過食嘔吐の日々〜大学生活編〜③
リタリンとの出会い
本気で摂食障害(過食症)を治そうと決意した私は、心療内科に通院することにした。
病院は、住んでいる千歳烏山から1本で行ける新宿にある心療内科を選んだ。
田舎者あるあるの考え方かもしれないけれど、都会である「新宿」にある心療内科ならきっと安心、という謎な思考パターンによるものだ。
(それが最終的には悲劇の幕開けとなることをその時の私は知る由もなかった・・・)
まず、病院につくと診療として、紙を渡され木を描かされた。
これはバウムテストというもので、木の描き方でその人の心理状態が分かるとか、分からないとか。
今思えば、完璧にまっとうな人が描く理想タイプの木を描いていた。
心理学の授業にも参加していたわたしはそういうことに対しては詳しかったというのもある。
それでも、何らかの鬱的な病名を頂き、薬が処方された。
その薬がリタリンだった。
リタリンとは
リタリンは、睡眠障害のナルコレプシーや難治性うつ病などの治療薬として使用されていた薬のこと。
1958年に発売された。ただ98年には、有効性と安全性の観点から、通常の抗うつ薬では効果が不十分な難治性・遷延性うつ病に対する抗うつ薬と併用する薬剤に、適応が変更された。
(このとき既にそう簡単には処方されないレベルの薬に指定されていたはずなんだが・・・)
リタリンの作用機序は、シナプス前部でモノアミン類の放出を促進し、再取り込みを抑制することによって、神経伝達物質であるドパミンやノルエピネフリンの脳内シナプス間隙における濃度を上昇させ、その結果として脳の一部の機能を活性化するとされている。
その薬理作用から、中枢神経系を刺激して、覚醒作用や気分を高揚させたりする場合があり、薬物依存(乱用)が問題となっていた。
また、食欲抑制作用があることから「やせ薬」としての使用もみられるため、わたしもみるみるうちに痩せていった。
リタリンの効果
当時は、上京したばかりの超純粋な私は、何も疑わずにその薬を飲んだ。
飲んだその日から、まるでスーパーウーマンになったかのような気分だった。
まず、朝に目が覚める(昼夜逆転生活が改善)
大学の1限目の授業に行ける(間に合っただけで奇跡)
90分間授業に完全集中できる(人生でたぶん初めての体験)
食欲がわかず、過食衝動もでない(過食嘔吐もぴったり止まる)
常に意欲がわき、継続的に同じ行動ができる(習慣化というものを経験)
とまあ、挙げたらきりがないほどに生活と人生が改善した。
リタリンを処方されていた1年でほぼ、卒業できるくらいの単位を取得できた。
むしろ、この期間がなかったら、学校にも行かない引きこもりの私は一生留年か、中退していたこと間違いなしだ。
もし、この薬を飲んだ状況が普通の人の普通の人生であり、普通の感覚であるとしたら、そうでない自分の身体と脳を呪っていたと思う。
この人生がずっと続けばいいと思った。
常にスーパーマリオ状態の気分だった。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
乱用されていたリタリン
定期的に通っていた新宿の心療内科のクリニック。
ある日、行ったら廃業していた。
数週間前には普通にやっていたのに。
私は絶望的な気持ちに陥った。
その通っていたクリニックが、乱用している患者にリタリンを不正に処方していたらしいことが後日ニュースで分かった。
そういえば、そのクリニックには、ガリガリの人たちがたくさんいた。
目が死んでいた。
拒食症は大変だな・・・と過食症に移行した私は安易に考えていたけれど、
あの人たちは拒食症の人たちなんかじゃなかったのだ。
薬を乱用していたヤク中の人たちだったのだ。
そして、そのままリタリンはうつ病には適用禁止になり、私はそれから二度とリタリンに会うことはなかった
彼らに対する恨み、簡単に処方してしまっていた先生に対する恨み。
それらの恨みはどこへぶつけたらいいのか、それさえもわからなかった。
自分を支えていてくれた大事な存在を失ったような感覚だった。
これから、どうやって生きていけばいいのか、まったくわからなくなっていた。
過食嘔吐生活に戻る
結局、私を支えてくれたリタリンは私の人生から退場し、
私は、また過食嘔吐生活に戻っていった。
過食嘔吐は、リタリンを処方される前よりひどくなっていった。
大学にも行けず、家から出ることも叶わず、家の中はゴミだらけになっていった。
外出するときは、過食嘔吐する材料を買いにコンビニに行く時だけ。
今が朝なのか、夜なのか、昼なのか。
時計を見ても、それがAMなのかPMなのか分からなかった。
自分が生きていると感じるのは、食べて、食べて、食べているときだけ。
その後の嘔吐でまた現実に引き戻された。
そして、必ずついて回る罪悪感にさいなまれていた。
いつも思っていたこと。
生まれてきてしまって、ごめんなさい。
私なんかが生きていて、ごめんなさい。
誰に謝ってるのかもわからないけれど、見えない何かに必死に謝っていたように思う。
本当につらい時期だった。
つづく
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