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柳田國男や島崎藤村が魂入れした熱量をアフロビートで再現した音楽による人権感覚

その頃の日本列島の「意識高い系」の若者の熱量を想像することは案外難しい。

130年ほど前、東京帝大の学生だった柳田國男は父母の相次ぐ死去や当時の貧しい農村の現実を目の当たりにしていたことなどあって「歌のわかれ」(詩歌の世界から離別し実学へ)をして農政学を専門とするようになる。その学生生活の終わりの頃、北は三河湾、南は太平洋、西は伊勢湾に囲まれた愛知県の半島の先端にある伊良湖岬に滞在していた折り、海岸に漂着している椰子の実を見つけた。それが遙かな波路を越えて南洋諸島からきたことに気づいて感動し、やがて日本民族の故郷を南方に措定した「海上の道」を構想することとなる。

その着想を直接柳田から聞いた島崎藤村は詩文集『落梅集』に収録されることになる「椰子の実」という詩を書いた。遙か遠い海の向こうに故郷があり、長く彷徨い漂流する切なくもロマンに満ちた心情を短い日本語に籠めて詠んでいる。
明治30年代初頭のことであり、まさに近代日本文学の黎明期(ヨーロッパにあるような文学小説を日本語でも書くため言文一致体という新しい書き言葉を開発しながら文芸ジャンルを確立していった時期)のことである。この時代の日本人の新たな文化や教育への意欲、大自然とのパースペクティブや情緒の闊達な働き方、思いを同時代の最も幼き者にも浸潤するよう精妙に魂入(たまい)れしていく熱意など、現代人がその時代の人の内面や行動を想像することはじつは容易ではないように思う。

数日前、神楽坂で行われたライブで、あるミュージシャンが「その頃の人たちは考え抜いた言葉を起用して最大限のメッセージを残してきたから未来人の我々にもそれが深いメッセージだとわかる」というようなことをぽつりと言ってアコースティックギターを弾いてこの「椰子の実」を始めた。それは驚くべき光景であった。

歌ったのはタイロン橋本。慶應大学哲学科で美学を学んでいた1970年代に、長い髪の細野晴臣や松任谷正隆らが結成した伝説的音楽ユニットのティン・パン・アレーに参加し、その後アメリカに渡ってタージ・マハールを通して黒人音楽に出会い、帰国後にはYMOのファーストアルバムに関わり、日本初のサルサバンドであったオルケスタ・デル・ソルに参加。その後もギタリスト&ボーカリストとして日本の音楽シーンの各所に名を残し、R&B、FUNK、JAZZ、ゴスペルなどブラックミュージックの要素を加えたレイクサイド・ストラッティン・バンドを自ら率いて「戦い続けてきた」音楽キングコングのようなその男が、突如、「椰子の実」をアフロビートにアレンジして歌い出したのだ。柳田が見た渥美半島の椰子の実が「どんぶらこ」と漂流してきた様子をまさに南方アフリカのビートに乗せてアコギで歌ってみせた。

「考え抜いてつくった歌はどの時代にあっても深いところから本質が響く……」
昭和初期、藤村の詩は歌曲「椰子の実」として国民に広く親しまれた。賛美歌や教会音楽を作っていた大中寅二によって作曲されたということもこの作品の成り立ちに深い縁起を追加している。それがアフリカンなリズムの「ドンブラコ」となって波打ちながら神楽坂のライブハウスに漂流してきたのだ。
英語ではなく日本語でタイロンさんが歌うのを聴くこと自体がレアなのだが、まさかそれが「歌のわかれ」寸前の柳田で近代日本文学黎明期の島崎藤村で、「汝はそも 波に幾月」「われもまた 渚を枕」と、遙かな距離と時間と自然の光景とを詠んだその当時の惑星的感覚を現代人に体感させるべくアレンジしているとは。

戦前昭和の国民歌謡として作られた「椰子の実」を小さく見積もると「故郷=祖国」というイメージに結ばれかねないが、AIとともに生きている2020年代の我々にとって望郷とは、この惑星の最も遠い地点から遡行する感情としての惑星的追憶の最深部を標的として考えるべきテーマ。
ゲノム解析が急速に実用され分子考古学が新たな局面を迎え、ごく近年になって日本列島の古墳時代にはユーラシア大陸から大量の渡航または漂流漂着して来た者たちがあったというエビデンスが検証されつつある。
“古墳人”にはそれまでに比べて多様なDNA配列が遺伝子の大きな割合で見られ、縄文人・弥生人が持っていないユーラシア大陸各地に見られる特徴がそのまま日本列島の主要な都市や要衝には残り、多彩な渡来人に由来するゲノム構造が現在の東京人にもほぼ一致していることがわかってきている。
この列島の民の「故郷」はじつはずいぶん 遠い と言えそうだ。

ブラックミュージックとは500年以上前からの奴隷船で連れ出され故郷を喪失したアフリカン・ネイティブの末裔が音楽に込めたスピリットだ。
地球の反対側に故郷を遠ざけられ北米で奴隷貿易の商品となった彼ら“黒人”が変形しつつもオリジナルの文化や伝統、信念、人生観、コミュニティや祖先崇拝、自然への敬意などを映じながら黒人音楽という特異なジャンルを練り上げていった。

遙かに故郷が遠ざかったのはアフリカ由来の民だけではない。
同じ頃、メソアメリカも「遠く」引き裂かれている。インディオの「母」をスペイン人の「男」が征服しレイプするようにして生まれたメスティソ(大航海時代以降植民地で生まれた宗主国民とインディオとの混血児)。相反する極限のようなものが中庸を突き抜けてメキシコには混然と一体化されたたまま実在し現在も変わっていない。過酷な気候風土とも絡み合っているからなのかもしれないけれど。彼彼女らはアステカやマヤのオリジンの地にとどまりながら征服者によって水の都や祭祀センターを破壊し尽くされあっという間にインディオの霊性と光景と記憶とを喪失していった代わりにヨーロッパ的な理知や合理、それらに基づく秩序を与えられたため、そんなものを本来は超えたところにあった不条理でプリミティブな実在であるメキシコの本質を思い起こすことが困難になり、矛盾を孕んでセンシティブで複雑な痛みを抱えたまま今もある。

故郷から遠く離れて二度とアフリカ大陸には戻ることなく何代も北米で生き続け、新たな土地の支配層の習慣や動かし難い社会構造、白人の崇める聖性とも出会いながら独特の音楽やアートを織りなしていったアフロアメリカンの「望郷」。
故郷のあった場所でその原初的風景を徹底した破壊によって喪失させられインディオの母を愛したくても征服民や隣国アメリカの「男ども」の圧力が血に混じって自動的に作用してしまう愛に隠された裏切り、美にひそむ醜さという両義性からしか原風景を追想することができない中南米の人びとのような「望郷」もあるのだ。
プリミティブで牧歌的なメソアメリカの一地域だった時代のメキシコと、スペインやアメリカといった「男ども」に蹂躙され変容し続けてもはや帰る回路やその動機すらもてない複雑な痛みとが融合した異種交配のアートでもあるからこそ、たとえばメキシコシティでその生家である「青い家」を訪れて見たフリーダ・カーロの絵画は、シュールに普遍的でLGBTQの時代に輝きを増し、今まさにホットで古臭くなどなることはないだろうと感じさせた。

旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕

孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂
海の日の 沈むを見れば
激り落つ 異郷の涙

タイロン橋本は、つづけて「うさぎ追ひしかの山」で始まる大正時代につくられた唱歌「故郷(ふるさと)」をブルージーな調べとしてソウルフルな極微の情をのせ声帯を繊細にふるわせ歌声を搾り出した。ほかにも、ネルソン・マンデラをアイコンとして地球全体に今、実在している人権問題を強く感じ取る英語のオリジナル曲「マンデラ」も歌った。彼の渡米時代に公民権運動としてフォークソングを歌っていたミュージシャンを目の当たりにしてきた体感やヒストリーを込めて、音楽史の末席に身を置くかぎりここを歌わなければ音楽には血が通わない、価値がないと言わんばかりのパワーで会場に一体感をもたらすsing-along(一緒に歌おう!)を求め、今の金融政策とか政治家とかクソ=“shit!” だと毒舌でアグレッシブなトークや皮肉なジョークを連発し、フルアングルから今このとき何かを感じ合おうというエネルギーの交感を場に起こした。

そこに居合わせることができた脈動のようなものを記しておきたくてこれを書いている。
もっと時間をかけて洗練された言葉にまとめられたらよかったが、鮮烈な感情をとどめておくことは「宇宙がスピードを愛する」かぎりプライオリティだと解釈し、観客だった自分にも未だ来ているリズムにノリ、草稿の粗いままここに置いておく。

3月8日の神楽坂のライブはTyrone Hashimoto & Miho Usuda DUO "Quiet Energy"として実施されたもの。
このエッセイを書くためにデュオのもうひとり、ウスダミホさんにキーワードをいくつかたしかめさせていただいた。ウスダさんはガザで起こっていることを念頭に、あえてヘブライ語の歌を西欧寄りのアレンジで歌った。ゴスペルのオリジナル曲も披露してくれた。
「(日本語でゴスペルを)作ってみて初めて分かったんですが、自然の中にあるふとした変化や美しさを感じて、その中に自分を動かすもの(あの歌詞だと声や歌)を見出して歩いていく、みたいな感じ……」(ウスダミホ)

ウクライナやガザのように可視化されているかに映る紛争や平和への課題の奥にあるもの、もっと遠くにあるジャスト(公正なもの)へ向けて、このふたりはデュオ・ライブをしばらくつづけるような気がする。
「クワイエット・エナジー」という霊性を感じさせるタイトルのとおり、音楽がパフォーマンスであり且つアクティヴィズムにも通じるような、静かだがリアルな現実への浸透がそこにあったとしたら、場に身体を運んだことで体感できたことを私はつたなくとも繋げてみたくなる。

2020年代における「望郷」というニュアンスの遷移や、思惑ある他者によって奪われることがあってはならない“Human Rights”をインスパイアするため、私は今この記事を粗いまま「なるたけ早く」アップしたいのだと思う。

Tyrone Hashimoto & Miho Usuda DUO "Quiet Energy"

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