくれたのだ。

我が家に夢を与え続けたAさんは、数年前、現役生活に終止符を打った。あの姿をスタジアムで観られなくなるのは寂しいことではあったけれど、引き続きサッカーに関わる仕事をすると知り、嬉しかった。現場での実績はもちろん、誠実に仕事をしてきた結果に他ならないと感じたからだ。

Aさんの引退を機に、私は夢から覚めたようにサッカー観戦に興味がなくなってしまった。それにしても、スポーツ観戦に無縁の私がいい夢を見せてもらったと思う。次に興味を持つのは、何時だろうか。

編集:鈴木乃彩子

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