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King Charles III’s coronation.(チャールズ3世戴冠式)

5月6日に、英国のチャールズ3世カミラ王妃の戴冠式が行われます。タイトル画像は、公開されている招待状の一部です。

エリザベス女王が、2022年9月8日に逝去されてからまもなく8か月。私は、女王が亡くなったことが突然のように感じられて、ご葬儀もまるで夢でも見ている気分だったのですが、あっと言う間に時は流れて新国王の戴冠の日になりました。
戴冠の日の星読みは別記事にするとして、戴冠に合わせて発表されているあれこれに描かれている「象徴」について書いてみます。

戴冠式(coronation)という言葉は、王冠を意味するラテン語のコロナに由来しています。君主制の国家で、国王が即位の後、聖職者等から公式に王冠を受け、王位への就任を宣明する儀式です。
日本では、即位礼正殿の儀がこれに相当します。

キリスト教国では、聖職者が新君主に聖油を塗油し、神への奉仕を誓わせる儀式が主体であるため、英国では聖別式(consecration)とも言われます。


英国の戴冠式は

ロンドンのウェストミンスター寺院で行われます。
まず、カンタベリー大主教が祈祷し、国王は宣誓して「スクーンの石」がはめ込まれた戴冠式の椅子「キング・エドワード・チェアー」(エドワード懺悔王の椅子、King Edward's Chair)に着席。
大主教は、国王の頭と胸、両手のてのひらに聖油を注ぐ。
次に、国王は絹の法衣をまとい、宝剣と王笏、王杖、指輪、手袋などを授けられ、大主教の手により王冠をかぶせられる。
国王は椅子に戻り、列席の貴族たちの祝辞を受ける。その後、国王の配偶者も宝冠(coronet)を受ける。

King Edward's Chair

運命の石

スクーンの石は、代々のスコットランド王がこの石の上で戴冠式を挙げたとされ、スコットランドを象徴する文化遺物の一つです。運命の石(Stone of Destiny)とも呼ばれます。重さは150キロ。

1296年にエドワード1世が、スコットランド征服の戦利品としてイギリスに持ち帰り、王の椅子の座面の直下に取り付けられました。
その後、イギリス王たちはこの椅子に座って戴冠しました。この石がスコットランドの象徴とみなされていたことから、イギリス王がこの石の上で戴冠することによって、自らをスコットランドを支配する王であると宣明していたのです。

1996年、スクーンの石は700年ぶりにスコットランドに返還されましたが、英王室の戴冠式には一時的に戻される約束のため、今回のチャールズ3世の戴冠式に合わせウェストミンスター寺院に戻ってきています。

King Charles' coronation to feature historic return of Stone of Destiny (msn.com)
Stone of Destiny heads south for coronation - BBC News

1950年のクリスマスに、数人の若者たちがウエストミンスター寺院に侵入し、石を密かにスコットランドに戻した事件があり、その時に石は破損してふたつに割れてしまったそうです。
彼らは、スコットランドの政治家で石工でもあったロバート・グレイに補修を依頼しました。元通りになった石は、1951年4月11日アーブロース修道院(1590年頃から廃墟になっている)に置かれているのが発見されました。

運命の石を盗んだ学生-BBCニュース
1950 removal of the Stone of Scone
『Stone of Destiny』(映画)

1929年にロバート・グレイはスクーンの石のレプリカを造っていました。

ロバート・グレイは真鍮の棒を大小2つの石に差し込んで石を合体した。
グレイはこの時、この石が真正な物であることを示すために石の中に紙切れを挿入した。グレイはその紙片に何を書いたかを誰にも明かすことなく1975年に死去した。このため紙片上の文言は今に至るまで不明のままである。

wikiより

戴冠(油注がれた者)

王冠の前身は、ダイアデムと呼ばれるヘアバンドで、コンスタンティヌス1世(在位:306年-337年)によって採用され、後のローマ帝国のすべての支配者によって着用されました。

現在のように冠の形になったのは、457年東ローマ皇帝レオ1世の戴冠式からだったようです。

中世ヨーロッパの戴冠式は、本質的にキリスト教の油注ぎの儀式と追加の要素の組み合わせでした。最初に油注ぎの儀式を行ったのは、496年フランク王国の初代国王クローヴィス1 世(後述)と言われています。

聖書には「油注がれた者」(=メシア(救世主)という記述が見られます。聖書の時代の「油を注がれる」ということは、神の祝福や召しを示していました。(出エジプト、列王記ほか)
人々は、特別な役割や目的のために油を注がれたのです。

王笏と宝珠(オーブ)

古代から戴冠式で使用されている王冠と王笏とオーブ(グローブスクルーシガー)は、君主が国家とキリスト教の権威の象徴になることを意味します。
イギリスにおいては、君主制の保護と支配下にある国家とイングランド国教会の両方を象徴しています。

チャールズ2世

王笏(ロイヤルセプター)の原型は、羊飼いの杖から派生したものですが、それは権威の象徴です。
聖書の創世記は、ユダ王国の王笏に言及しています。
「王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。シロが来るまでは。民の集まりは彼の手にある。」— 創世記 49:10

キリスト教以前の王笏は、先端に鷲がついていることが多かったそうですが、キリスト教以後は十字架が付けられることが多くなりました。
イギリスでは、ライオンハートと呼ばれたリチャード1世(1157年9月8日 - 1199年4月6日)の時代から、それぞれ十字架と鳩が先端に付いている2本の王笏が同時に使用されていたそうです。

英王室のレガリア

イングランド内戦後の英連邦時代に、王冠、王笏やオーブなどは宝石が取り除かれ、金の部分は溶かされてコインになったという経緯があります。
そのため1661年のチャールズ 2 世の戴冠式の時に作り直され、それ以後何度か君主に合わせて作り変えられています。

十字架の王笏は主権者の世俗的な力を表しており、鳩の付いた王笏は「公平と慈悲のロッド」として知られ、精神的な役割を表しています。

司教から王笏を受け取るエリザベス2世

宝珠(オーブ)は、世界を象徴する球体に対し、キリストの印である十字架の支配権を象徴しています。文字通り、宝珠を手で持つことで自らの支配権を表します。
英王室では、英国国教会の長としての君主の役割を象徴しています。

宝珠は、1509 年ヘンリー 8 世の戴冠式で最初に使用されました。
宝石の帯は、オーブを3つのセクションに分割し、それは中世に知られた3つの大陸を表しています。
オーブの上にはアメジストの上に宝石で飾られた十字架があり、キリスト教の世界を象徴しています。

サルバトールムンディ(Salvator Mundi)

世界の救世主を意味するサルバトールムンディ(Salvator Mundi)は、右手が祝福を表し、左手でオーブ(グローバスクルーシガー)を持ったキリストが描かれています。
グローバスクルーシガーは、天文学、占星術では地球を表す記号( ♁ )です。

戴冠式のエンブレム(公式ロゴ)

エンブレムが発表されたのは、2月11日頃でした。バラ、アザミ、水仙、シャムロックなどのイングランドを象徴する草花が描かれています。
メディアによると、ユニオンフラッグの赤・白・青を基調とし、チャールズ国王の「自然愛」を表しているそうです。

ロゴデザインは、iPhone を含む Apple ガジェットのデザインをしたジョナサン・アイブ氏によって作成されました。ジョナサン・アイブ氏は、ロンドン生まれ。現在はアメリカ・カリフォルニア在住。2006年に大英帝国勲章を授与されています。

蛇足ですが説明しますと、真ん中の花はバラです。バラはイギリスの国花。
アザミは、スコットランドの国花。タンポポに見えますがアザミです。有名なガーター勲章に次ぐ2番目に高位が、アザミ勲章(シッスル勲章)です。
水仙は、ウェールズの国花で、ウェールズの守護聖人である聖デイビッドに関連しています。
シャムロック(クローバー)は、アイルランドの国花でもあり、聖パトリックのシンボル。

中央にイギリスの国花の薔薇
チューダー朝の薔薇

ロゴ中央の花の王冠は、戴冠式で使用される聖エドワードの王冠を表しているとのこと。

聖エドワード

聖エドワードとは、エドワード懺悔王(Edward the Confessor、1004年頃 - 1066年1月5日)のことで、イングランド王国を実質的に統治した最後のアングロ・サクソン系君主です。
エドワード懺悔王の統治は、1042年6月8日 – 1066年1月5日の24年に及び、その時代としては長いと考えられますが、王位継承者がいなかったため、エドワード王の死後は権力をめぐる内紛が起きました。

エドワード王の死後、王の妻の兄にあたるハロルド2世による短い統治(
1066年1月5日 – 10月14日)がありましたが、ノルマンディー公だったギョーム(のちのウィリアム1世(ウィリアム征服王)がイングランドを征服し、現在のイギリス王室の開祖となりました。
1066年12月25日、ギョームことウィリアム1世は、ウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として戴冠しています。
ウィリアム1世の戴冠式は、征服でなく正当な王位継承資格がある(エドワード懺悔王の母エマが、ギヨームの大叔母だった)ことを示すために行なわれたそうです。

ウエストミンスター寺院は、1045年から1050年にエドワード懺悔王により基礎が造られたと言われています。
1066年のウィリアム1世以降、英国国王の戴冠式が行われており、故エリザベス女王の戴冠式、葬儀もウエストミンスター寺院で行われました。
国会議事堂やビッグベンが隣接しています。

聖エドワード王冠

聖エドワード王冠(St. Edward's Crown)は、かつてのイングランド王室祭具であり、イギリス王室祭具のうちでも古いもののひとつである。
これはまずイングランドの、次いでイギリスの、最終的に英連邦王国の戴冠式で使われるようになった正式の戴冠用王冠である。
その役割から英連邦王国のあらゆる場所において、この王冠を図版で表現したものは、統治者たる王の権威を示すものとして紋章、記章、その他様々な印で使われている。

エドワード懺悔王のオリジナルの王冠は、1065年のクリスマス頃に王自身が使用したと言われていますが、1065年12月28には脳卒中のため病床に臥せっており、1066年1月5日に崩御されています。

1066年12月25日のウィリアム1世の戴冠では聖エドワードの王冠が使用されており、そのあとも続けて1199年のジョン王(1166年12月24日 - 1216年10月18日または19日)の戴冠までは使用された記録があるそうです。
その後、王冠はウェストミンスター寺院に保管されていましたが、イングランド内戦中の1649年に君主制が廃止されたときに、売却されたか、解体されました。

現在の聖エドワード王冠は、 1661年にチャールズ2 世のために作られました。純金で高さ30センチメートル、重さ2.23キログラムで、444 個の貴石と半貴石で飾られています。
王冠は重量と全体的な外観がオリジナルと似ているそうです。

聖エドワード王冠のレプリカ
エリザベス2世の戴冠式

王冠のデザインは交互に配置された4個のクロスパティーと4個のフルール・ド・リスを基調としています。
内側は白貂の毛皮で縁取ったベルベット帽になっており、その上に2本のアーチが十字形に組まれ載せられています。

フルール・ド・リス

フルール・ド・リス(fleur-de-lis)の直訳は「ユリの花」ですが、一般的なユリではなく、ユリ目に属するショウブやアイリスを指しています。
フルール・ド・リスは、ヨーロッパの紋章や旗に何世紀にもわたり数多く見られ、歴史的には特にフランス王家と関係が深く、スペイン王家やルクセンブルク大公家も紋章に使用しています。
また聖三位一体を表すとして、キリスト教はアイリスを聖母マリアの象徴に用います。

フルール・ド・リスの起源は、フランク王国の初代国王クローヴィス1 世 (466年頃 - 511年11月27日)の洗礼にあるそうです。

クローヴィス1世は、カトリックに改宗した王様でした。改宗の際の洗礼を、508 年のクリスマスの日に受けたと伝えられています。
そのとき、クローヴィス1世の塗油(後述)のための小瓶(アンプル)がアヤメの花の形をしていた(あるいはアヤメの花柄だった)らしい。
伝説では天使がその小瓶を持って降りてきたとか、鳩によって運ばれてきたとか言われています。
つまりアヤメの花は、神様の贈り物で王族の神秘性を表しているとされたのです。それをもとにフランスは、王家の紋章にアヤメを採用した可能性があります。

フルール・ド・リスをクローヴィスに送る天使を描いた 15 世紀の写本。

英国の紋章でのフルール・ド・リスは、王の子息の6番目の男子に与えられていたそうですが、13 世紀の初期のチューダー朝 プランタジネット家のの紋章に多く使用されています。

クィーンメアリーの王冠

チャールズ国王の戴冠式では、カミラ王妃の戴冠も行われ、カミラ王妃はクィーンメアリー(1867年5月26日 - 1953年3月24日)の王冠を使用する予定です。

王冠の高さは25 cm 、重さは590 g。銀メッキの王冠には約 2,200 個のダイヤモンドがあり、元々は105.6カラット のコイヌールダイヤモンドと 94.4カラットのコイヌールダイヤモンドが含まれていました。1914年に、これらのダイヤモンドはクリスタル レプリカに置き換えられているそうです。

メアリー女王の王冠

コイヌールダイヤモンド
かつては世界最大のダイヤモンドと呼ばれ、その歴史において周辺国の幾人もの王侯がその所有を争った。最終的にインド女帝となったイギリスのヴィクトリア女王のものとなり、現在はロンドン塔で展示されている。大きさは105カラット (21.6 g)。
インドは独立以降、イギリスに返還を求めている。

カミラ王妃は、インド政府による抗議を受けて、コイヌールダイヤモンドとエリザベス女王(エリザベス2世の母のエリザベス皇太后)の王冠は使用されないとのことです。

大英帝国王冠

チャールズ国王が使用する聖エドワード王冠は重いため、戴冠式中のみで用いられ、戴冠式の後のパレードには大英帝国王冠(インペリアル ステート クラウン910g)が使用されます。
私は、ロンドン塔の宝物館で大英帝国王冠を見た記憶がありますが、イギリス議会の開会式に国王が臨席している時を除けば、ロンドン塔に保管展示されていることが多いそうです。

塗油(油注ぎ)

戴冠式で興味深いのは塗油の儀式です。
式はテレビ中継されますが、エリザベス女王の時と同じように今回も塗油の部分はオンエアされないそうです。

伝統的なこの儀式は何世紀も前から行われてきたもので、17世紀までは、君主は神から直接、任命されるものと考えられていました。

1953年に行われた故エリザベス女王の戴冠式は、youtubeでも見ることができますが、塗油は天蓋に覆われたなかで行われています。

1626年のチャールズ1世の戴冠式では、聖油はオレンジ、ジャスミン、バラ、シナモン、ムスクをブレンドしたものが使われました。
このときの聖油は、後世の王の戴冠式の為にたっぷりの量が作られましたが、ビクトリア女王の長い統治の間(在位63年)に凝固してしまい、その後、新たに作り直されています。

エリザベス女王の時は、ウェストミンスター寺院に保管されていた聖油が第二次世界大戦中に破損してしまったため、新しく作り直しました。
レシピはネロリ、ジャスミン、バラ、シナモン、ベンゾイン、ムスク、ジャコウネコ、龍涎香の成分が記載されています。

チャールズ3世の精油には、動物由来の成分を含まないオイルが使用されます。マグダラのマリア修道院と昇天修道院の2つの果樹園から収穫されたオリーブを使用し、セサミ、ジャスミン、シナモン、ネロリ、ベンゾイン、アンバー、オレンジブロッサムで香りづけしたオリーブオイルです。
先日、エルサレム聖墳墓教会で奉献されました。戴冠式油の奉献 |王室 (royal.uk)

マグダラのマリア修道院は、チャールズ3世の祖母・ギリシャのアリス王女の埋葬地です。

マグダラのマリア修道院(エルサレム)

戴冠式の招待状

招待状の本文には、「チャールズ6世とカミラ女王陛下の戴冠式 国王の命令により伯爵元帥は、ウェストミンスター修道院教会に<空白部分にはゲストの氏名が記入される>を招待するように指示されています」と書かれています。
戴冠式の主催者となる伯爵元帥は、現在は第18代ノーフォーク公爵エドワードフィッツアランハワード公です。

イラストは、アーサー王伝説の騎士道のテーマに触発された作品を持つ紋章芸術家兼原稿照明家であるアンドリュー・ジェイミーソンという男性によるもので、2000人以上のゲストに送られているそうです。

チャールズ3世の戴冠式への招待状を描いたアーティスト「秘密を誓った」|インディペンデント (independent.co.uk)

「私は、中世の時間とタペストリーの本、そして緑の男のモチーフに触発された野生の花の牧草地のコンセプトを思いつきました」
「蝶、鳥、蜂、花の牧草地で見るものなら何でも。もちろん、公式の花(バラ、シャムロック、アザミ、水仙)と、そこには野生のイチゴだけでなく、思い出のためにローズマリーの小枝があります。」

グリーンマン

グリーンマンは、英国の民間伝承で再生の象徴として解釈され、新しい成長のサイクルを表しています。英国の一部の教会が、知識と知恵を表すとして緑の男のモチーフを取り入れたことから、民間に根付いたそうです。

招待状に描かれたグリーンマンは、オーク(ナラ)、ツタ、サンザシの葉とイギリスの象徴的な花々(バラ、アザミ、水仙、シャムロック)でできています。

アザミ・・・スコットランドの国花
シャムロック(クローバー)・・・北アイルランドのシンボル
黄色い水仙・・・ウェールズの国花
チューダーローズ・・・イギリスの国花

古代エジプトのオシリスは、グリーンマンに関係していると考えられています。オシリスは穀物の神と見なされ、通常、植生、再生、復活を表す緑色の顔で描かれています。

または、北欧神話の神オーディンの叔父であるミーミルも、グリーンマンに関係しているそうです。
ミーミルは、ヴァン神族に首を切断されてしまいますが、オーディンがその首に薬草を擦り込み、魔法の力でミーミルの頭は生き返りました。
オーディンは、ミーミルの頭を常に持ち歩き、大切なことは必ず頭に相談したと伝えられています。

オーク(ナラ)の木は、先史時代ヨーロッパでは雷や稲妻の神と結びつけられ、神聖なものとして崇拝されていました。
ギリシャ神話ではオークはゼウスの象徴で、北欧神話ではオークは雷神トールの象徴でした。スラブ神話では最高神ペルーンの象徴です。
この3神はともに天空神で、国によって神話によって天空神の呼び名が変わったのでしょう。同一の神と思います。
クリスマスのお菓子ブッシュドノエルは、オークの幹を模したものです。

サンザシの花

国王と王妃の紋章

チャールズ3世の紋章

英王室の紋章には、レパード(獅子)とユニコーンがサポーターとして描かれています。レパードは、イギリスの象徴であり、勇気、強さを意味します。伝説の生き物であるユニコーンはスコットランドの象徴です。

カミラ王妃の紋章

イノシシは、カミラ王妃の父・ブルース・シャンド少佐の紋章から取られています。カミラ王妃の出生時の名前は、カミラ・ローズマリー・シャンド(Camilla Rosemary Shand)。
2022年1月1日、ガーター勲章を授与されているので、ガーター勲章の青いリボンに囲まれています。

「変わらぬ愛」の象徴

牧草地には、スズラン、ヤグルマギク、野イチゴ、ドッグローズ(ローザ・カニナ)、ブルーベル、ローズマリーの小枝があり、ミツバチ、蝶、テントウムシ、ミソサザイ、ロビンなどの野生生物がいます。

スズランは、故エリザベス女王のお気に入りでした。花言葉は「再び幸せが訪れる」

ローズマリー

ローズマリーは香りが強いハーブで、その香りがいつまでも残ることから、「変わらぬ愛」の象徴でもあります。
昔は、結婚式で花嫁の花冠に使われ、花婿にはリボンで結んだローズマリーの花束が渡されたのだそうです。
アンドリュー・ジェイミーソン氏がインタビューの中で「思い出のためにローズマリーの小枝」と言ったのは、カミラ王妃の名前にローズマリーが入っていることや、変わらぬ愛を誓ったふたりという意味があったのだろうと推測しています。

チャールズ3世とカミラ王妃の恋愛(不倫)は、ダイアナ妃の離婚の原因でもあったので今も非難の的になっているようですが、男女のことは当事者にしかわからないことですし(カミラ王妃は、チャールズ国王の初恋の人だった)、星の上から見てもチャールズ3世とカミラ王妃は運命的に結ばれる縁だったと思います。

お二人の結婚式は、ダイアナ妃が交通事故死してから約8年後の2005年4月9日。前の日は日食でした。
ほんとうは、その日食の日に挙式する予定でしたが、ローマ教皇
(2005年4月2日に帰天)の葬儀のために1日遅れになりました。

カミラ王妃は、スズランと黄色、紫、クリーム色のサクラソウの可憐な花の控えめなブーケを持っていました。

ロビン(ヨーロッパコマドリ)は、イギリスでは特に馴染み深い野鳥の1つで、正式に制定されてはいませんが、一般に国鳥とされています。
もとは「レッドブレスト」(redbreast=赤い胸) と呼ばれていましたが、15世紀ごろ人名を当てることが流行ったため「ロビン・レッドブレスト」と呼ばれるようになり、それが略されて「ロビン」(robin) と呼ばれるようになりました。

ロビン

また、特徴的な赤い胸の由来に、かつてロビンは全身茶色一色であったが、十字架に架けられたイエス・キリストの痛みを癒すため彼の側で歌を歌い、その際にイエスの血によって胸が赤く染まったという話があります。

他には、煉獄の火を地上に運んできたミソサザイが火だるまになってしまったため、それを助けようとして焦げたという話もあります。

ミソサザイ

ミソサザイ wren(スズメ科)は、西欧の民間伝承においてはしばしば「鳥の王」とされ、各国語における呼称も君主や王の意を含んだ単語が用いられます。日本ではミソサザイは「風の王」と呼ばれていました。

イソップの寓話によると、ミソサザイは飛んでいるワシの背中に乗り、ワシが疲れてきた時にワシの背を離れて、より高く飛ぶことが出来たことから、「賢さは力よりも優れている」ことを証明したと言われています。
ケルトでは、ミソサザイの羽は、災害や溺死に対するお守りと考えられていました。

民間伝承において、ロビンとミソサザイは対になって現れることも多く、伝承中では夫婦とされていました。かつてはロビンがオス、ミソサザイがメスだと考えられており、「神の雄鳥」「神の雌鳥」とも呼ばれました。

お気づきかと思いますが、ロビンはチャールズ国王、ミソサゾイはカミラ王妃を表しているのだと思います。
ミソサゾイは、イノシシの耳の中に飛び込んで、見事にイノシシを倒したという伝説があり、カミラ王妃の紋章でサポーターとして描かれているイノシシと通じるところもありますね。(降参したイノシシがサポーターになったという意味で)

2羽の鳥が止まっている「C」は、チャールズ国王のcharlesの頭文字と、カミラCamillaの頭文字を重ね、結び目が作られています。
「C」の内側には、エリザベス女王が好きだったスズランが描かれており、幸せが訪れるようにという願いとともに、女王が生前に「チャールズの即位後、彼女がQueen Consort(王妃)と呼ばれることを望む」と言っておられたのを思い出します。
祝福されなかった結婚で四面楚歌の時も、女王は最大の理解者だったのでしょう。

カミラ王妃は、Her Majesty the Queen(王妃陛下)の称号を辞退し、Her Royal Highness the Princess Consort(妃殿下)の称号を名乗る」と発表されていた。
しかし、英連邦各国の憲法改正などを伴う問題が指摘されていた。King(国王)の配偶者である女性が自動的にQueen(王后)と呼ばれないのはイギリス王室史上前例がなかった。
義母エリザベス2世女王は、2022年のプラチナ・ジュビリーのメッセージの中で「チャールズの即位後、彼女がQueen Consort(王妃)と呼ばれることを望む」との意向を表明していた。

戴冠式の招待状では「Queen Camilla」と表記されており、公式の場でカミラ王妃にQueenの称号が使われた初の事例です。

「3世」として

あらためて招待状を見ると、3つのブロックに英国を象徴する草花が描かれており、英王室サイトによると「花は3つのグループで表示され、王が彼の名前の3番目の君主になることを意味します」とありました。
可愛らしい招待状には、そんな決意も隠されていたのですね。

当初、チャールズ3世は即位に当たって名前を変える可能性もありました。
実はイギリスでは、過去のチャールズという名前の王様は不運だったのです。
チャールズ1世(1600年11月19日 - 1649年1月30日)は、清教徒革命イングランド内戦)で敗れて処刑され、その子供のチャールズ2世(1630年5月29日 - 1685年2月6日)は、清教徒革命によりフランスに亡命を余儀なくされました。チャールズ2世は、1660年に王政復古により国王に即位しましたが、1685年に心臓発作で倒れ、死の床で英国国教会からローマ・カトリックに改宗し、54歳で崩御しました。

フランス王室の血を引くチャールズ2世は、おしゃれな王様で女性にモテたらしく、確認されている庶子(婚外子)は14人いたそうです。
庶子の系統は、故ダイアナ妃にもつながっており、ダイアナ妃とウィリアム王太子とヘンリー王子もチャールズ2世の血を引いています。

1万字を越してしまいましたのでこのへんで終わりますが、戴冠式について私は英国民でないので意見を申すつもりはありませんけれども、伝統としてそのような儀式があってもいいと思っています。
というか、こんな世知辛い時代に古いしきたりがまだ残っていることは奇跡にも近いと思うのです。

チャールズ国王が油注がれた人物かどうかは、私たちでなく天が決めること。日食直後に結婚した王と王妃が、月食直後に戴冠するということも、占星術を学ぶものとしては興味深いです。
次の記事では、戴冠式の星読みをしたいと思います。

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