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ハムスターが残したメッセージ

4月19日に大学病院での検査が終わり、20日に実家に母を送り22日に一人東京へ帰ってきました。

私としては遠くからあれやこれやと心配するより、多少大変だけれど母が近くにいると安心なので、母がもっとここにいたければそうしたかったのです。でも、帰りたいコールがどんどん強くなってくるし、徐々にあらゆることの記憶が錯乱してきたので、検査後できるだけ早く実家に向かった次第です。

母をここに住まわせるのは難しいと認めざるを得ませんでした。

母は、気持ちや理屈の上ではここにいることも良いことだと理解して一生懸命馴染もうとしてくれていたのがわかりました。

でも、脳がついていかない。

何日経ってもトイレの場所が覚えられず、娘の部屋に入ろうとしたり、玄関から出て行こうとしたり。

それだけならなんとかなるのですが、私を昔からの友人だと認識していたり、ここから歩いて家に帰ると言い張って荷物をまとめたり。

制止しようとしても何度も繰り返すので、しばらく黙って様子を見ていたら、玄関を開けてしばらく眺めたと思ったら戻ってきて、「ここ東京だったね、だははははっ!」と笑い転げて、こちらまでつられて笑っちゃいました。

一人が嫌なのに、娘の家に住みたいと思っても、それが叶わないのだろうか。

せめて認知症でなかったなら。。
切ないとしか言いようがない。

それからふわふわとした一週間が過ぎ、明日検査の結果を聴きに行きます。
一人で病院に行って、治療方針に関して医師と話してきますが、やはり手術は避けたいと思っています。

本人も嫌がっているし、81歳だし、心臓も弱く予後が悪い可能性も十分にあるだろうし、住まいをちょっと変えただけで上記のような状況ですから、認知症が進行するのは目に見えています。

何より痛がっている母の姿を見たくない。
でも、それよりももっと最悪な状態を目の当たりにするかもしれない。。。

毎日努めて落ち着こうと思うのですが、朝はこれらの迷いのせいかうなされるように目覚めます。

母を送りに行って、実家に2日泊まりましたが、ある朝「ウォーーー!」と叫びながら布団から起き上がりました。

胃酸が食道を逆流したのがわかったのです。
なんとも言えない気持ち悪さと、初めての神経的な胃の症状に自分でもショックでした。胃は丈夫だと思っていたのに。。。

私にはもう一つ心配事がありました。
子宮蓄膿症を患っていたハムスターのハムちゃんがいよいよ水さえも飲まなくなるほど弱ってしまったのです。

動物好きの母は今回の上京で初めてハムちゃんと対面して、興奮するほど喜んでいました。

寝ているハムちゃんにちょっかいを出す婆さん
この後立ち上がるのが大変だった・・・

エサを手渡ししたり、一緒にケージを掃除したり、部屋を散歩させたりとハムちゃんもその時は元気だったのに、私が実家へ向かう間際にはすでに虫の息の状態でいつ亡くなってもおかしくない状態でしたが、私を待ってくれていたかのように、帰宅数日後の朝に目を開けて硬直して横たわっているハムちゃんを見つけました。

悲しくて寂しいけど、やっと苦痛から解放されてよかったねという思いもあり、言葉にはうまく言い表せない感情が渦巻きました。

そして、ハムちゃんの亡骸を見つめながら不意について出てきた言葉が、
「手術してあげればよかったかなぁ」だったのです。

手術すれば完治の可能性があることを獣医師から聞いていましたが、もう寿命に近い年齢だったので見送っていたのです。

母にもそんな言葉を投げかけることになるのだろうか。

迷いはまだまだ続きそうです。

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