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韓国の「コンタクトトレーシング」の秘策は「アプリ」ではない 【NGG Research #5】

「blkswn NGG Research」第5回は、COVID-19の感染対策で活用され、注目を集めた、韓国のコンタクトトレーシングを紹介。コンタクトトレーシングといえば、昨今では「アプリ」をいの一番に想起するが、韓国の施策は、決してそれだけではない。韓国の感染症対策の根幹を担うコンタクトトレーシングはいかに機能し、医療崩壊を防いだのか。その全体像を検証する。

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Text by blkswn NGG research(Riki Shimada + Kei Harada)

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医療崩壊の防ぎ方

「コンタクトトレーシング(接触追跡)」とは、感染者との接触可能性がある人を特定し、その情報を収集することで感染拡大を防止するプログラムである。コンタクトトレーシングを活用することで、市民は感染者との接触があったことを知り、感染の疑いに気づくことができる。

では、韓国は、このコンタクトトレーシングと呼ばれるプログラムをいかに活用して、医療崩壊を防いだのか。その成功の秘密を、国が地方自治体に向けてつくった"ハンドブック"をもとに見ていくことにしよう。

ボランティアによって翻訳された、韓国感染症対策センター(KCDC)のドキュメントについて要約された記事。

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korea目次

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韓国の感染症対策における、中央政府から地方の病院までをつなぐ組織図
https://covidtranslate.org/assets/CovidPlaybook_EN_v0.9.pdf

韓国では、政府直轄の韓国感染症対策センター(KCDC)から地方の病院まで一貫して、法整備、組織体制が整えられ、一連のオペレーションが明確に定められている。患者はあらかじめ定められたプロトコルに応じて、症状のステータスを定義され、次にとるべき行動を指示される。一連のオペレーションを支えているのが、感染が確認された市区町村ごとに、濃厚接触者や地域環境に関する疫学調査の権限を有する緊急タスクフォースだ。タスクフォースが、患者の症状に関するステータスを定義し、全国での情報共有を行い、患者が次にとるべき行動を指示する。

各地域ごとに配置された緊急タスクフォースは、5-7名のチームで構成されている。最も重要な役割は、Epidemic Control Officer / 感染症コントロール長(ECO)で、専門家のアドバイスを受けながら、患者のステータスを定義し、必要であれば、病院のベッドの割り当ても行う。

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各地域ごとに配置される感染症対策のタスクフォースを構成するメンバー
・感染症コントロール長(リーダー)1名
・感染症追跡 1-2名
・現場マネジメント/セキュリティ 1名
・コンタクトトレーシング・データベース管理者 1名
・アドミニストレーター 1名
・検査管理者 1名

患者の定義

患者のステータスは、大きく3つに分けられている。コンタクトトレーシングの情報から、感染の疑いがある患者は、感染対策のプログラムに組みこまれ、タスクフォースから自分のステータスに関する定義を受けて、必要な行動を指示される。多くの国では、医療崩壊を防ぐために、感染の疑いがある患者はとにかく自宅に閉じ込めておく、といった措置が取られるが、韓国はあらかじめ定められたプロトコルにしたがって、患者をコントロールする。

では、患者は実際どのように定義され、どのような措置を取るように指示されているのだろうか。以下がその詳細になる。

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1.  モニタリング対象の患者
「モニタリング対象」のステータスは、以下のような条件に該当する場合である。

・37.5度以上の体温上昇、または喘息や息切れなど呼吸器系に症状が現れている場合。

という条件に加えて、

・原因のわからない肺炎のような、COVID-19と疑われる症状が出ている場合。
・過去14日以内に、国内のクラスターにいた経歴があった場合。
・過去14日以内に、中国、香港、マカオなどCOVID-19の感染が確認された国へ渡航した場合。

また、特定の症状が出ていない場合でも、中国・湖北省からの旅行者は、地元の健康センターからのモニタリングを受けながら、自主隔離をすることが決められている。

このように濃厚接触をしていない場合でも、以上の条件に該当する患者は隔離され、感染症対策のシステムに組み込まれる。仮に検査の結果が陰性の場合でもタスクフォースからの指示に従い、自宅で自主隔離することを求められる。
2. 感染の疑いがある患者
「感染の疑いがある」ステータスは、コンタクトトレーシングの情報から、感染者との濃厚接触が示され、さらに37.5度以上の体温上昇、または喘息や息切れなど呼吸器系に症状が現られている場合である。このステータスにある患者は14日間隔離され、症状のモニタリングと検査を受ける。
3. 感染が確認された患者
「感染が確認された」ステータスは、検査の結果が陽性だった場合であるが、症状の状態によっては、自宅で待機することも可能である。

患者は以上のように定義されており、モニタリング対象となった患者はコンタクトトレーシングとは別に、専用のアプリをダウンロードしなくてはならない。患者はアプリを通じて、1日に2回、症状を報告することが決められている他、患者が自主隔離から抜け出して、別の場所にいる場合はアプリから通知が送られる。だが、韓国政府がこれらの個人情報にアクセスすることは、法律によって制限されている。個人情報にアクセスするには、患者の同意が不可欠であり、監視をするためには、ECOからの許可を得なくてはならないのだ。

検査のプロトコル

韓国で多くの検査が実施されていることは、ニュース番組などでも盛んに取り上げられているが、決して闇雲に全員が検査されている訳ではない。検査についても予め定められたプロトコルがあり、上述した患者の定義に従って、優先順位が決められている。

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韓国の検査に関するプロトコル
1. 「モニタリング対象の患者」で、感染が確認された患者との接触があった場合。
2. 「モニタリング対象の患者」で、国内のクラスターにいた経歴がある場合。
3. 「モニタリング対象の患者」で、医者の意見から感染の疑いがある場合。
4. 「感染が確認された患者」について、隔離から解放するかどうか判断する検査を行う場合。

韓国の感染症対策においては、病院でのベッド数を保持していくために、基本的には自宅でのケアが優先されている。感染が確認された患者をそれぞれの自宅に分散することは、全員を病院に集めて管理するよりも高い複雑性を伴う。

しかし韓国では、医療崩壊を防ぐためには、患者を拘束するよりも、それぞれのプロトコルに応じた対応策を正しく「教育」し、患者に適切な行動を取らせる方が効果的である考え、自宅のケアを優先するシステムを採用している。

ロックダウンは選択肢にない

患者への「強制」よりも「教育」によって、正しい行動を促していく韓国の感染症対策のシステムは、緻密に整備され、訓練が積み重ねられてきたものだ。さらに驚くことに、韓国では感染症対策において、「ロックダウン」という選択肢が最初から考えられていなかったという。

経済的に大きなダメージがあり、人々のメンタルヘルスにも影響を与えるロックダウンを選択するのではなく、緻密なプロトコルに基づいた患者の管理によって危機を乗り越える戦略を韓国は準備していたのである。

韓国政府が公開した、自主隔離に関するガイド

◉通知
・コンタクトトレーシングの情報から、感染者と接触があった人物にはスマートフォンから通知が行き、自主隔離を求められる。自主隔離の指示に従わなかった場合は法的に罰せられる。

自主隔離期間
・自主隔離になった人物には、ハンドジェル、消毒剤、メディカルバッグ、自主隔離の方法をまとめたハンドブックなどが届き、その後は2週間分の食料と水が届けられる他、いくつかの企業のストリーミングサービスを無料で利用できる。

・自主隔離となった人々の中で、企業から有給休暇手当てがもらえない場合は、政府から補償を受けることができる。

・自主隔離をするにあたって、専用のアプリをダウンロードしなくてはならない。自主隔離中の人々は、専用のアプリから1日に2回症状を報告することを求められる。

・自主隔離を破り、別の場所にいる場合は、アプリから通知が送られる仕組みになっている。

・自主隔離期間中はカウンセリングを受けることもでき、メンタル面でのケアも行き届いている。

自主隔離期間終了後
・自主隔離期間の終了後は、消毒したメディカルバッグにゴミを詰め、さらに二重にゴミ袋を被せて、ゴミを出す。ゴミを出す前には、アプリから通知を送る取り決めとなっており、通知を送ると、行政がすぐにゴミの回収を行う。

このように韓国の感染症対策を概観すると、市民が自らのステータスを把握し、ステータスに応じた適切な行動を理解していることが、どれだけ重要であるかが分かる。そして、韓国で市民が自らのステータスを把握するために非常に重要な役割を果たしているのが、コンタクトトレーシングである。

最短10分での追跡

韓国のコンタクトトレーシングは、最短10分で、接触履歴(つまり感染の疑いがある人々)の追跡を実現する。従来のシステムにおいては、当局が警察局に個人の行動履歴を要求したのち、警察局が区画ごとの警察署を経由して通信会社に向けた GPS データの公開を要求するというプロセスを踏む必要があったため、接触者の特定には 24 時間もの時間を要していた。ゆえに10分という時間は驚異的で、他国が導入しているシステムでもここまでのスピードを実現しているものはない。

このスピードは、システムがスマートフォンアプリに依存しないことによって実現されている。コンタクトトレーシングは、古くから活用されている施策であるように、必ずしも「アプリ」をスマートフォンにインストールしなければならない訳ではない。韓国はアプリをインストールさせる代わりに、以下のような広範なデータの利用を求めた。

・スマートフォンなどの携帯端末で利用される GPS データ
・クレジットカードの取引データ
・医薬品の購入記録
・監視カメラの映像


これらの情報連携は、警察局、Credit Finance Association(CREFIA)、3 つの主要な通信会社、22のクレジットカード会社による協力によるものだ。当局はこれらの情報から、割り出された接触者に対してSMS通知を行う。匿名化された位置情報は、APIを介して複数の第三者が運営するWebサイトで公開されており、市民は、感染者がいつどこにいたのかを知ることができる上に、自らの行動経路を振り返って、検査を受ける必要があるのか、注意が必要なのかを確認することができる。

さらに、ビッグデータ解析を活用して、時間帯ごとの推奨ルートや位置情報を自動判別し、地図上に視覚的に反映させるほか、感染の可能性が高い場所やその区画内での感染拡大者に関する情報も提供している。

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Photo by 심 은하 on Unsplash


MERSの教訓を活かす

韓国のシステムで注目すべきは、データの取扱いに関するすべての手続きがすでに立法化されているという点だ。立法化によって、逐一、データの請求に係る電話や、裁判所による情報公開命令などといった煩雑な手続きを行うまでもなく、迅速なデータの公開・共有が可能になっている。

韓国ではCOVID-19のパンデミックが起こる以前にこれらの全体像が、計画され、交渉され、議論され、準備されてきた。そして、現在の緊急状況においても、即座にシステムが機能しているということは、必要な人員や資金が平時においても供給され、システムの維持に役立ってきたことを示している。

プライバシーに関わる様々な個人情報を国家規模で取得・利用するシステムが韓国で許容されている理由は、韓国を襲った MERSの経験と、その経験を共有した国民による民主的なプロセスで立法されたプライバシー保護に関する法律の存在の 2 点にある。

この法律では位置情報の追跡が一定の期間に限定されて、データの匿名化が義務付けられ、情報の要求と利用も特定の人だけに認められている。またパンデミックが収束すればデータは削除される取り決めになっており、市民の目線から、個人情報への配慮がなされているのだ。この法律は緊急事態にあって慌てて設計されたわけではなく、民主的な熟議を経て立法化されたものである。

2015年に発生した MERS 感染拡大の経験から、2015年12月に感染症予防法(IDCP 法)が改正され、コンタクトトレーシングの稼働に係る諸手続きが立法化された。後述するコンタクトトレーシングに係る様々な行政機構の手続きや、個人情報の保護などに関する手続きは、すべてこのIDCP法やその関連法、施行令などによって規定されている。

日本においては、新型コロナウイルス感染症対策テックチーム内に設置された、有識者検討会が5月17日に公開した資料によると、コンタクトトレーシングにおけるプライバシー保護については、行政機関個人情報保護法や個人情報保護法の適用を受けるものなのかどうかも「留意事項」として、未だに明確に決定されずにいる。

有識者検討会合の資料3によれば、プライバシー保護に関する法律の適用は、留意事項として挙げられている。

プライバシーに関する議論においては、それ以前にも5月1日に個人情報保護委員会が会議内で詳細な見解を示し、5月26日公開された仕様書においては「一定の幅を持った適用関係」が整理されているが、2015 年には立法化を完了している韓国と比較するとやはり後手に回っている感は拭えない。

個人情報保護委員会が発表した、コンタクトレーシングアプリの活用における、個人情報の保護に関する見解は資料7に示されている。
5月26日に公開された仕様書。プライバシーに関する言及は、資料2を参照。

データベース管理者はひとりだけ

コンタクトトレーシングの運用やデータ解析等は、中央政府レベルでは、韓国感染症対策センター(KCDC)の本部(CDCH)に設置された感染者・接触者管理部門疫学調査チームの担当者によってのみ行われている。

上述した緊急タスクフォースにもコンタクトトレーシングのデータベース管理者は必ず 1名配置されているが、コンタクトトレーシングにおいて活用されるデータの管理に関しては、各地域ごとに 1名だけが関与でき、個別に追加の情報を取得する場合には、関連当局の承認が必須となっている。

一連の対応プロセスは先の改正IDCP法等によって厳格に定められており、たとえば IDCP法およびその施行令においては、上記のようなタスクフォースの設置がKCDCのセンター長や各地方政府の知事の義務として定められているほか、その結果を「必要な範囲で」関係医療機関に情報提供しなければならないことなども明文化されている。

第2波に備えて

多くの国では、感染症対策において収集できる情報が少ないため、市民に対しておよそ一律に強硬な処置を取っている。十分に情報収集ができない理由は、プライバシーなどの法整備が整っていないために、市民の情報をトラッキングできないことや、緊急時における十分な組織体制を築けていないこと、など様々な理由が考えられる。

韓国では、MERSの経験から感染症対策における個人情報の取り扱いを整備し、中央政府から地方政府まで一貫して、組織体制、患者のステータスに関する定義が定められている。

PPE(個人防護具)の管理についても個別の責任者が任命され、国全体で備蓄を行っているため、PPEの豊富なストックがある。世界中で多くの患者が、自宅に居たままひとりで息を引き取るケースが増加している中、韓国ではPPEを着用すれば、家族が患者のもとを訪れることも許可している。多くの国では、医療関係者用のPPEですら不足しているにも関わらず、韓国では誰もが適切な防護具を着用することが可能で、家族の面会についても許可がおりている。

さらに、どうしても避けることの出来ない、感染による死者の問題についても、韓国は手厚いサポートを実現している。政府はパンデミック期間、家族を亡くした遺族に対して、葬儀に必要な金額を支給する措置をとっており、遺族の負担を軽減している。

感染の第2波が警戒される中、今後も第1波と同じように市民に一律に厳しい措置を課していくことは、市民に対する負担も非常に大きく、経済活動にも甚大な被害が及ぶ。第2波に向けた、感染症対策のプロトコルやコンタクトトレーシングの整備は必要不可欠だろう。

Google と Apple が開発した、コンタクトトレーシングのAPI はすでに日本、英国、フランス、ドイツ、スイス、エストニア等でその導入が検討されている。シンガポール、オーストラリア、インド、イスラエルでも独自に開発されたコンタクトトレーシングアプリが活用されており、多くの国がスマートフォンとアプリの組み合わせに期待している。

だが、韓国の例で見てきたように、コンタクトトレーシングにおいて、アプリが果たす役割はプログラムのごく一部でしかない。さらに、アプリは予め準備された制度の上において、はじめて効果を発揮する。そして、アプリの開発よりも、立法、そして法を通じた制度づくりはより複雑かつ繊細で、時間を要するものだ。

韓国は、個人情報をめぐる市民の抜き難い警戒心を(国民が共有する MERS の経験を一助として)乗り越えることに成功をした。テクノロジー先行での問題解決を目指そうとするケースは社会には多く存在するが、いうまでもなく先端技術は魔法ではない。むしろその技術を価値あるものにするための全体的な制度設計こそが不可欠であることを韓国の事例は教えてくれる。COVID-19の脅威が過ぎ去ったとしても、次なるパンデミックに備えてやるべきことは山積みなのだ。

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【転載ガイドライン】

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