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普通に会話できない②

臆病者のなせる技なのか?全ては萎縮する心がネックになってると思う。

何故委縮してしまうのかはわからない。
気が付いた時には、友達と比較して委縮する自分がわかった。同じように怒られても、自分はかなり委縮して怖がってしまっていた。

これは生まれつきなのか、そうではないのか・・・。


怒られても平気な人はいない

怒られるの誰だっていやだ。
ただ、そのショックが大きすぎると、改善策や工夫などが考えられなくなり、仕事や私生活では支障をきたすこともある。
これは脳の防衛本能が働いて、思考が停止してしまうというのを何かの本で読んだことがある(育児書だったかな?)

なんとも情けない話だけど、この歳でもそれが当たり前になってしまってる
普通の人より防衛反応ともいえる思考停止になってしまうんだろう。

これって自分の努力ではなかなか即効性はなくて、考え方を変えてみても、意志でコントロールできない領域

これを、心から解決することなんてできないとは思うけど、軽くすることはできるのか?

本やnoteの記事を読んで、良いと思うものは取り入れていくつもりだけど、なかなか難しいよね

感情に支配されてるのかもしれないし、感情を大切にしたいと思うからこそ、うまく行かないのかもしれない。

自分を大切にするとは、自分の感情を大切にすることとは違うのかな?

自分の感情を大切にするとは

自分の感情を大切にすると言われると、何か好きなこととか、赴くままにとかそんな風に思えてくる。
でもオイラの場合は、そういわれたら困ってしまうほど、思い浮かばない。
そもそも自分を大切にする=自分の気持ちや感情を大切にするということであれば、それ自体に罪悪感が出る。

感受性が強い年ごろの時は、それだけで涙が出てくることもあった。

自分を犠牲にして、誰かが喜ぶなら、自分もすごく嬉しいというのを覚えている。
だからこそ人のために役に立つなら、自分が犠牲になってもすごく満たされて嬉しい気分になれた。
そういう発想で、いつも何事にも取り組んでいた気がするけど、その分、自分が本当にやりたいこと、やりたくない事の見極めがつかなくなっていったと思う。

人の顔色を窺ってしまうから

つまりは人の顔色伺い過ぎなのかもしれない。
だからこそ、普通に会話できる時と、そうでない時の差が激しい。
とにかく相手が怒気をはらんでいる時は、どもったり、言葉が出てこなくて変な会話になってしまう。
事実をありのままに伝えるのであれば、自分が悪くなくても誤解され、こちらが怒られると思えるから。
誤解されることは多かれ少なかれあるにせよ、きっと小さいころから「気分に左右される大人」に囲まれて育ってきたからなのだろうなと思う。
そういうところが災いしているのか、恐らく見栄っ張りだったり、プライド高かったりして、自分が悪くなることから逃げているんだと思う。
だから質問したり、疑問に思ったりしたことが聞けなくなってしまうのだろう。
質問したり、疑問に思うことを聞くと、そんなこともわからないのか!と烈火のごとく叱られ、それが怖すぎた幼少時代だったから、聞かない方がましだった。

聞いただけで恐怖におののくほど叱られるなら、聞かない方が平和。
恐らくオイラは知ったかぶりしたりすることも多かったと思う。質問するより理解したふりをすれば、恐怖から逃れられたからだ。

オイラは何度も同じことを聞かれても、それほどイラっとしない性格。伝え方を変えよう、ポイントを変えよう、一緒に確認しながらにしよう、一緒に操作しながらにしよう・・・
そうやって伝え方を工夫したり、比喩を使ったり、相手がイメージしやすい事例を出したりしてみる。
こういう工夫は全くストレスが溜まらない。
けど・・・世間一般はそうではないようで、ちょっとでも似たようなことを聞くとかなりイラっとされてしまうこともある。
仕事だから同じことの繰り返しになりたくないし、それが他人からの質問ならなおさらなのかもしれないが、それではあまりにも許容範囲が狭いのではないかなと思うのだが・・・

結局はサラリーマンが合っていないのかな

世にいう自己啓発書や、サラリーマンの処世術なるモノを何度か読んだり、教わったりしたのだが、オイラはそれらには合っていないように思う。
スキルも実力もないのに、人に教えることだけは苦にならない。
人の話を聞くことも全然苦にならない。
(今の業界に入ってからは、少々人の話をさえぎって自己主張しなきゃならないので、その癖がついてしまったが・・・)

どこか企業に入って、生産性を上げて利益を生み出していくような仕事をするにはどうにも思想が追い付いていないようにも思うし、それを実現するためには、どうしても治さなければいけない精神的な疾患があるように思える。
ただ、それを治さなくても、活躍できる場があるなら、その世界で社会貢献していきたいなとは思う。
人の話を聞いて、アドバイスや提案をしていくような仕事
コンサルとかではなくて、傾聴やカウンセラーとかそんな道に進んでいればよかったのかもしれない。(若い頃にはそんなお仕事があることすら知らなかったし、もしかしたら無かったのかもしれないけど)

前から占いなどでは、芸術性のある職業が向いていて、理屈よりひらめきや感性が生かせる仕事のほうが良いと出ることが多い。
芸術家、芸能人、スポーツ選手、小説家などなど・・・
この職業に生かせる特技は無いけど、少なくとも企業に属して利益を生む仕事を推進することはできないんだろう。

委縮して聞くに聞けない人生だった。そのためスキルも上がっていかない。
そろそろ戦力外通告も現実的になってきている。
第二の人生をどうするかを、模索していった方が良いのかもしれない。

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