お酒との距離のこと
ひねもすさんのワインの記事を読みました。
とっても良い記事です。そのなかでもいくつか自分に刺さったところがあったので少し考えたり思い返してみたりしました。
とても考え込んでしまいました。自分にとっては内面化されていればよいかなと考えていたことがあったのですが、それは非言語的なものの場合は考えるときやコミュニケーションのときに少し弱いのじゃないかと振り返るとふと自分の「わかる」ということは何なのだろうかと考えだしたからです。
お酒について以外にも言えるのですが「わかる」ということは言い換えると自分ひとりでお店に行くことができること、自分自身でその分野を進んでいけるようになる知識と経験、技術などを身に着けることなのかなと思います。
たとえば日本酒BARに行ったとします。お店の揃えは抜群だったとしてそのお酒のなかから今夜の素敵な一杯に出会えるかというと、運もありますが自分のこととお酒のこと、両方をほどよく言語化してお店の人に伝える必要があります。
ちょっとしたテクニックのひとつとして「経験豊かなお酒飲みの人と一緒にお店に行く」というものもありますが、いつでもその人と一緒に行くことはできないでしょう。またお店の人にお酒のことを聞くことである程度は補えますが「飲んでみればわかる」ではなかなか時間がかかってしまいます。
自分の言葉で自分のこと、お酒のことを話す必要があるのだなぁと思います。
これはとっても刺さりました。少なくとも自分といくつかのお酒の間では「勉強したくなかった」、「発言に責任を持たずラクでありたかった」「勉強しようという踏ん切りがついていなかった」ものがあります。
少し棚卸しようと思います。
まず私にとってワインは経験も少ないですが、今思うと経験を積もうと思わなかった、意識的に避けてきたことがあります。
日本酒はちょっと特別で付き合いは長いですが、感覚的な内面化だけされていて言語化されないまま時が経過していました。自分でお酒を選ばなくてもてお店の人がおすすめをとても上手に選んでくれる幸せなお店を見つけたからという理由もありますが、勉強してなかった言い訳にはなりません。
ウィスキーは唯一、詳しくはないけれども一人でお酒を飲みに行ったり、自分で進んでいける状態にあるお酒かもしれません。
クラフトビールは最近勉強しはじめました。一番飲む頻度が高いということもあって経験と知識が身についているかもしれません。
何度も頷いた一文です。一人で進んでいけるということは自由だなと感じます。
ここも何度も頷いた文、かつ好きな文です。
私自身ここしばらくお酒を飲むときは酩酊を求めていたのかもしれないです。でも以前ウィスキーを飲んでいたときは毎回新しい出会いを探してBARの棚を眺めていました。ウィスキーのオールドボトルの素晴らしいものを飲んだときの感じはこのぴったりかみ合う状況に近いのではないかなと思います。
一つの分野での経験というのは他の分野でも応用が利くといいますが、日本酒やワイン、クラフトビールでの素晴らしい出会いを想像しながら勉強するのは悪くないですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?