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『シーシュポス』

男は、大きな緑色のマットを背負って川辺に向かっていた。

釣りか? だが、マットを使う魚釣りなど聞いたことがない。
では、日光浴か? その割には肌が白すぎる。
案内されたのは、要塞のようないでたちの大きな岩の前。

男は、おもむろに荷解きを始めた。どうやらこの絶壁を登りきるつもりらしい。なかなかどうして酔狂な趣味だ。
何人かオーディエンスもきているらしい。だが、皆一様に釣竿を携えている。熱心な観客ではないようだ。

暫くすると、男は岩の手前にキャメラをセッティングしはじめた。
岩登りになぜキャメラが要るのか?

自分の動きを客観的に見つめることで、次に登る際の参考にするのだと彼は説明した。なるほど、立派な心がけである。
だが彼は、その工程を幾度も繰り返しながら、今なお頂上に辿りつけずにいるのだった。

岩には嶺の夕(みねのゆう)という名称がついている。
これはボルダーの課題名である。男は、クライマーの端くれなのだ。
彼の趣味であるところのボルダーとは、最低限の道具で岩や人工の壁面などを登るスポーツである。この川辺は、日本を代表するボルダリングエリアのひとつであり、有名課題が複数存在していた。
だが、今日の壁面は、いつにも増して怪しく煌めきわたり、かつ滑りやすそうだった。

同じ岩、同じルートを辿る時でも、彼は常に手探りで進む。その日の天候や体調の変化などによって、難易度が微妙に変わるからだ。また墜落を積み重ねることで、慣れほど恐ろしいものはないと男は熟知していた。
だが知っているだけでは、だめだ。
知識を知恵に変えなければ、このレベルの岩は攻略はできない。

――やい、嶺の夕。お前はおれが嫌いなのか? 何故におれを拒む? おれはこんなにお前を愛しているのに!

当たり前だが、そのような疑似恋愛感情は岩には通用しない。岩はただ岩自体として存在し、生きても死んでもいないからだ。

男は、クライミングシューズを履く際に、必ず薄手のポリ袋をかます。これだけで、匂いがつくのを抑え、靴を長持ちさせることができるからだ。ちょっとかっこ悪いけれども。

岩にはね返されて墜落すると、身体に傷を負わなくとも心が疲弊する。
インターバルをとるため、男は釣り人兼観客の元へと向かった。他愛のない会話が、難問を抱えた男の傷口を癒す。

野生の力を取り戻すつもりだろうか、男はやみらみっちゃにシャツを脱ぎ捨てた。
岩場に半裸で墜落した時のことを考えると、いやがおうにも真剣みが増す。また、たった一枚のシャツだが僅かに体重が軽くなるため、登頂に有利に働く場合もあるという。
しかし、これではまるでアロンソ・キハーノ、風車に突進するドン・キホーテではないか。

恐怖心が決心に変換され、岩肌が地肌へ、地肌が岩肌に浸透してゆく。
今では彼の決心も岩のように強固だ。
岩となった男が同胞に挑みかかる。
打ち震える筋肉は、壁面同様怪しく煌めきわたり、かつ滑りやすそうに映った。
おれは登るのではない、登らされるのだ。
男はそう確信していた。

だが、壁面は、再び彼を奈落へ突き落とした。

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男は暫し途方に暮れていたが、一握のチョークを掬い取ると、岩肌に小さな印を描いた。

これが、岩と自分との相違点だった。

気合だけでは、どうにもならないことがある。勢いで登れるほど、この岩は甘くない。
そう再認識した瞬間だった。

後方で見守っていたオーディエンスは、既にして飽き始めている。
詮無いことである。登頂どころか、中間地点にも辿りついてないのだ。
刺すような視線に堪え切れず、男は再びシャツを身にまとった。だが、黒かったシャツは白いチョークでまだらに汚れていた。それはあたかも、彼の内面のようだった。

挑戦を繰り返すうちに、男の体力が目減りしていくのが見て取れた。故に励ましの言葉が見つからない。
諦めのムードが川のせせらぎと共に岩場全体に瀰漫していった。

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男は普段どのような生活をしているのだろう?

しがないサラリーマンである彼は、仕事のストレスを野外で発散することが多い。キャンプや釣り、潮干狩りに登山。同僚を集めてパーティを開くのも得意だ。友人には二回り離れた者も多い。彼の社交的な性格ゆえだろう。

一方で、ボルダーとしての彼には、常に難解さが伴なっている。早朝から高速を2,3時間飛ばし、岩場へ行っては傷を負って帰ってくる。秋口に、ボクサーよろしく指を包帯だらけにして不審者扱いされたことも一度や二度ではない。自殺願望でもあるのではないかと訝しむ声すらあった。

彼はなぜ、自らを危険にさらすのだろう?
その答えは、まだ出ていない。

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――真面目にやっつけよう。

男はそのように嘯いてみせた。
だが、彼が一等最初から真面目だったのは、誰もが知っている。蓋し、彼は止めどころを失っているというのが、オーディエンスの共通認識だった。

――「城」だよ。彼は永遠にゴールできないね。
――だけど、カフカの「城」は小説だ。ここで起きていることはすべて現実だぜ。
――大怪我をしていない今こそが、絶好の撤退チャンスだろうじゃないか?

だが、ヤモリよろしく、ひねもす壁に這いつくばっている男の背中を見ていると、うかつに声をかけるのも悪いように思えてくる。失笑は、冷やかしではなく諦めから来ていた。

――君は岩には登れない。いや、登るべきではなかったんだ。

それは、岩に冷たくはね返され続ける男を包み込む、温かい諦観のエールだった。

いつしか男は、オーディエンスの一人となり、夏を満喫していた。
皆と魚釣りに興じ、実際魚を釣り、先ほどまで岩を撮っていたキャメラで仲良く記念撮影。
楽しい夏休み。誰にも邪魔されない休日。懐かしくて、思い出す度に新たな発見がある共通の記憶。それが永遠に続くなら、死んでもいいと思えるような濃密な一瞬。
すべてを水に流し、自分自身も流れていけたなら、人生はなんと素晴らしい事か――。

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皆が去った後、男はこっそり岩場に戻ってきていた。
目的は勿論、嶺の夕。岩の攻略だ。

不可能と分かっていながら、何故人は挑もうとするのか?

――ここだけの話、彼には自殺願望があると思います。ボルダリングというゲームを通じて、彼は生と死を天秤にかけてるんです。いつか天罰が下ると思いますよ。

これは彼の旧友による個人的な見解である。

確かに彼を見ていると、狡猾なコリントスの王を連想してしまう。
彼は神々の怒りを買い、岩を山頂に押して運ぶという厳しい罰を受けた。神々の言い付け通りに岩を運ぼうとするのだが、山頂に運び終える瞬間、岩の重みで底まで転がり落ち、永遠に苦行を繰り返すのだ。

登っては落ち、落ちては登り、何も得るものがない。
岩は非常に重たく、運搬者の心身を着実にすり減らしてゆく。
報われない努力。むなしい自慰行為。果てしない徒労という罰。

だが、それは本当に罰だったのか?

もし彼が1万回岩を運んだのなら、奈落へ落ちたのも一万回ということになる。神々もまた、一万回分の彼の苦行を見守ることで、同じ罰を引き受けていたのではなかったか?

それは最早、罰を目的とした愛だ。

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それから数日後。男はまたぞろ岩場に立っていた。
オーディエンスは零。
性懲りもなく半裸になっている。

そしてついに、彼は課題をクリアして岩から脱出した。
彼はシーシュポスではなかったのだ。

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