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読書力の上げ方

趣味は読書である。

高校生のときに、「趣味は読書の人」になろうと決めて以来である。それまで、漫画は好きで読んでいたが、絵のない本を好んで読む習慣は特になかった。

手始めにドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ。精神科医を目指すなら読んだ方がいいという新聞記事を読んだのと、『こち亀』で重厚で難解な本の代表格として取り上げられており、最初にこれを読んでおけばどんな本だって読めようになる、と思ったためである。読んだのは祖母が買ってくれた新潮文庫の上下巻、江川卓訳である。

本は片道30分くらいの電車の通学時間で読むことにした。何を読めばいいかわからなかったので、文学史や世界史で知った有名どころの作品をよく読んだ。ダンテ『神曲』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、トルストイ『アンナカレーニナ』、ユーゴー『レ=ミゼラブル』などの海外の古典作品を読むことが多かった。文化背景などわからないことが多々あったが、気合いで文字を追い、根性で食らいついていくのが読書だと思っていた。あとは部活のバスケで肉体を酷使し、医学部の受験勉強に燃えていた。なかなか偏った高校生である。

大学に入ってしばらく友達がいなかったので、さらに本を読むようになった。たまたま雑誌で読んだ北上二郎と大森望の書評漫才が面白いと思い、流行作家の小説なんかも読むようになった。金がなかったので古本屋で目についたものを買うことが多かった。村上春樹、村上龍あたりを押さえつつ、金城一紀、石田衣良、森絵都、冲方丁、ジョン・アーヴィング、チャック・パラニューク、グレッグ・イーガンなどと広がっていった。そのあたりから、読書をいっそう楽しむ方法について考えるようになった。というのがこのエッセイの本題である。

読書とは、活字で入力した情報を脳内で再生する営みである。だから、文字によって脳内で再生されるイメージの鮮度が、読書の楽しさを決める。

童貞がベッドシーンを読んで思い浮かべるイメージと、性交を経験した大人が性描写を読んで想起する匂いや情景は違う。石鹸の匂いを嗅いだことのない人間には、「石鹸の匂い」という言葉から実際の匂いを想像することができない。ジャズを聴いたことがない人が「ジャズ」という字を読んでも、その音楽性や演奏風景をイメージすることはできない。すなわち、実際に五感を通して経験した様々な体験が、言葉から想起できる感覚の記憶が、読書の楽しさを決めるのである。

そんなわけで、読書を楽しむために、言葉と対応する、世界に実在する物を繋ぎ合わせるように意識するようになった。例として、カレーのスパイスや(クミン、ターメリック、コリアンダー、シナモン、クローブ、カルダモン)、色(浅葱色、鳶色、瑠璃、翡翠、琥珀、ターコイズ、セピア)、衣服の生地(シルク、綿、ポリエステル、麻、ベルベット)などが挙げられる。医学の勉強は人体に関する言葉のイメージを深めたし、有名どころの映画や音楽も実際に鑑賞しておくに限る。語彙を深めるために旅行したり、美味しいものを食べたり、物を買ったり、人と遊んだりする。風景、味や匂い、質感や形状、出会った人たちのオーラを、記憶にとどめ、読書の際に想起するイメージの引き出しに入れている。読書をより楽しむために、実生活でいろいろ経験するようにしているのである。

倒錯しているといえばしているが、その甲斐あってか、読書は年々楽しくなっている。高校生の頃に決意してから20年くらい経つが、今やすっかり読書は趣味になっている。趣味を趣味にするためには、それなりに努力や仕込みが大切なのだと思っている。じっくり準備している分だけ、その味わいは格別である。

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