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教育社会学 note② 0717

 〈大テーマ〉
学歴社会とは何かを明らかにし、高学歴化が進行するとどのように変化するのかについて、学力の視点から述べよ。 


0 今日の学習課題

エリートは民主的な方法によって選抜されていると考えられるのか、また民主的に選抜されたエリートが統治する社会は望ましいのか、説明しよう。

1 はじめに

 ある社会において、業績主義は本当に浸透しているのか?
→その社会で最も恵まれた地位を占有している人々=エリート選抜に教育がどのように関わっているのかを分析することは、それを判断する一つの方法と言える。

2 学歴社会の経済的側面

 ① 教育投資論

「教育投資論」…1960年(昭和35)年前後に大きな影響力を持った考え方

教育への投資を2つのレベルで有効であると考える。
→<国家のレベル>と<家庭のレベル>

<国家のレベル>
国家が教育へ投資すればするほど、高度な技術・知識を身に付けた人材が誕生し、生産力の上昇につながり、GDPの増加という国家の経済的発展につながる。

<家庭のレベル>
親が教育へ投資すればするほど、子どもが高学歴を獲得し、障害所得の増加につながると考える。

この2つの考え方に基づき、教育投資論は、
国家の教育支出の増大、仮定の教育支出の増大を正当化し、促進するものでもあった。

〇公教育という形態
教育が私的な形態でなく、公的な形態をとる場合、教育の発展が国家の経済的発展の段階と関連する、という見方ができる。

→政治的には、選挙のために識字率を高めるという目的を持つ場合がある。

選挙の時、候補者の書いたポスターを読み、演説を理解し、投票の際、名前を書くという基本的な作業が出来なければ、民主主義社会の仕組みが維持できない。

…民主主義を維持する装置の一つとして公教育が必要とされているとも考えられる。

② 教育への投資目的の転換

1960年代の日本…高度経済成長の最中
        技術系人材の不足への対策としての国立大学理工系学部の
        大幅な拡充によって、大きな財政の支出を伴う
        →「教育投資論」は、その支出を正当化する武器だった。
 
個々の親による教育投資の増大、学校外教育、私立進学校へに入学が増加
→受験競争激化の一つの要因になった。

教育への投資の目的は、利鞘を生む「積極的な投資」から、他人と比べて不利な扱いを受けないための「保険」へと大きく変化している。
→状況に合わせた認識転換が起こった!?

③ 21世紀に入ってからの動向

 学歴がその人のいかなる能力=業績を表現するものとして読み取られるのか→3つの考え方(人的資本論・スクリーニング仮説・統計的差別理論)は、現在においては新規採用者選抜の初期段階で使われることはあっても、そのウエイトはかなり減っている。

 長く続く不況の中、企業は新規採用者数を減らす一方で『即戦力』思考を高め、求めている能力が求めているレベルに達しているかどうかを慎重に見極めようとする傾向が強まりつある。

<一般的な能力(職練可能性)>ではなく、<よりスペシフィックな能力>

面接を再三繰り返し、慎重に新規採用者を選ぼうとする風潮が高まり、大学生の就職活動期間が長期化する傾向が顕著に。

 よりスペシフィックな能力が求められる→⇒業側がそれを明示することで、大学生にとって具体的な目標を立てることができ、学生のモチベーションを高める効果も期待できる。

就職にあたって求められる能力が政府からも明示されるようになった。
・社会人基礎力(経済産業省)
・就職基礎能力(厚生労働省)

2 日本社会におけるエリートの構成と変遷

 学歴社会におけるエリートは、どのような教育を受けてその地位についているのか?=エリートは業績によって選抜されているの?

近現代エリートの社会的公正、学歴構成を比較検討する。
(1)出生年(2)現職(3)学歴 の3つの情報に限定

<分析の視点>
①活躍する分野
*男性⇒ビジネスリーダーが突出しているが、2009年版ではかなり減少
    1991年版との比較に限定すれば、「教授・教育家」が増大
*女性⇒教授・教育家の増大
    男性と比較すると、芸術領域と教育領域のエリートが多い

②出生年
*男性⇒1915年サンプル
    平均年齢 51.3歳・最年長者 88歳・最年少者 5歳
    1969年サンプル
    平均年齢 59.3歳
    1975年サンプル
    平均年齢 64.4歳
    1991年サンプル
    平均年齢 63.8歳
    2009年サンプル
    平均年齢 67.8歳      …高齢化進む
*女性⇒1991年サンプル 67.8歳, 2009年サンプル 66.5歳

平均年齢の差異はあるが大きくはない。

③学歴
<高等教育学歴者の比率>

*男性…大正期 30%未満
    1939年 50%超
      ⇒高等教育学歴を保有するエリートが、「業績によって選抜さ
       れたエリート」だとするなら、昭和戦前期において、要約前
       近代的なエリートから近代的なエリートへと半数が切り替わ
       った。
    1957年 80%超(戦後、急激に高等教育学歴保有者率が増加)
    以後、安定(芸能・スポーツ等一部の領域で高等教育学歴を必須の
          要件としないエリートが誕生し続けているため)

*女性…戦前には女性の高等教育機会が不十分
    1975年 約半数が高等教育学歴を余裕
    2009年 74%⇒男性エリートに近いレベルに

☞高等教育学歴保有率
 男性…80%超
 女性…70%超
 すべての領域で必要としているわけではなく、必要としない領域委が2009 
 年の時点でもなお、一定比率で残されている。

3 学歴社会は能力(業績)社会なのか

 <学歴社会=能力(業績)社会>には大きな問題はなく、むしろ理想に近い、平等で民主的な社会と考えられるかもしれない。

⇒しかし、問題点は数限りなくある。
根本的な問題点は、
「学歴社会が能力(業績)社会であるとはいえないのでなないかという点」
…実際に、世間一般における学歴主義、学歴社会、大学間格差への批判は過去から一貫してかなり厳しい・

問題を3つに整理

①学歴は能力(業績)を表すのか

→学歴が表すものは、「18歳の時点での(あるいはその時点までの)受験学力」であるといってもよい。
=大学入学時点以後の努力、能力開発などは、組み込まれていない!!

学歴社会は本来、「身分社会からの解放」という大きなメリットをもたらす社会であったはずが、18歳のある一日において決定される「学歴という名の新たな身分」によって、その後人生をずっと拘束されるのでは?という批判は根強い。

②18歳時の受験学力が能力(業績)を表すのか
 受験学力として養われる能力は、その人の持つ多様な能力のごく一部にすぎないが、それを社会的・職業的地位を配分する基準にするのはおかしいのではないか、という議論。

日本の学校教育「詰め込み式教育」…記憶力を中心とする受験学力の涵養には熱心な一方、創造性などの能力は涵養されず、摩耗させられてしまうのでは?という批判。

医学部は現在でも最難関学部の一つだが…
数学・物理・化学などができれば、それだけで医学部学生としてふさわしいのかという疑問。

③教育機会は開放されているのか

 教育機会は開放されているとみなされているとしても、それは表面的なものであり、一部の人にのみ有利になっているという批判がある。

近年の私立大学の授業料の高等科、国公立大学の授業料の大幅な引き上げ、
下宿代の高騰、
塾通いの蔓延、塾、家庭教師、予備校、通信教育など・・・家計の圧迫

それを受ける経済的余裕のない家庭の子どもは受験競争において不利を強いられる。→特定の階層を受験競争を排除しているという危惧

日本の奨学金制度は、欧米諸国に比べて大きく遅れている
・・・進学に不利とされる社会階層の進学状況があまり改善されていないと
   いう事実があるなら、奨学金制度の不備が大きな原因になっている可
   能性もある。

4 まとめ


<学習課題>

エリートは民主的な方法によって選抜されていると考えられるのか、また民主的に選抜されたエリートが統治する社会は望ましいのか、説明しよう。

<自分の考え>

 日本のエリートは、表面上は民主的に選ばれているように見えるが、日本における学歴社会に内在する課題に焦点を当てると、民主的な選抜がされているとは言えない。

 多くの国でも民主主義で政治が行われているように、一部の権力者だけでなく、「人々によって運営される」システムは、多様な人々の参加が得やすく、様々な意見や価値観が集まることによって、あらゆる課題の解決につながりやすいというメリットがある。
 現在の日本も、選挙によって、社会を統治するリーダーを選んでいるわけだが、望ましい社会になっているとは思えない。どこに課題があるのだろうか。自分が感じている課題は、今の段階では、まだ漠然としているが、今の子供たちが大きくなったときには、いったいどんな社会になっているのかと思うと不安ばかりが募っていく。

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