ひなちゃんの親は紛れもなく我々である

 ひなちゃんが生まれてからの1ヶ月はあっという間に過ぎた。その間親としては寝不足で辛かったが、ひなちゃんはなんの問題もなくすくすくと育っていた。
この頃にはひなちゃんの泣き方にも種類があることに気付いた。ミルクがほしい時の切羽詰まった泣き方と、だっこしてほしい時のまだ余裕のある泣き方。我々も慣れてきて、この泣き方ならまだほおっておいて大丈夫かと、少しずつ子育てにも手を抜く余裕が出てきた。
 そんなこんなで迎えた1ヶ月検診。当日はほぼ初めての外出ということもあり、我々3人と僕の両親にも付き添ってもらった。出産した同じ病院の、産科ではなく小児科に行くというのがなんだか不思議な感覚だった。
検診の結果は全く異常なし。医師からも、順調に成長していますとお墨付きをもらった。一安心した一方で、視覚障害を持つ親としての課題が見つかったのも事実だ。
 医師や看護師さんから、ひなちゃんの状態や今後のことについての説明を受けている時だ。僕の両親も一緒にそれを聞いていたのだが、スタッフの方はどうも我々ではなく僕の母親に向かって説明をしている。客観的に見ても、子供の両親ではなく祖母に話をしているという事実は違和感でしかない。
もちろんスタッフに悪気がないのは百も承知である。それに、見えない人より見えている人に話したくなる気持ちそのものは正直わからないでもない。だからこそ、おそらくそうなるであろうことは我々も予想していた。これまで視覚障碍者として生きてきた経験からである。いいのか悪いのかはさておき。
ただひなちゃんの親は他でもない我々だ。子供の全責任を負うのが親としての義務だし、だからこそひなちゃんのことを一番に知る必要がある。
産科に通院している時は、そんなこと考えたこともなかった。それはおそらく最初から二人だけで通い始めたからだろう。
我々は視覚障害者の夫婦であり、二人だけで生活をしていること。そして実際に二人で病院まで来ているという事実が、何より説得力があったのかもしれない。
「きっとこれからこういうことは山ほどあるよ」
帰りの道中妻と話をした。これからひなちゃんが大きくなるにつれて、視覚障害のある両親に対しての社会の様々な見方を知ることになるだろう。
全く怖くないと言うとうそになるが、怖いとかそんなこと言っている場合ではない。
子育ては一瞬たりとも待ってはくれないし、何よりそんなことも全部ひっくるめてひなちゃんを迎えることを決意したのだから。
「次回の通院からは二人でひなちゃんを連れて行こう」
それが我々の出した結論だった。
できないことまで頑張って二人だけでやろうとは思わない。赤ちゃんのお世話の中には、どうしても目で確認しなければならないこともある。
ただ少なくとも、ひなちゃんを病院に連れて行くことは我々二人だけでもできることだ。

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