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恋の痛手を負うには年を重ね過ぎた。

ドラマや映画や漫画で失恋した主人公が
とても素敵とさえ思う。
一度でもいいからあんな風に痛みを負いながら他人を想ってみたい。

失恋したから髪切りたい、なんて尚更
よくわからないし、私からしたら
なかなかの自傷行為にみえる。

深夜、失恋して大泣きしている友人に対し
恋愛が出来ない側の私が背中をさすりながら
励ますことに違和感がありつつも
友人のことを(美しいなぁ…)と思って隣りにいたこともあった。

残念ながら出来ない側の人間は
失恋の傷みを知らないので
ドラマの脇役のような励ます言葉が
思い浮かばず…ただただ傍にいることしかできなかった。

不謹慎かもしれないから本人には云わなかったが
傷ついた姿が“生きてる”って感じがして、
羨ましかった。

生きてないと心に傷はつかないものでしょう?


他人相手にすがったり、執着することが
全くわからない、理解できない。


そもそも私達は最初バラバラだった
地球上のほんの一部のピースな訳で、
個体で、

それがたまたまくっついて…。
別れなんて、他人だった別々の個体に
戻っただけ…位の認識。

何十年と生きてきて
私は失恋を経験出来なかった。

付き合っていた人に別れをきりだされてフラれたことは沢山ある。というか、ほぼフラれている。

でも、自分が相手に対して恋をしていなかったから【心を失うほどの恋】というものをしたことがない。

フラれても仕事や日常に支障なし。
ご飯だって食べれてしまう。

好きな人と恋人になるというのが多数なのだろうけど私の場合は “付き合う=好きな人” ではないのだ。

人を好きになる努力もしたが駄目だったから
【別れても平気で、惜しくない相手】で
【生理的に無理ではない相手】とのみ
彼氏彼女として付き合ってきた。


【恋愛】は始めたら終わりがあるから
(惰性でずるずる繋がっててもそれも終わりに分別する)
関係が終わったとしても私の人生的に問題がない人とのみ。

人間愛としての“愛している人”を失って
関係がなくなるほうが自分にとっては
耐えられないので絶対恋愛関係にしなかった。

10代からすでに人を好きになれず友達と話を
合わせる為だけに適当な異性を好きだと嘘をつきまくり、

20代はさまざまな出会いを得ても恋愛感情を
持てる相手ができなかったので空っぽな経験だけ適当に積み重ねた。

そんな自分でさえもこれは失恋なのか?
と感じた時があって

同性の大好きな友人の結婚報告の時。

純粋なお祝いの気持ちと同時に
同性の友人の立場である、自分にしかこの人に出来ないことがあると誇りに思っていたけれど

異性にしか出来ないこともあるのか、と
思い知られた時は凄く切なかった。

結婚出産を得た人の【同性の友人】でしかない立場の自分の役割はとても小さい。

異性だと結婚も出来て子供だって可能だ。
私とのハグとも違うんだ。

友人の人生にだんだん自分が必要となくなることがイメージ出来た時はしんどかった。
  
あんなに毎日一緒にいたのにいられなくなる、
心が苦しくなった時に初めて自分の性的嗜好も少しずつわかってきた。

誰かには簡単に言えない。

恋はきっとこれからも出来ないだろう。
失恋もきっと難しい。
諦めたというより、そういうタイプなのだと思う。

うろ覚えで空っぽな恋愛的経験は沢山あるから
一般的な空気に混ざって浮かないように
個体で生きていく。