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素直に育った人間ほど矛盾に出会う

子供の頃、周りの大人のいうことを素直に効いてきた人間ほど、世間の矛盾に出会うような気がする。
いわゆるいい子ちゃんで育ってきた人。
聞き分けのいい子が評価され、そうであれ、と言って育てられて、その通りに信じて育ってきた人は、ある時、周りはそんなこと気にせず育ってきて、平気で人を傷つけても問題ない人間がいることに気が付く。
人との摩擦・・・学校や職場、ラッシュ時の電車などの赤の他人・・・
しつけられたような人なんてほとんどいないことに気づく
どうしてこんなことできるのか?と思うような人が当たり前だったりする。

周りの大人のいうことを信じて育ってきた人ほど、周りに期待してしまうと思う。
しつけられてきたことが当たり前で言うことを聞くべき事だと信じていることが多いから、同じようにしない人間が理解できない。

例えば、返事はするけど、まったく動かない人間がいたとする。
自分は返事をしたからにはすぐに取り掛かるなどのしつけられ方を信じてきたとする。
返事はするけど納得はしていない人もいることが想像できない
だから相手に対して、なぜやらないのか?とフラストレーションがたまる。

そもそも、親が毒親で精神的にも肉体的にも制圧された幼少期に激しい口調で躾けられてきたのなら、反抗期に反抗する気力や気持ちが育たない。
だから反抗出来なくなるのだが、その分我慢しているので、世の中いい子ちゃんばかりじゃないとわかった時の、虚無感は半端ない。

親の言うことと、世間一般の感覚には、かなりズレがあると、長年理解できなかった。
いや、一般的に親の言うことを、ある程度聞かないのが人間なのかもしれない。

しかし毒親で幼少期から精神的、肉体的に制圧していうことを聞かせる躾をされてきた子はそうはいかない。
全てに従わないと、何かしらの罰則があり、それが嫌だから言うこと聞くという図式で育ってきたからからだ。
幼少期にそうやって育てられた場合、こびりつき方は半端ない。

道徳的にこうあるべきということを信じてきたり、罰が当たるなどの見えない力を信じ込まされてきた場合等・・・
育つにつれて、そんなことはないと思いつつも、なぜかその見えない力を意識してしまったり。
だからそんなのお構いなしに、平気でルールを無視したり、屁理屈で自分の責任逃れがうまい人間や、感情を自由に開放して八つ当たりが平気な人間などの餌食になる。

自分のタブーが多い人生になっている
ルール無視や責任逃れ、言い逃れや八つ当たり等は絶対にしてはいけないと信じていた場合、それを平気でやってくる人間のことは理解できないだろう。

ただ、一番不幸なのは、そうやって周りの大人の都合の良い躾をされてきた人ほど、トラブルにならないように、自分さえ我慢すればいいと思って生きている人が多い。
つまり我慢してしまったり、怖気づいて反論や抵抗ができない人が多い。
親や周りの大人が感情的な場合が多いからだ。

当然、ルール無視、責任逃れ、八つ当たり、それこそ気に入らないからと危害を加える人間でも、我慢してしまうことがある。

お人よしとでもいうのだろうか・・・そのうち、危害を加えたり、いいように利用する人間が周りに増えてしまって、矛盾に気が付いて、やるせなくなる。

やるせなくなるだけなら良いが、ゆがんだ考え方をしてしまう場合は反社会的な思想を抱く場合もあると思う。

「なぜ、周りの人間はこれだけのことをして、罰も当たらず、悪い目も見ず、笑って生きているのか?

でも今更、周りの空気を読まずに自分の感情に素直になることなんてできない。。。
そこで過去の育てられ方を振り返って、過去の親や教師を恨むようになる。

一旦、そこに落ち込んでもいい
けど、世の中、信じてきたような性善説で生きていると不幸になる。
性悪説で見ていくところも必要。

0-100思考で育てられてきた弊害とでもいうべきか・・・
いい人ばかりじゃないし、悪い人ばかりでもない
逆もまた然り・・・

最近やっと気が付いた気がする。

だったら、こちらも今まで信じてきたものを捨てよう
何もこちらから仕掛けることはない
ただ、相手が問答無用でルール無視、無礼なふるまい、セルフコントロールやアンガーマネジメントができないのなら、こちらも我慢したり、自制する必要はない。

我慢するから病むんだ

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