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日本人に過剰な接客を求めすぎる日本人。

滝川クリステルさんが日本を代表して、世界に向けて「お・も・て・な・し」と言い放ってから早6年。

着々と2020年のオリンピックに向けて街も変わりつつあります。
ひとつ身近な変化として、日本の国内の外国人数が急増していることがあげられます。観光客に限らず、外国人労働者も当たり前になってきたこのご時世で、日本人が払拭できていない感覚があるように感じています。

外国人ならセーフで、日本人ならアウトな接客?

先日、友人と飲食店に入ったときのこと。
最初に接客に来てくれたのは、東南アジア系の若い男性でした。日本に来てどのくらいかはわからないけれど、見るからに接客も不慣れで、日本語も単語で話すくらいです。

だからといって、店員さんとおしゃべりにきたわけじゃないし、とりわけ不自由なことなどはありません。ですが、パチパチと油がはねるあっつあつの鉄板料理をもってきたあと、おもむろに紙エプロンを渡してくれました。

そのシーンで友人がひとこと、「これ、日本人の接客だったらアウトだわ。」と、少し怒り混じりな様子。

たしかに、油がはねてやけどしたり、服が汚れたりするのも嫌だし、最初から準備しておいたらいいのでは?と改善の余地はあるものの、外国人ならOKで日本人はNGという理由にはならいないのではないでしょうか。

なぜだろうかと怪訝に思いながらも、自分にも同じような感情をいだくシーンがあるなと思いあたりました。
例えば、コンビニでぶっきらぼうな接客だったときも、外国の方ならなぜか”仕方ないな”と思うのですが、日本人だと”感じ悪いな”と思ってしまうが挙げられます。

「お・も・て・な・し」に過剰な期待を寄せているのは、他の誰でもなく日本人なのかもしれません。

言葉が分かるんだから、気持ちもわかるでしょ?という誤解

なぜ日本人と外国人とで感じ方が違うのかといえば、「文化の違い」が影響しているように思います。

小さな島国で独自の文化を築いてきた日本は、異なる価値観を受け入れることが苦手な一方で、”文化が違う”とくくってしまうことで、別世界のものだと認識する傾向にあるようです。

外国の方は文化が違うのだから、感覚が違って当たり前ということは理解できますが、一方で同じ日本人に対しては、「言葉も文化も一緒なのになんで?」という意識が働くのかもしれませんね。

個人ではなく、人種として人を見てしまうのは、まだまだ後進的な気がします。

コミュニケーションが下手なだけ?

もうひとつは、日本人特有の内気な性格が影響しているようにも思います。
私なんかは特にそうですが、日本語で話しかけて、他の言語で返されたら対応できないかもと、他言語とのコミュニケーションに苦手意識があります。
その分、同じ日本人には強気という、いわゆるグローバルレベルの”内弁慶”という感じです。

友人の言った「日本人ならアウト」も、”言葉が通じるから言ってやる”というニュアンスを含んでいるように感じましたが、本当に自分にとって必要なことなのであれば、相手が誰であれ主張するはずですよね。
きっと、彼とコミュニケーションをとる自信がなかったのだと思います。

サービスを求めるのならお金が伴う

では、「お・も・て・な・し」を求めるには、どうしたらよいでしょう?

いわゆる一流と言われるホテルや料亭などでは、”接客の質”も含めてなかなかのお値段を支払います。だから、そこには感動を覚えるようなサービスが待っていて、高額でも払った価値があったと満足できるレベルで提供されます。

多くの人が、それが近場の飲み屋やコンビニ、飲食店にも、「お金を払っているんだから」という理由だけで同じように捉えてしまっているのかも知れません。

解決策は、意外とかんたん。
それなりのお金を払えばいいんです!

粗雑な接客がどうしても我慢ならないのであれば、サービスをきちんと買うべきなのかも知れません。(いわゆるサービス料を払う場所へどうぞ)

おわりに

私自身の意識も含めて、まだまだ感覚が古いままなのかなと思った出来事をご紹介しました。

もちろん「お・も・て・な・し」の文化は日本ならではの素晴らしいものですが、受ける側が過剰な期待をいだくものではないなと思います。

提供する側の想いが、相手の気持ちを汲んだり、慮ったりするものだと心得ておきたいなと思います。

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