『刃の翼（ブレードウィング）』
ある日、鋏は二枚の刃のうちの一枚を失っていることに気付いた。
そのことで鋏はとても傷つき、また涙を流した。
思い返してみると、よく泣いていたような気もするが、半分の頭では、うまく思い出せそうになかった。
それでも、かつて鋏と呼ばれた何かは、自身の存在理由を疑わずにはいられなかった。
モノを挟んで切れなくなくなった鋏に何ができるだろう？
哀しいかな、彼には問うことはできても答えは得られない。
そして、そのことにすら気付けないでいた。
赤い涙が、彼の半身を確実に錆び付かせはじめていた。
そんな彼の問いに答えを与えるべく、様々な人物が彼を利用しようとした。
ある者は、螺子回しに。
ある者は、シャベル代わりに。
ある者は、犯罪のお供にした。
だが、すぐに飽きられて、その場に放擲された。
最後に用途を見出したのは、子ども達だった。
子ども達は、よっほど暇だったのか、彼の頭頂部を公園の岩の割れ目に突っ込んだり抜いたりする奇妙な遊びを開発し、それに没頭した。
やがて、刃が割れ目に食い込んで抜けなくなると、一人二人といなくなり、最後はみんな家に帰って行ったようだった。
それから、何度か空が暗くなったり明るくなったりした。
どれくらい時間が経っただろう。
かつて鋏と呼ばれた何かは、無限とも思える時間の底で、自身の孤独を強く自覚して、まるで考えるエクスカリバーのようだなと、キルケゴールさながらの気付きを得たりもしたが、すぐに忘れてしまった。
考えるのも億劫になってきていたのだ。
だが唐突に、不幸なエクスカリバーは、同じく不幸な一人の男によって岩から引き抜かれることになる。
無論、男はアーサー王ではない。
失業して以来、ギャンブルにのめり込んでいるが、一向に勝つこと能わず、昨夜、長年連れ添った恋人にも愛想を尽かされ、誰でもいいから殺して自分も死のうと考えている、そんな男だった。
男は、かつて鋏と呼ばれていた凶器を握りしめると、何者かの指令を受け取ったかの如く二三度頷いて、少し笑ったように見えた。
次の瞬間、不幸なエクスカリバーは偶然を装い、男の右掌を切った。
鮮血は、彼の涙と驚くほど似通っていた。
錆び付く前に、彼は飛ぼうと思った。
刃を翼にして飛翔しようと思った。
だが、土台無理な話だ。
自分には片翼しかない。
――本当にそうか？
――お前の身体は何でできている？
彼は、自身に切れ込みを入れ、一枚の刃を二枚に増やし、即席の支点を作り上げると、鳥のように天空を仰いだ。
半分の半分の翼で、それでも彼は飛翔することを選ぶ。
そう高くは飛べないだろう。
遠くへも行けないだろう。
いつしかイカロスのように海に墜落して、人知れず腐敗していくのみだろう。
だがその前に、この電線を啄み尽くしてやる。
世界の檻をぶち破ってやる。
闇の帳に照り輝くものを見たら、恐れおののくがいい。
――鳥か？
――ミサイルか？
――違う。
――ぼくは刃の翼。ブレードウィングだ。
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