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Jay Electronicaは、なぜ、いかに、語れないのか? 問題作「A Written Testimony」を仮想対談で考える【若林恵】


シーンに頭角を現して早10年強。エリカ・バドゥとの浮名など、音楽以外での話題は数知れず。鳴り物入りでJay-ZのレーベルRoc Nationと契約を結んだのが2010年。にも関わらず、待てど暮らせどアルバムは出ず。「なんだかな」「もういいよ」と諦めムードが支配するなか、2020年3月13日に、突如アルバムをリリース。齢40を超えた「永遠の新人・Jay Electronica」のデビューを、業界のみならずCNNのような一般ニュースメディアも話題にした。

実力者として長らく喧伝されてきたニューオリンズ出身のMC/プロデューサーのアルバムは、待った甲斐があったというべきなのか、なかなか掴み所のない、不思議なものだった。一見、一聴して、「これは重要な作品かもしれない」と感じさせる作品だが、そのすごさがどこにあるのか、うまく言葉にすることができない。音楽メディア「Pitchfork」は〈8.4〉のスコアをつけたが、このアルバムの真価は、それ以上ではないかという疑念は拭えない。「2020年代最初の問題作」がもたらすモヤモヤを、ひとまずリリース後数日の間の雑感として、若林恵が仮想対談形式で殴り書き。

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──はい、ジェイ・エレクトロニカ(以下JE)。なんか語りたいことあるそうで。聞きますよ。どうぞしゃべってください。

なんだい、投げやりだな。どうした。

──なんか結論のない話になりそうで、イヤな予感してるんですよ。

よくわかったな。そうなのよ。これ、出てすぐからずっとアタマ悩ませてる。という意味ですでにして問題作。

──なにがそんなに問題なんすか。

それがさ、わかんないのよ。あはは。

──笑ってないで説明してくださいよ。

どこから行こう。まず接触経路から説明しようか。

──単刀直入て言葉知ってます?

んー。知らない。

──いいです。で?

接触経路ね。うん。遠回りかもしれないけど、ここ重要だから。ほら、こちとら毎週金曜日に必ず新譜のチェックをしてるじゃない。ニューアルバムのリリースって金曜て決まってるから。日本は水曜日だけど。

──そうなんすね。

そうだよ。だから海外だとMusic Fridayなんて言葉があるのね。で、毎週NPRとかPitchforkとかStereogumとかRough Tradeなどのメディアサイトとかレコードストアサイトの新譜情報を金曜になると見て回るわけ。さらにヒップホップ周りはhotnewhiphop.comのアプリでチェックするんだけど、言うても結構な数のリリースがあるので、ジャケの雰囲気とユーザーの投票で"VERY HOTTTTT"って評価されてるものを中心に検証していくことにしてるんだけど、そのなかにJEの新譜もあったんだけど、「おや?」となったのは、やっぱりジャケットのイメージ。

──ヒップホップのアルバムジャケとしては、ちょっとだいぶ毛色が違いますね。

白い余白を大きく取って、真ん中に窓をとって写真を収めるって、これ、ジャケのスタイルとしては、まあポストロックかエレクトロニカか、ECMあたりがお得意とするところだと思うのね。写真も具体性のない、よくわからない風景で(ビヨンセ宅のプールとの噂も)。印象として、ちょっとクールで知的でしょ。

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白場を活かした"知的な"ジャケットの事例。上から、The Sea and Cake "Oui"(ポストロック)、Eli Keszler "Stadium"(フリージャズ・アンビエント)、Pat Metheny "Bright Size Life"(ジャズ)


──たしかに。

JEのジャケットは、よく見ると白場のところにアラビア文字が、おそらく箔押しみたいな感じで浮かび上がってるんだけど、スマホの画面で小さなサムネールで見てると、ひとまずは白場のきれいなちょっとおしゃれなジャケ。で、アーティストがJay Electronicaだし、評価も"VERY HOTTTTT"だしで、こりゃ期待大となるわけです。

──あ、そこは期待大ってことになるんすね。

そこがたしかに難しいところで。全員が全員こういう感じにすれば期待大になるかと言えばそんなこともなくて、hotnewhiphop.comを見てても、ちょっとオシャレだったりインディロックっぽいデザインのトーンの作品って反応が薄い感じはあって、デザイン的にもヒップホップの規範にちゃんと収まってるものであることが、リスナーのなかでも重視されてる感じはするのね。

──規範?

言葉にすると難しいんだけど、アーティスト本人が写ってて、がっちりしたロゴがあってとか、結構どぎつい色味のイラストが使われたりとか、ほらヒップホップのアルバムといって思い浮かべるものには、それなりに確固としたスタイルというか定型はあるじゃない。ロックアルバムにありがちなストーリー性と寓意性に富んだジャケットって、やっぱりあんまりないんだよね。

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hotnewhiphop.comの新譜ページのなかでのJay Electronicaの見え方。


──たしかに。

ロックのジャケットの文法はヒプノシスみたいな人が定式化したようなもので、ロックアルバムは逆に言えば、いまだその定式のなかにいるとも言えるのかな、と。

──なんとなくわかります。

でも、逆にそれがないと困るところもあるわけで、ヘビメタにしか見えないジャケなのに、中身がジャズだったりしたらイヤじゃない。

──イヤというか趣旨がわかんなくなりますよね。すっとアルバムに入れない。

でしょ。なので、そうやって通常の定型から外れることをやるってことは、逆にいえばかなり明確な意図があることの現れということにもなるわけね。というのも、なにも考えてなかったら普通に規範に収まるのがだいたいで、こういうズラしは基本「あえてそうしてる」と見るべきものだろうと。

──そういうもんですか。

そうだよ。あえてハズすって簡単に思えて案外できないものだよ。受け手が混乱する前に、やってるほうが混乱しちゃうから。だし、あえてハズすっていうのは、規範の及ぶ範囲というのをちゃんと策定してないとできないものなので、批評的に自分がいる領域とその外部を見渡せないとできなくて、そういう批評性をもって自分のいるジャンルの規範を見渡せてるのって、ヒップホップに近い人でいえば、たぶんカニエとフランク・オーシャンと、せいぜいタイラー・ザ・クリエイターくらいしかいないんじゃないかと思う。

──そうですか。

さらに言えば、これ、デザイナーやアーティストだけがそういう視点をもっててもダメで、プロデューサーも、レーベルの最終決裁者も合意できてないとダメなので、こういう思い切ったハズし方って、実際なかなか世に出ないものなのね。たいがい決裁にいたるプロセスのどこかで、規範のなかに収めようという圧がかかるから。

──この作品の場合、レーベルはRoc Nationですから、最終決裁者はJay-Zってことになりますね。

そう。で、Jay-Zは本作では2曲以外すべての曲に関わってるから、実質的には共同制作者と言っていいと思うんだけど、JEとJZの間で、どういうやりとりがなされて、まずは、どうしてあのジャケデザインが最良の選択とされたのか、それに至るまでにどのような代案が想定されてて、どういう理解のなかでここにたどり着いたのかは知るよしもないのだけれど、その合意が、おそらくは非常に高度かつ野心的なものだったろうことは想像しとくべきだろうとは思う。

──実際、どんなやりとりがあったと思います?

これ、そもそも建てつけが難しい作品なのよ。というのも、JEが最初にシーンに頭角を現したのがもはや10年以上前で、その間アルバムを出す出すと言いながら10年以上出なくて、ようやくこれが公式のデビュー作になるわけじゃない。

──ずいぶん引っ張りました。

しかも、その10年間、掛け値なしの才人ってことでリスナーの興味を引っ張り続けてきたわけだから、まずもってダサいことはできないし、これまで10年引っ張ってきたことをある意味総括しなきゃいけないものにもなるので、これは本人にとってもまわりにとっても、相当重たい作業だったはずで。「ここまで引っ張ってきてこれかよ」ってなるのは避けないとだし、加えて、「引っ張ってる間にもはや時代遅れになっちまったね」とみなされるのもよろしくない。願わくば、「待った甲斐があった」「10年の序走期間を経てJEは時代の最先端に躍り出た」って感じにならないと、さすがにJEと2010年に契約して、ここまで待ち続けたJZのメンツも立たないでしょ。

──そうすね。よく契約をドロップしなかったですよね。

ほんとに。Jay-Zは、その才能におそらく相当の信頼を寄せていたんだろうね。とはいえね、いまこのご時世に「最先端」って、いったい何のことを指すのか、ってこれがまた非常に難しいじゃない。

──というと?

これだけシーンがフィルターバブル化して、マルチポーラー化(Multi Polar/多極化)していくと、音楽の進化の「正史」みたいなものを想定できなくなっていくわけじゃない。つまり、どんとシーンの真ん中に太い幹があって、それがどんどん先に伸びていくという絵図ではなく、もはや好き勝手に360°に向けて幹が伸びて行っちゃうことになるので、言ってみれば「マイクロ最先端」みたいなものが、どんどん増えていく、と。そういうなかで、「最先端のことをやろう」って、その目標設定自体がしんどいので、この作品の場合、どこにその目標を置くのかは、結構悩みどころだったと思う。

──実際、音的にものすごく新しいのかと言われたら、割とオールドスクールな感じもありますし、最先端と言われるとピンとこないかもしれないですね。

そうなのよ。これ、何が新しいのかと言われると、答えに窮するところはほんとにあって、自分もそんなに自信はない。

──そうなんですか。

ないない。「先端!」と力説したいところなんだけど、ほんとにそうなのか、具体的にどこがそうなのか、となるといまひとつ判然としない。ただ、さっきのジャケの話もそうだし、例えば1曲目のストリングスの手触りと、そこに被さるルイス・ファラカンの声、途中から出てくるアコーディオンの音色とかを聴いた瞬間、もうなんか、「あ、これはなんか違う」って感じは明確にするのね。なんならECMのエレニ・カラインドルーの音楽みたいに聴こえちゃったから。

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エレニ・カラインドルーのジャケットももちろん、"白場”系


──カラインドルーって、ギリシアのテオ・アンゲロプロス監督の映画のサントラをずっと手がけてきた作曲家ですよね。と、一応補足しておくとルイス・ファラカンは、アメリカの政治アクティビストでNation of Islamのリーダーですよね。

そうそう。まあ、ECMっぽいとかいうと語弊はあるんだけど、2曲目、3曲目と比較的強めのビートが背景に走ってても、そのトーンというか、どこか静謐さを感じさせるところはずっと続くのよね。それが本当に不思議で、新しさということで言えば、その不思議な感覚なんだよね。独特の浮遊感みたいなものがあって、歪んだギターとか、耳障りなアナログシンセとか、人の叫び声とか、色んな音がぐちゃぐちゃっと入ってても、それが重たくならないのは、どういう戦略によってそれが実現されているのかが、よくわからない。

──このアルバムの不思議なところは、メッセージ的にもイスラム的なものが前景にあって、それなりに重たいアルバムであるはずなのに、なぜか繰り返し聴けちゃうところですよね。

ほんとに。これ出てからずっとループで聴いてるけど、ほんとに飽きないし、イヤにならない。仲のいい音楽好きの仲間との間で、音楽を褒めるときのクライテリア(基準)に「イヤな音が鳴ってない」ということと「どうやってつくったのかがわからない」っていうふたつがあるんだけど、この作品はまさにそうなの。

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アラビア語で書かれた"The Written Testimony"の楽曲リスト(と思われる)


──イヤな音、ないですね。

うん。ない。

──もうひとつの「どうやってつくったかわからない」ってのは、もうちょっと説明してもらっていいですか?

「どうやってつくったのかわからない」っていうのは、具体的に何をどうつくったかということよりも、なぜほかの可能性よりも、これをよしとするにいたったのか、そのクライテリアがわからないということなんだと思うのね。というのも、JEとJZがタッグを組んだらさ、もうどんなビートでもどんなライムでも、普通にカッコいいことは大体できちゃうわけじゃない。そのなかで、「これはアリだね」「これはナシだね」って判断をいちいちしていくはずなんだけど、その基準が、おそらくは感覚的なものではあるにしても、どこにあったのかな、と。つまり、どこかに「目指したい感じ」があったとするなら、それがどこにあったのかっていう。

──本人たちに聞くしかなさそうですけどね。

だからまあ、ここからは出来上がった作品から想像するしかない話になっちゃうんだけど、2017年にビルボードのインタビューでJE本人が語った話は、ちょっと気になる補助線かなとは思ってて。


──どういう内容ですか。

うん、「アルバムは間違ったコンセプトだ」って言ってるのね。質問者に「アルバムいつ出るの?」って聞かれて、ゴニョゴニョと「出るときには出る」とかよくわからないことを答えてるんだけど、その答えの最後に、こう言うのよ。

「やっぱりアルバムってのはそもそもが間違ったコンセプト。アルバムってのは企業が金儲けをするためのプロダクトとして発明されたものだから。人はずっと音楽をつくってきた。火を囲んで演奏し、物語を伝えるようなことを何兆年もやってきた。アルバムは好きだが、そのコンセプトに縛られるつもりはない」

(Then again, an album is a false concept anyway. An album is something that was created by corporations as a product to make money. People have been making music, doing plays and telling stories around fires for trillions of years. I like albums but I’m not too really handcuffed to the concept of that.)」

──何兆年って(笑)。

そういうところを無駄に盛るから信憑性がなくなるというのは置いておくとしても、これ、自分は、やっぱりいい認識だと思うのよ。

──そうなんすか?

だって、その通りじゃん。アルバムなんていうものが音楽活動の真ん中をしめるようになったのは、せいぜいこの100年だろうし、それが産業の要請から作りだされた枠組みだというのもその通りだと思うしさ。音楽が20世紀を通じて産業として大きくなれたのは、もちろんオーディエンスのなかに需要があったからではあるけど、アルバムという単位は、別にミュージシャンが生み出したものでもリスナーの欲求が生み出したものでもないじゃない。その単位が出来上がったあとに、こういうものを作りたいとか、こういうものを聴きたいというような欲求の亢進はあったかもしれないけれど、単位自体の策定は産業サイドの決定でしょ。

──CDが出来たときの収録分数って、ベートーベンの「第9」が収まるように、ソニーの大賀さんとカラヤンとで決定されたって聞いたことありますけど、そんな恣意的な感じなんだ、と驚いた記憶があります。

でしょ。別にそれが悪いと言ってるわけじゃないよ。ただ、ここで言いたいのは、それがあくまでも、ある時代特有の「規範」だったということで、そこに別に普遍性があるわけじゃない、ということなのね。で、音楽がデジタル化してインターネットを通じてやりとりされるようになると、かつて産業を支えていた「プロダクト」は消え去るわけで、そのことによって「アルバム」というものがどんどん無効化されていってるのは言わなくても、そこらじゅうで進行している話なので、「アルバムってものが間違ってる」という指摘は、特段そんなに驚くべき話でもないと思うのよね。

──たしかに。

逆に、いまこういう時代になっているのに、アルバムという形式に対してまったく批評性をもっていないのだとすると、そっちの方が自分としては理解できないって感覚すらあって、例えばフランク・オーシャンが「Blonde」を出したときに「Endless」というヴィジュアル作品を同時にリリースしたり、カニエが7−8曲入りのEPを5週連続でリリースしたり、あるいはケンドリック・ラマーがアルバムの曲順を逆にして再リリースしたりって、明確に「アルバム」というフォーマットを相対化しようという意図があってのことだったと感じるのね。なので、いま、あえて音楽の世界において最先端があるとしたら、そうした過去の規範からの解放というところはひとつターゲットとして策定できるところなのかもな、とは思うわけ。

──BandcampとかSoundcloudを見てると、毎日のように音源アップしてる人いますよね。

いるいる。例えばジム・オルークのスタジオ「Steamroom」のBandcampなんて、ほとんどがドローン作品だけど膨大な音源が日々アップされているし、自分の好きな福島在住のノイズアーティストのSaito Kojiさんのように毎日のように作品をあげてる人もいる。ヒップホップにしたって、Soundcloudにその主戦場を移し始めてからは、アーティストがランダムにシングルやEPを発表するようにはなっていて、コーポーレートが管理してアルバムをつくって、PR戦略を打って、ツアーして、といったこれまでのスキームは解体されていってるのは明らかだと思うし、そもそもビートメイカーと呼ばれるような人は、それこそ日記をつけるようにビートをつくってると言うじゃない。そうだとすると、音楽は日々の営為そのものであって、アルバムという枠組みは、小さな節目のようなものでしかないのかもしれないし。


──なるほど。

ほらスティーブ・レイシーってトラックメイカーなんかはiPhoneのガレージバンドでビートをつくってたというんだけど、それってもはやビートづくりが、SNSの投稿文を考えてるようなのとほとんど等価だってことだと思うのよね。

"それから彼は、四六時中ビートをつくるようになった。自宅でも、運転中でも、授業中でも。理髪店の行列に並びながら、頭のなかで曲のサビの部分のアイデアをあたためていたこともある。もちろんミュージシャンの多くは、曲の断片を記録するのにヴォイスメモを使っている。レイシーにとって、そのための道具は自分のiPhoneだけだった。バラバラにトラックをつくったあとで1つの曲にまとめて「Soundcloud」や「Tumblr」にアップしていった。最初は誰も耳にとめていなかったが、曲を重ねるごとに、ビートを重ねるごとに、フォロワーを獲得していった"


──何かを感じたり、思ったりしたらビートをつくる、と。

そうそう。そんな話をたしか、小説家の保坂和史さんが、どこかで書いてたと思うよ。よくコンサートやアルバムを「最高傑作」とか言うけど、作品やコンサートなんてのはせいぜい「結び目」くらいのもので、音楽家の営為は日々の音楽のなかにある、というような。それは小説家もそうで、作品が大事なんじゃなくて、書いては原稿をくしゃくしゃにして捨てる、その営為すべてが小説なんだ、といったような。ちょっと違うかもしれないけど。あとで、引用貼っておくね。

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──いいですね。つまり、これまでの音楽というのは、あるいは小説もそうなのかもしれないですけど、「作品」というものを、ある意味フェティッシュ化しすぎたということなんですかね。

そうだと思う。「作品」っていう概念は、「完成」というゴールを想定として持ち込んじゃうし、それが持ち込まれた瞬間、「完全」や「完璧」といった概念も持ち込まれるわけで、JEは、ある記事によると、こんなことを言っているのよ。

「「何かを作って時間が過ぎると、趣向/スキルが変わっているのでそれに満足できなくなるからまた変えるんだ。それに時間制限をかけることはできない」

これってつまり、「完成」というものの否定だろうし、すべてがプロセスにほかならないという表明のように自分には読めるんだけどね。

──なるほど。


だし、そもそもこうした「作品」の物神化とヒップホップは、あるいはジャズなんかもそうなのかもしれないけど、根源的には相容れないものだった可能性すらあるように思えるんだよね。ってか、例えばテクノとかハウスって、とっくにというかハナから、アルバムの概念が意味ない領域じゃない? そう考えると、音楽家の体の動かし方というか身体性に、アルバムという概念が即していないというのは十分ありうることかなと。

──そうですか。

うん、関係あるかどうかわかんないけど、自分も最近は「雑誌」というものの枠組みとか規範がほんとにイヤになっちゃってね。その感覚からすると、アルバムも同じようにきっとつくるのめんどくさいんだろうな、っていうのは、なんとなく想像できなくもない。比較するのもおこがましい話だけど。

──めんどくさいすか。

めんどくさいよ。構成を考えて、並び順を決めて、とかさ。「面白い!」と思ったものを適宜ランダムに出していく方が、いまの時代は、体の動かし方としても理に叶ってる感じがするし、フォーカスも明確になる。

──へえ。面白いすね。

うん。雑誌っていう形式にまとめ上げなきゃいけない根拠は、もはや産業の要請以上の理由はないし、つくる側のモチベーションって観点からも正当性がそんなにないない感じがしちゃうのよ。少なくとも自分の場合は。25年も同じ仕事をやってると、お題を投げられた瞬間に完成までの道筋もある程度見えちゃって、制作がなんというか一種の確認作業でしかなくなっちゃうところがあって、わくわくしなくなっちゃうんだよね。自分の仕事に飽きたというか。なので、なんというか、ゴールがなくて、やりながら考えて、その考えてる時間が面白いというような建て付けを自分なりにつくらないと、なんかただスキルを浪費してるだけ、みたいな気になっちゃう。偉そうなんだけど。自分に飽きないようにするって、結構大変なんだと思うな。特に、明確にすごい才能を持った人は、見通せちゃう分、自分の仕事を面白がるためのハードルははるかに高くなるんじゃないかと思うけど。なので、これまた大変おこがましいのだけれど、JEの言うところに、ちょっと共感しちゃうところはあるなあ。

──とは言いながら、JEはアルバム出しちゃったじゃないですか。

そう。そこなのよ、そこ。なので、自分の読みとしてはね、おそらく、JEは、アルバムっていうものの規範をいかにして解体し、それをフェティッシュ化しないやり方で「アルバムみたいなもの」をつくることが可能か、というお題を自分に課したんじゃないかと思うわけ。で、その際、気分的には、アルバムを出そうが出すまいがもうどっちでもいいということなのであれば、なんかのビジネス上の要件から「出さなきゃいけない」という外的な要請は、ただのきっかけでしかないという感じなんじゃないかな、と。どっちでもいいんだもん、たぶん本人的には。

──ふむ。とはいえ「アルバムでいてアルバムでないもの」というのは、また困難な、というか、落とし所の難しいお題ですね。

でしょ。今作が気になって仕方ないのは、やっぱりそういう困難に挑んだように思えるからで、しかも、そのことにかなり成功しているように思えるからなんだよね。

──そうですか。

うん。今回のアルバムについて言われているのは、まずアルバムを40日40夜で仕上げたというところで、ピッチフォークあたりはそれを宗教儀礼的なものになぞらえて語ったりしてるけど、自分の理解としては、無茶な締め切りを自分で設定して、「そのなかでできたものができたもの、ということにしちゃう」ということなんじゃないか、と。

──完成とは締め切りのことである、というようなことは、磯崎新さんから小島秀夫さんまで、色んなクリエイターの人がおっしゃいますよね。

それってつまり「完成」っていうのはある意味恣意的な何かでしかないってことじゃない? なのである明確な限定性を設けたなかで、そのときにできることをやればいいというふうにすることで、現場で何かが生成している感じをつくり出したのかな、と。ある意味での即興性というか即時性というか、そういうものに委ねることことで、完全性の呪縛から逸脱しようという、そういうことなんじゃないかなと。

──そういう感じは、音に出てます?

と思うなあ。このアルバムの面白いのは、そういう不思議な流動性があるところで、それがさっき行ったような浮遊感みたいなものに繋がってるように思うんだけど、別の言い方をすると、垂直性とか構築性を音に持たせないようにしてるようなイメージなのかな。今作でJay-Zのラップがすごくよくて、ものすごく開放感ある感じでフローしてるのは、この「流れ」のおかげなんじゃないかと思うんだよね。この作品が気持ちいいのは、実際はどうあれ、なんか現場の空気感がきれいな感じがするところで、ひとつの流れに全部が気持ちよく乗っている感じがするところのような気がするのよ。変な話、気の流れがいいというか。

──Jay-Zの気持ちよさそうなラップは、今作においては特筆ものですよね。

うん。なんだけどそれが「渾身のラップ!」「これしかない!」みたいな感じで、どしっと止まるというよりは、スルスルと横に流れていく感じがするじゃない。そこが面白いんだよね。とはいえ、それがいわゆる「映像的」という言い方で説明できる感じとも違うんだよなあ。

──そうした水平性は、ちょっとソランジュの「When I get Home」を思わせなくもないです。

そうかも。あれも、どうつくったのかがよくわからない、不思議な流動性があったもんね。


──ですね。あと、この作品を聴いてて顕著なのは、なんかパーツパーツを批評してもあまり意味がない感じがするところなんですよね。友人が本作を聴いて「ビートがカッコいい」と言ってたんですけど、もちろんビートがカッコいいのは、その通りなんですけど、なんか、そう言ってみたところであまり意味がないというか。そういう意味でいうと、アルバムというものを批評的にズラしたことで、それを批評するための言語そのものが無効化されちゃっているという感覚もあります。

ほんとだね。ほら毎日SNSで新譜のショートレビューを書いてるんだけど、ロックと比べてヒップホップは実はとても書きにくいのね。それは自分の語彙が足りないということもあるんだけど、もうちょっと掘り下げると、ロックとかジャズはね、やっぱりアルバムというものと、それを言語化するためのフレームがやっぱり明確にある感じがするんだよね。アルバムというものを言語化してきた歴史的な蓄積もあるからさ。

──ヒップホップは、そもそも「アルバム」って概念と「ミックステープ」というコンセプトがごっちゃにあって、ここもよくわからないところですよね。JEもアルバムは初めてですけど、ミックステープは過去にあるので「初のアルバム」と言うと「え、そうなの?」って反応が帰ってきます。

その辺も「アルバムはコーポレートのためのもの」という認識を強める要因になってるのかもしれないね。つまり、ヒップホップは「アルバムの外」という領域が結構あるんだけど、ロックとかジャズになると、アルバムというものを中心に、音楽家の活動も、その歴史自体も編成されてきちゃったというところはあるのからね。いまだに「アルバムが本丸で、あとはそれの付随物」というヒエラルキーが根強くあるというか。いわゆる360°ビジネスの時代になってくると、シングルもEPも映像もマーチャンダイジングも優劣なんかないはずなんだけど、こっち側のリスナーの認識も、特に自分みたいに年取ってくると、なかなか追いつけない。理屈としてはわかるんだけど、やっぱり「アルバムで評価する」っていう感覚が抜き難くあるはある。

──うーん。結局、最初に予想した通り、たいしたレビューにならないですね。

ははは。だからさ、さっきから言ってるように、これまでのレビューってフレームだと捉えられないんじゃないか、っていう問題提起なわけだからさ、簡単にレビューできちゃったら意味ないじゃん。

──言葉が追いついてない、と。

そうだと思うよ。というのも、こっちの言葉もやっぱりある規範のなかに閉じ込められてるわけだから、このアルバムと同等の戦略性をもってそれを語ろうとしないと、するっと逃げられちゃうような気がするんだよなあ。いま、そういう感じで「語れないこと」「言葉が追いついていないこと」って、音楽に限らず結構あるんじゃないかと思うんだよね。それを、いままでのメディアのフレームのなかで言語化してても、なんか追いつかないように思うので、そのフレーム自体をもっと問題にしなきゃいけないんじゃないかなあ。そういうことをね、このアルバムは教えてくれてるんだと思うんだよね。フランク・オーシャンとかカニエのアルバムもそうなんだけど。

──語れるようになりますかね。

5年もしたらもしかしたら言葉が追いつくのかもしれないけど、わかんない。いま、思うのは、そんなところかなあ。これはほんとに不思議なアルバムだよ。こんなに繰り返し聴いても正体のわかんないアルバムないと思うし、そもそもこんなに繰り返して聴くアルバムって、自分、そんなにないからさ。

──そうなんですか?

うん。それを聴いて自分がどういう気分になるのかがわかっちゃうと、もういいやってなっちゃうのね。逆に、どういう気持ちになったらいいのかわからないものが自分としては落ち着きがいい。

──普通逆ですよ。

あはは。自分が知らない感覚とか感情とかが見出せないものってつまらないじゃん。自分に馴染みの感情だけで生きていくのって、なんか感受性が退化しない? 「わかる」ってことに価値を置きすぎだよ。「わかんない」の方が、面白いし、なんなら未来じゃん。という意味でいうと、この作品はね、2020年代最初の「わかんない」で、これは価値あるものだと思うんだよなあ。自信ないけど。

──引き続き考えましょう。

うん。そうしよう。

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