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人は、会うべくして会う

縁やタイミング

昨日書いた仕事中に偶然中学時代の同級生に再会した話。

『まるで小説のようですが、そういうことって本当にあるんですね。』
『脚本を読んだ気分♡』とコメントをいただいて☺️

そういう出来事、たまにあると思うのだけどそんなにないのだろうか。

そういうことなら、今すぐ思いつくことが2つあった。
そのうちの1つ。

引っ越しの時に見つけたメモ

鹿児島への転勤が決まり、猶予期間は2週間しかない。

毎晩仕事も遅い。
切羽詰まりながら、しかも鹿児島という遠い未知の土地。
大好きな北海道からも地元からも遠すぎるその土地に不安が先行していた。
母の加減もその時は要介護4になっており今回の転勤では戻るはずだったのに。

そんな中、見つけたのは1枚のメモだった。

その前の転勤の時に北海道で出会った人たちのモノをまとめた場所から出てきた。

時間もないのに、懐かしくなって中をあらためる。
多分それをしないでそのまま段ボールに詰めたらこのご縁はなかったと思う。

そのメモには、女性の名前と鹿児島県奄美市の住所と電話番号が書かれていた。

10数年前の札幌市内

その昔札幌で働いたことがある。

いつ、どこでなのか全く覚えていないが、確か季節は秋とか冬だったような。場所も覚えていない。

仕事中なのか週末だったかも記憶にない。

とにかく当時は忙しすぎたので、記憶が曖昧なことも多い。

それで多分道を聞かれたのかよく覚えてはいないけれど、2人の女性と話をしたんだと思う。
それでその2人から住所を書いたメモを何故かもらったのだ。
その経緯も覚えていない。
たしか1人は千葉県の人だった記憶。
ただその時は鹿児島の方のメモしか見た記憶がない。

とにかく『鹿児島県』という4文字が目に飛び込んできた。

電話をした私


昨日、私のいた中学は2つ上の先輩の代で荒れたと書いた。

担任のK先生は、昨日書いた中学の同級生のS君のお兄さんに校内暴力のとばっちりで殴られたと言っていた。
そのK先生が私達のクラスの卒業を見届けると郷里の鹿児島に戻られたのだ。
先生はその後種子島に行ったりして、今は霧島市に在住している。

その後ずっと、年賀状のやりとりをしていて、転勤が決まった時、藁にもすがる思いで、葉書に私の連絡先と電話番号を書いてお送りしたら、すぐに電話をくださり、卒業後30年以上経って初めてLINEが繋がった。

そんなこともあり、すでに見知らぬ土地に中学校時代の恩師がいるのは救いだった。(今までの転勤は誰1人知人はいなかった。)

なのに何故かそのメモがとても気になってしまった。

少し迷ったけれどこのメモを見たのは何かあるかも、それに固定電話だからもう繋がらないかもしれないし、と思って、日曜日の午前中勇気を出してかけてみた。

その方をOさんと呼ぶ。

その時の電話

何回目かのコールで女性が出た。
やりとりでOさんご本人だと分かった。

切り出し方は決めていた。

『突然申し訳ありません。
つかぬことをお伺いしますが10年くらい前に北海道に行かれたことがあったと思うのですが覚えていらっしゃいますか?』

するとOさんは、『ええ、行きましたよ。』と即答された。

私は勝手に覚えていないと思っていたので少し驚いて、『そんな昔のことなのに覚えていらっしゃるんですね?』とつい聞いてしまった。

Oさんは、私が誰かとか疑わずとても普通に『あの北海道行きは特別だったんですよ。親しい人が癌を患って、生前葬をするというので、出かけて行ったんです。』

もしかしたら10年くらい前の札幌で聞いたかもしれない話を私は覚えていなかった。
そうだったんだ、観光じゃなかったんだ。

そこで改めて、
おそらくその時にOさんとお会いして、自宅と電話番号を書いたメモをいただいたこと、
そして私が鹿児島に転勤になること、
メモを見てお電話してみたこと、
をお話しした。

Oさんの反応

とても優しい反応だった。

1人で知らない土地に来るのは大変だ。

ただ自分は島にいるから奄美市と言っても本土ではない。

それはそうだわ💦
そこで私は奄美市が奄美大島だと気づいた😅
いくら南国に興味がないと言っても遅すぎる💦

さらにOさんは、

『鹿児島市内に親戚もいるし、ちょうどこの春から次女が鹿児島市内に仕事で転勤するから、ぜひ会ってやって。』と続けた。

そして最後に『何か困ったことがあったら、なんとかできるからいつでも遠慮せず電話してきなさい。』と携帯番号を教えてくださった。

なんという方だろう。

あとで鹿児島市内でお会いした次女のTちゃんに聴けば、『母はそういう人なんです。島でも困っている人がいたら家に泊めたりして。』

そうだったんだ。

Tちゃんとは一緒にお茶をしたり、桜島観光をしたりして2回ほどお会いできたが、コロナもあり仕事も忙しく、長い休みは母のことで帰省していたので奄美大島でお母様のOさんにお会いすることが叶わず、これは私の大きな宿題だ。

人は、会うべくして会う

その時に、『いただいたメモで本当に電話してしまって』と言った私にはOさんがおっしゃった。

人は、会うべくして会うんです。
私があの時北海道であなたに会って、メモを渡したのもきっと会うべくして会う人だったんだね。

そうか。

中学時代のK先生も会うべくして出会ったんだ。
まさか自分が卒業して、鹿児島で働くなんて全く!全く!思っていなかった。

そう考えたらやっぱり人生のシナリオは決まっているのかもしれない。

余談

その後、鹿児島市内でアロマトリートメントをした時に、私の言葉から出身地の話になった。

施術してくれた方が奄美大島の方と伺って、知り合いがいると話したら、誰ですか?という話になり、個人情報だし、と思って名前は出さないで『3人姉妹の方です』と言ったら『〇〇さんて名字ですか?』と言われてびっくりした。

向こうから言われたので、『はい。』
と答えたら、『私、そうしたら多分長女の方と同級生ですよ。』と言われてまたまたびっくり。

たくさんあるアロマトリートメントのお店でスタッフだってたくさんいらっしゃるだろうに。

そんなことってある?
世間は狭いと思ったものだ。

今でもOさん親子とは交流していて、『奄美においで。』と言われている。

多分自ら行こうとは思わなかったであろう、奄美大島。

タイトル画像は、Oさんの次女TちゃんがLINEでくれた夏の奄美大島。

北方志向の私には未知の世界。

若い頃に南国に行きたい友達に(しぶしぶ)付き合ってペナン島とランカウイ島に行ったきりだ。

いつか奄美大島に行ってOさんにお会いしたいけれどまあまあご高齢にさしかかっているので急がないといけない。。。

最後に。
そんな訳で、このnoteで交流をする皆様とも会うべくして会っていると思うと感慨深い。

たった一つのnoteだけのご縁だったとしても会うべくして会ったご縁なのかもしれない。。。

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