見出し画像

チャリティーの課題の一つは「頻度」

数年前のことですが、チャリティー活動を行っているスポーツ選手に「その活動について取材させてもらえませんか?」とお願いした際、「あまり公にしたくないんです」と言われたことがあります。

よい行いは人知れずすべきもの。そんな慎ましさを持つ日本人は、そもそも「自分はこんないいことをやっているんだよ」と語ること自体に抵抗があるものですが、それ以上に「売名行為だ」「偽善だ」と批判される不安があるのだといいます。特にアスリートの場合は成績が下がると「そんなことしてないで本業をしっかりやれ」と叩かれることもあります。

以前、ある選手の知人の子どもが重い病気にかかり、その選手の所属チームが治療費を集めるためにスタジアムで募金活動を行ったことがあったそうなのですが、次の日から「うちの子も病気です。募金してください」という問い合わせが殺到し、対応が追いつかなくなったそうです。中には、「どうしてその子だけ特別なのか」というクレームのような意見もあったようで、それ以降特定の子どもを支援する取り組みはやらなくなったと聞きました。

ある子ども支援の団体の方にお聞きしたのですが、善意でやったつもりの行動が批判の対象になってしまうことは、日本ではそんなに珍しいことではないようです。その団体でも、活動を広報すると「素晴らしい活動で感動しました」と電話が来る一方で、「なぜその子ばかり?」「なぜほかの子はやってもらえないの?」という電話もかかってくるそうです。

活動するスタッフとしてはつらいところですが、問題を抱えている人の「なぜやってもらえないのか」というクレームをやみくもに批判することはできません。その人たちの思いもまた切実ですし、本来であればみんなが救われるべきだからです。

そこで、ある数字に着目していただきたいのですが、その支援団体の本部があるアメリカでは、活動実績の頻度が「34分に1回」、日本の支部では「1.5日に1回」なのだそうです。この頻度の差から、日本では慈善活動がまだ「珍しいもの」のカテゴリーに入っていると言えるのかもしれません。

「珍しいもの」「特別なもの」となれば、「うちだって困っているのに、どうしてその子だけ特別なの?」という意見は自然と出てきてしまうでしょう。支援頻度の高いアメリカでは、「我が家にもそのうち支援が回ってくるだろう」と考える人が多いと聞きました。そのため、活動する側も批判を恐れることなく、堂々と公にできるのです。

チャリティー活動が日常茶飯事として、当たり前に行われる社会。それが実現できれば、誰がどんな形でサポートを受けていても特別視されず、批判もなくなるのではないでしょうか。

その実現のためにも、プロ野球選手たちには名前をどんどん出してもらい、チャリティー活動を世に広めて「当たり前」の世の中を作ってもらえたらいいなと、個人的には思っています。そして、プロ野球選手としての知名度を活用することで、社会問題を広く認知させるお手伝いもしてもらいたいな、と。ただ、こればかりは個人の考えによるものですので、「どうしても名前を出すことに抵抗がある」という選手には、無理に勧めることはしません。

最近は、プロ野球選手をはじめとする著名人たちが、チャリティー活動をオープンに行うことが増えてきました。この流れがもっと進めば、そのうち「売名行為」なんて言う人もいなくなるでしょう。

プロ野球選手はアスリートの中でも特に影響力が大きいので、ぜひ批判を恐れずに、むしろ「チャリティーが当たり前になる環境を僕たちが率先してつくっていくんだ!」くらいの勢いで活動してほしいと願っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?