京都旅行 2022.11 ⑤

仕事が多忙であったこともあり筆が進みませんでしたが、昨年11月の京都旅行の続きを書きます。

前回は山科の毘沙門堂に行ったところまでを書きました。

毘沙門堂

毘沙門堂を出て山科駅に向かう途中、運良くタクシーを捕まえることができたので、車で六波羅蜜寺に向かいました。

運転手さんが急いでいたのか、抜け道をかっ飛ばしてくれましたので、六波羅蜜寺には思いのほか早く到着。

山科の辺りは自分で運転したことがあり、なんとなく土地勘はあったのですが、絶対自分では走らないであろう細い道を通り、山科の街並みを見ることができて、スリリングかつ楽しい道中になりました。

その六波羅蜜寺は、昨年の7月にも訪問した場所。
空也上人像に感銘を受け、そのことを記事にもしてみました。
当時、不参加だった息子くんに見てもらいたくて再訪したというわけです。

やはり空也上人像は私にとってインパクトがある木像でした。
理屈ではなく、ただただ惹かれてしまうのです。
今後も近くに来た際には寄らせてもらうつもりです。

息子くんのリアクションはかなり薄いものだったので少々ガッカリしつつ、すぐ近くの宿泊先に一旦寄って休憩してから、次の目的地である東福寺に向かいました。

東福寺には、夜間ライトアップの時間帯に訪問しました。
チケットは事前に予約しておきました。

さて、いうまでもなく紅葉は一見の価値あり。

立派な三門
京都三大門の一つに数えられています
昭和の名作庭家、重森三玲が手がけた庭園です
方丈から臨む通天橋です 多分…
これも通天橋です
もう一枚

摂政九條道家が、奈良における最大の寺院である東大寺に比べ、また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で、「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍を造営したのが東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。鎌倉・室町期の国宝・重要文化財は夥しい数にのぼっています。

東福寺HPより

因みに東福寺には桜がありません。
画僧・吉山明兆が室町幕府第4代将軍の足利義持に絵を献上した褒美として望んだのが、境内の桜を禁じる事だったそうです。桜があると遊興の地となり修行の妨げとなる、というのがその理由だったそうです。


さて、次の訪問場所は、塔頭・天得院です。
負けず劣らず素晴らしかったです。

失礼ながら、そもそも天得院を知らず、道すがら秋の拝観を行っていることを知って急遽寄らせていただきました。

これは何と呼ぶのでしょうか…
庭がとても綺麗でした
息子くんも気に入ってくれました

ライトアップされた庭を、縁側に座ってゆっくりと堪能させていただきました。寺院の方の応対がとても親切だったこともあり、是非ともまた来たいという気持ちになりました。

天得院は臨済宗東福寺派に属します。南北朝時代の正平年間(1346〜1370)、東福寺第三十世住持・無夢一清禅師によって開創され、東福寺五塔頭の一つとして隆盛を誇りました。
その後、年とともに荒廃していきましたが、中興の祖・大機慧雄禅師により再興され、慶長十九年(1614)東福寺第二二七世・文英清韓長老が住持となりました。清韓は豊臣秀吉、秀頼の五山の学僧として寵遇されました。
そして、豊臣秀頼の依頼により、方広寺の鐘銘を撰文したのですが、銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家を呪うものとして徳川家康の怒りを招き、ついに天得院は取り毀されたと言われています。
現在の堂宇は、その後の天明九年(1789)に再建されたもので、明治元年(1868)に山内の塔頭本成寺と合併し現在に至ります。

天得院HPより

必ずこの時期に再訪し、また、まったりと過ごさせていただきます。


その後電車で京都駅に移動し、おいしい鰻を頬張りました。時間があればイノダコーヒーでラムロックとコーヒーもいただきたかったのですが、残念なことに営業時間が終わっていたので、ホテルに戻りました。


さて、11月の旅行記は今回で終わらせようと思っていたのですが、書ききれませんでした。

次で最終回にしようと思います。

以上です。
ここまで読んでくださりありがとうございます。

この記事が参加している募集