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SF小説「ジャングル・ニップス」2−6


ジャングル・ニップス 第二章 オン・ザ・ロード

エピソード6  ニコチン


子供の頃、あれは夏休みだ。

この辺りで遊んだ時期があった。

イケジマ君という釣りに詳しい奴がいて釣りが流行った。

イケジマ君ということは三年生だ。

自転車でここまでくるには、二時間近くかかったはずだ。

四年生の夏休みにアメリカに行った。日本の記憶はあの辺りで途切れている。

印旛沼はあまりキレイではなかった。

生臭い匂いがした。

針で引っ掛けて釣り上げた鯉が、まったく抵抗しなかったのを覚えている。

どこもかしこもドブの匂いがした。

ハショーフになるぞっ、それが仲間どおしの合言葉だったのを思い出す。

たぶんあれは農業用水路だ。

レジ袋やコーラの缶が散乱していたあの場所は、どんな姿になっているのだろう。

それにしても風車なんてあっただろうか。

この辺りまではこなかった、そういうことだろう。

そう言えば釣り人がいない。

たしかどこかに釣り船が置かれた場所があったはずだ。

沼の周りは砂利道だった。

広い田んぼが広がっていた記憶がない。

いや、どこも田んぼだらけだったはずだ。

団地暮らしの子供には、田んぼは退屈な景色だったのだろう。

田んぼを見て綺麗だななんて思うようのになったのなんて最近のことだ。

ヤスオさんが浄水所に向かって歩きはじめている。

細いサイクリングコースにはゴミひとつ落ちていない。

フェンス側も沼側も綺麗に刈払機がはいっている。

桜の木から雀くらいの野鳥が飛び立ち、沼のほうに飛んでいった。

トントンと跳ねるように飛ぶあの鳥も、詳しいヒトなら一目で何だと名前を言える貴重な野鳥のはずだ。

エースケさんはエンジンを切ったようだ。

音楽の音が消えている。

振り返ると、橋の上で長袖のポロシャツにジャージを履いた、細身の男がストレッチ体操をしているのが見えた。

たまに一人で来るのも悪くなさそうだ。

もう6時半くらいだろう。

静かだ。

ヤスオさんは丸めた新聞を持って歩いている。

なぜか街で見るより背が高く見える。

新聞は何かにつけて便利なのだそうだ。

ショーネンは丸めた新聞を見て、国道296を杖を持って歩いてる、上下ヤッケ姿のロン毛の男を思い出した。

エースケさんは彼の事を旅人と呼んでいる。

何者ですかと尋ねると、まあほっといてやれよと言われたが、どうやら修験道の行者の類らしい。

空気が綺麗な場所の他にも修行の場はあるのだそうだ。

このサイクリングコースは一見綺麗だが、なぜか寂しい気分になる。そんな気がする。なにがそうさせるのか分からない。

ショーネンがそう思っているとヤスオさんが引き返してきた。

「ショーネン、高校生のカップルがここでサイクリングデートすると思うか?」

ヤスオさんが後ろを振り返りそう尋ねた。

「なんか歩いてみると、意外と狭っ苦しくないですか?」

ショーネンも尋ねる。

「ああ、せめて浄水施設まで一度歩いてみようと思ったんだが、なんか歩く気が失せてしまった。」

たしかに足取り軽く前に進める、そんな感じはしないなとショーネンも思った。

「こうやって見ると、橋の向こう、あっちの川沿いのほうが気分良さそうに見えないか?」

ヤスオさんが新聞を望遠鏡のように顔にあてる。

「ヤスオさん、後ろから自転車が来ます。」

ママチャリに乗った初老の男性がこっちに向かってくる。

レジ袋にはいった何かをカゴに積んでいる。

チラリと覗くと、ヒョロリと伸びたトマトの苗が数本見えた。

ヤスオも気づき、ショーネンの肩を軽く新聞でたたく。

「トマトの苗を定植できる庭なんていいだろうな。」

ヤスオさんはマンション住まいだ。

ユーカリが丘という新興住宅地の駅前マンションで暮らしている。

「ヤスオさん、今朝どうやってローソンまで来たんですか?」

そう言えば車は停まっていなかった。

「ああ、知り合いが泊まっていったから送ってもらった。」

「スミマセン、遠いのにどうやって来たんだろうと思ったんです。」

トマトの苗の爺さんが橋の手前のベンチに座って煙草をふかし始めた。

なんかサマになってる。

「トマトはニコチンが苦手なんだけどな。」

そう言ってヤスオさんが苦笑いした。



つづく。


ありがとうございます。