見出し画像

私の居場所について考えた


メイぷる子🐝さんのnoteを読んだ。


メイぷる子🐝さんと私の違い。

メイぷる子🐝さんは、家族はいるけれど、社会の中での居場所がないと感じていた経験がある(と思う)。

私は転勤先には家族がいないから、会社を離れたら誰1人私を知る人はいない。

自分だけの単身赴任だから、本当に1人!の世界。

過去を振り返って、その時々に私に『居場所』はあったのだろうか。

思えば仕事が忙しくて、それどころじゃなくて、『居場所』について考えることもなかった。

暮らしに慣れてくると、ふと1人だなって思うことはあった。
ただ、1人だなと思うことと、居場所がないと思うのは違うことだ。

最初の転勤は寂しかった気もするが一方で、ここは私の過去を一切知る人がいないという解放感というか軽さ、自由さも感じた。

『居場所』って概念を持ったら、もっとしんどかったかもしれないと思った。

『居場所』って何だろう?

「居場所」とは「いるところ. いどころ」(広辞苑, 1998)という物理的な空間を示す概念であるが、現在では物理 的な空間を指し示すだけでなく心理的な意味も表すようにな り、非常に多くの場面で使用されるようになった(石本,2010)。

https://www.jstage.jst.go.jp/

最近の概念では、
自分が居てもいい場所。
そんなところだろうか。

メイぷる子🐝さんのnoteを読んで、『居場所』について改めて考えた。
(逆に言えば無意識だった。)

自分が居てもいい場所。

こういうことを書くと、
『私には居てもいい場所がない』なんて思う人がいるかもしれない。

でも。果たしてそうだろうか。

私は他人に対して、
『この人のいる場所じゃない』なんて思ったことがない。

だから、『居場所』は他人に決められるものではないと思う。
自分で作り上げてしまう概念なのかもしれない。

(もちろん、メイぷる子🐝さんの事例のように居づらくてそこに居られないというケースはあるにしても。)

3回ほど全く縁のない土地に住んだが、あまり『居場所』について考えていなかったみたい。

強いて言えば、ひとりだったから自分で居場所を作ってきたのかもしれないと思う。

そして、その時作った居場所の人達とは今も交流がある。
ありがたいことだ。

私は国内だから、メイぷる子🐝さんのレベルとは全く違う。
海外に行ったとしたら、居場所どころかまずはそこに慣れるだけで精一杯だろう。


今の私の居場所ってどこだろう。

私のいるところが、私の居場所。
やっぱりそう結論づけた。


居場所がない。

そう悩む人がいらしたとしたら、
『そんなことはないよ。』って伝えたい。

あなたの居る場所、私の居る場所。
それぞれみんなの居場所。

そういう世界が広がるといい。

(追記)
居場所って必要とされている感なのかなとも思う。
でも、その必要とされてないかも、役に立っていないかも感に苛まれたとしたら、その特効薬は、
『存在しているだけでいい』である。

お読みいただき、ありがとうございます。 いいなと思ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。 いただいたサポートは美術館巡りの活動費に使わせていただきます。