愛憎入り混じる我が故郷

私の故郷は、今でいう限界集落、とでも言えばイメージしやすいだろうか。面積の90%以上が森林、人が住める土地は3%ほどだったか。1学年に40人、それなのに2クラスに分ける。少人数クラスなので、無駄にテストの平均は県内でもかなり高いほうだったようだ。最寄りの電車駅はなし。通勤・通学は自動車かバスのみ。夜20時には周辺が真っ暗になる。およそ文化的な生活とは程遠く、高校生の頃に付近(といっても車で30分以上はかかった)で初めてマクドナルドが出店した際には、ちょっとした騒ぎになった。映画を見るにも車で1時間。当然、メジャーな作品しか上映はない。若者が遊ぶといっても、高校の近くのショッピングセンターでたむろするくらい。

そんな地元で働いている人に、かつて休日の生活を聞いた事がある。家で寝るか、酒を飲んでいるか、畑仕事、とのこと。娯楽がほぼ皆無なので、私の母親は休日も家で仕事をしていた。未だにワーカホリック癖が抜けないようで、定年を過ぎても働いている。父親は、酒を飲んでは管を巻いて寝ていた記憶しかない。たまにロードバイクやビッグスクーターを買っていたが、おそらく退屈しのぎだったのだろう。姉はそうした暮らしに嫌気がさし、大阪に飛び出してしまった。

夏になると、カブトムシやクワガタが家の近くに大量に出没する。家の近くでは、蛍も見えた。たまに現れるウシガエルは、臆病な子供には化け物でしかなかった。時には猪や鹿も現れる。空を遮るものがないので、星は綺麗に見える。プラネタリウムなんて目じゃない。小学生の頃に鮮明に見た天の川、これからも記憶から消える事はないだろう。まるで空から星が降ってくるかのようだった。そういった自然環境なので、都会からアウトドアに訪れる人は多かった。家から10分ほど歩くと、キャンプ場に行き着く(今は寂れてしまったが)。大企業で働いていたような人が、都会の喧騒を忘れるために訪れるような場所に常に住んでいた、というのは何とも不思議な気分だった。彼らにとっての非日常は、自分にとってはただの日常だ。

大学で京都に進学し、そのまま東京に就職、それ以降地元に帰る機会はそれほどない。お盆や年末にも帰る事も少なくなった。コロナの流行以降は、一度も帰れていない。あれだけ綺麗に見えた星空も、今ではすっかり見えなくなったという。ネットの普及で変わった部分はあるかもしれないが、それでもおそらくあそこで働いている人達の暮らしはあまり変わっていないと思う。

かつて美しかった部分は消え去り、酷い部分はそっくりそのまま残っている。それでも、たまには無性に帰りたくなる時がある。かつての旧友は元気に暮らしているだろうか。未だに20時を過ぎると停電でブラックアウトしたように暗闇に覆われるのだろうか。季節が変わる瞬間の空気の変化はまだ感じられるだろうか。結局、生まれ育った場所から完全に離れるというのは、難しい事だと思う。中学生ぶりに、海で釣りでもしてみようか。

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