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『私有地』

ターコイズブルーのフェンス越しに、フシギな花が咲いている。

ボーダーシャツを着た男がそれに気付き、しゃがみこんでスマホ撮影していると、フェンスの奥から、フェイスガードを被った男がやってきて、やにわに声をかける。

「何をしているのかな?」
「あ、どもです。自分、花撮ってました。これ、珍しくないすか?」
「うん、そうだけどね。だめだよ。ここは私有地だから」
「あ、そうなんすか。どーも、すんません」
「てか、撮らないで。撮ったらすぐ消して」
「え? 花撮っただけなんすけど。この花あんたのすか?」
「うん、そうだよ」
「嘘だぁ」
「花だろうと虫だろうと、私有地での撮影は禁止だからね! ここはおれの所有地だからね」

フェイスガードの裏側が、男の吐息と唾で白濁するのを確認したボーダーシャツの男は、もう議論を続けようとは思わなくなった。

「はぁ……。そっすか」
「ちゃんと消してよね。絶対どっかにアップしないでよね」
「あ、はい……。今、消しましたけど……」
「『ゴミ箱』から復元する気っしょ? ダメだよ。それもちゃんと消して。お金もらうよ、マジで」
「そこまでやんの? 何か、エグいっすね」
「エグかろうが、何だろうが、私有地は私有地だから」

ボーダーシャツ男は、言われた通り、「ゴミ箱」の中のデータを削除してフェンスの前から消える。

フェイスガードをした男は、獰猛な鼻息を内部空間に反転させながら、件の花の前に仁王立ち、道行く人を監視し続けている。
誰かが少しでも立ち止まる気配を見せると、

「何見てんだよ? ここ、私有地だけど? 私・有・地!」

と、ポリエチレンテレフタレートで反響した甲高い声で威嚇することを忘れない。

暫しは、人影すらなかったが、空が橙色に覆われ、アスフェルトに影が伸びる頃、ハンディ扇風機を持った背の高い女と、その女に傘を翳すためだけに生きているのではないかと思えるほど病的に痩せた男がやってきて、ターコイズブルーのフェンス前で、つまり件の花の前で談笑を始めた。

「私は必要ないと思うな。男性専用車両」
「でも、ぼくなんか電車乗る時ね。毎回こうして、両手を上げたりしてさ」
「だから、それでいいじゃん。快適じゃん」
「だけどさ、この流れが進むとさ、女性専用救急車とか女性専用聖書とか、女性専用花火大会とかも、全部OKってことになるよね」
「だから、そっちのが楽しいじゃんって」

またぞろ、フェイスガード男が、己が領地を守るためにやってきて、二人を脅かす。

「悪いんだけど、他所でやってくんないかな?」
「誰? 何で?」
「何でもだよ」
「いや、別に関係ねーじゃん、あんた」
「ここは、おれのテリトリーなんだよ」

ハンディ扇風機を持った背の高い女と病的に痩せた男が、顔を見合わせ、声量を落として相談する。

「どうすんのよ。あんたのせいで、ヤバい奴来たじゃん」
「え? ……ぼくのせいですか?」
「そうよ。当たり前じゃない」
「テリトリーって、どゆこと?」
「縄張りじゃない?」
「そっか。で? えっと……。うん?」
「だから、それを他所でやれと言ってるんだよ。おい、聞いてんのか?」
「どうすんのよ、コレ。男なんだから、退治しなさいよ」
「コレとは何だ。おい。こら、貴様。貴様だ、アバズレ。ここはおれの王国なんだが?」
「はいはい、分かったから。とりあえず、謝っとこ。ねぇ、ほら。早く」

背の高い女は、病的に痩せた男に扇風機を向け、香水混じりの生暖かい風を送り込み、暗黙の了解を取りつけたようだった。

「ごめんね、君の王国に土足で踏み込んで」
「消えろ! 二度と現れるな!」

暫くすると、フェンスの奧から、先に揉めたボーダーの男。
周囲を見回しながら、牛歩で近づいてくる。

「あのぉ……」
「何だ、お前。どうしてここにいる?」
「あ、はい……。それが、自分でもよく分からなくて」
「あ?」
「どうやって来たのか分かんないんです」
「馬鹿め。写真を消さなかったな?」
「消しましたよ」
「嘘をつくな」
「あ、いや。ちょっと、珍しかったから。つい……」
「馬鹿め」
「何なんですか、ここは? 何処まで行っても、ここに戻ってくる」
「もう、戻れないぞ。お前」

言うと男は、おもむろにフェイスガードを外す。
そこには、ボーダーの男と瓜二つの憂い顔。

「え? え?」
「え? じゃねーよ」
「ってか、おれ? 嘘」
「嘘じゃねーよ。虹森閉開(にじもりとじあき)だよ」
「いやいやいや……それはさすがに。いやいやいや……」
「この花だよ。この花を見たせいだ」

虹森閉開だった男が、足元の花を指さして宣う。

透明に色づいた螺旋の花弁。
豆電球のアンカーおよびフィラメントによく似た銀色の雌蕊と雄蕊。
それらすべてが、手招きするように風に揺れている。

「いや、でも。他にも見てた人いましたよね?」
「いねーよ。あいつら何も見てねーよ。何となく道歩いてきて、何となく花の前を通り過ぎただけ」
「いや、でも、いまいち説明になってないっていうか」
「混乱してるな。分かるよ、閉開。おれもそうだった」
「いやいやいや、気持ち悪いし。こんなの、絶対おかしいですって!」
「おれだって、よく分かんねーんだってば」
「そんな、他人事みたいに言わないでくださいよ」
「考えられんのは、この花が自他の境界を狂わすってこと」
「境界? 何です、境界って」
「こっちとあっち。お前とおれ。生きるとか、死ぬとか」
「あぁ、そういう」
「そういう区別があった世界から、ない世界へ来ちまったんだよ、おれらは」
「幻覚ですよ。全部、その花が見せる幻想なんだ!」
「だったらいいけどなぁ。おれはもう、半年抜け出せてねーよ」
「嘘でしょ?」
「だから、嘘も本当もない世界なんだってば」
「あああああぁぁ! 意味分かんねーよぉぉ」
「あああああぁぁ! ねぇんだって、意味は」
「こんな、二人して、アホ面さげてさぁ」
「せめて、かわいい女の子だったらなぁ」

新米虹森閉開は、詮方なく、ターコイズブルーのフェンス直下に咲き誇るあえかな花を長いこと見つめ続けた。
するとどうだろう。古参虹森閉開の感じていること・考えてること・見ていることが、内部から自ずと了解されてくるような気がしてくるではないか。

いつしか二人は、共に尿意を感じて立ち上がり、フェンスの角に移動して仲良く放尿したりする。いちいちの完全なる一致からくる気まずさに、ため息を漏らすタイミングまで酷似しはじめる。

「次に誰かが入ってきたら?」
「今、おれもそれを考えてた」
「女の子でも、やっぱ、あれなのかなぁ?」
「あぁ……。きっと、そうだろうな」
「おれ達みたいな、アホ面の女か……」

ターコイズブルーのフェンスの果てで、最初はおずおずと、だが最後は熱情的に、虹森閉開達は交配したようだった。
草むらに寝そべり、同じ夕日を眺めている二人は、確かにここが自身の王国であると実感している様子。

「なぁ、虹森」
「何だい、閉開」
「君は美しい」
「冗談やめてよ」
「冗談なんか言うかい。この世界には、美しいも醜いもないんだ」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない」
「君は、あの花、ただ見ていたわけじゃないんだろ?」
「ん?」
「君は、あの花を美しいと思ってただろ?」
「君もか?」
「うん」

虹森の瞳の奥には、屈託のない笑顔を宿した分身の鏡像。
虹彩が王冠のように照り輝いている。

二人は、どちらからともなく、頬に接吻した。

「見て、閉開。向うから人が来るわ」

透明な花を髪飾りにした虹森の片割れが、フェンスの先を指さして叫ぶ。

「あの人に助けを呼んでもらおう」
「馬鹿、やめろ!」
「おぉい!」

―――――――――――――

数時間後、フェンス越しに、三人の虹森。
ターコイズブルーの金網をガチャガチャ揺らしながら、合唱するように、己が権利を主張している。

「私有地だぞ! ここは、私有地だぞ!」

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