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一口羊羹とサイボーグ

パワハラ上司

ずいぶんと前に、
明らかなパワハラ上司に2人ほど出くわしたことがある。

一口羊羹はそのうちのひとりを思い出すものなのだ。

パワハラ上司1人目

一口羊羹とは関係ないが思い出したのでご紹介(?)。

パワハラをされていた人は別にいた。
特にされていた、というか。

それ以外の一定の役職以上への発言も今思えばパワハラだった。


ある夜の帰り道、パワハラを一番されていた同僚に、
『なぜ我慢できるのか。』を聞いたことがある。

その同僚は、とても穏やかに、
『馬には乗ってみよ。人には沿うてみよ。という言葉があるんですよ。』と言った。

この人は闘わない人だ。
内面がとても強いんだ。
その時はそう思って、私も気にしないよにしようと思った。
同じ土俵に乗らないことだ。

が、このパワハラは思ってもいなかった結末を迎えた。

ある夕方、そのパワハラ上司が、先の同僚ともう1人の女性を怒鳴りつけた。
確か17時50分くらいだったと思う。

ただその日はお客様を迎える行事が18時に迫り、私達組織全員で会場に行かねばならなかった。

なぜ、この時間に?
今?
と思った。

別の子が助け舟を出そうとした時、『お前たちはさっさと会場に行け!』と怒鳴られ、確かにそちらも社外の方のための行事故に放置できず仕方なく職場を後にした。

その行事の翌日は土曜日だった。
私は都内への出張で土曜日から火曜日まで飛行機で関東で仕事して、水曜日に戻ってきた。

何故その出張が私なのか分からなかったが、そのパワハラ上司が私が帰省できるようにその仕事に任命してくれたのかといいように捉えようとしていた。
時折普通の時もあったから。

その出張から戻ってきたら状況が変わっていた。

私が出張で不在の間に、別の同僚が別のマネージャーにコトの顛末を訴えたことを知った。

会社の対応は早かった。

その2週間後、その上司はいなくなり、(転勤)東京から他の人が転勤してきた。
(が、その上司はチャラ男だった💦)

同じ職場にいた女性の先輩は、パワハラ上司を、

『ここはインテリヤ◯ザの事務所なの?あの人はおかしい。』

と言っていた。

確かにガタイは大きく、
目がすわり、見た目からして恐ろしかった。


そして、パワハラ上司はもう1人いた。

鬼上司(今思えばパワハラ)、またの名をサイボーグ

こちらが一口羊羹の上司だ。

目つきが鋭く、私のイメージは、鷲鼻のドイツ人みたい。
サイボーグみたいな人だった。

そのサイボーグは、最初、
『ばかやろう!考えるな!』
『馬鹿か、お前は!』
を私に連呼した。

今まで仕事で馬鹿などと言われたことはなかった。

意味のない仕事や、無駄な仕事の指示に、
『何でこれがいるんだろう?本当に必要?』と一瞬考えると、それを察知され罵倒される。

『お前(呼ばわり)は考えなくていい。俺に言われたことをただやればいい!考えるな!』とひたすら言われた。
もはや軍隊。

考えずに仕事をしたことがなかったから、最初どうしてもできなかったから怒鳴られたが、

とにかく指示通りこなす、早く対応して見返してやる!

と決めたら、仕事が早いと認められたのか、罵倒はされなくなった。(が、パワハラ発言は続いていた、今思えば。)

またある時あまりに疲労が溜まり、会社の看護師に相談したら、サイボーグに話がいったらしく、

『しばらく20時に帰っていい』と言われた。

20時か。

ちなみにうちの会社は17時まで、である。

日曜日の一口羊羹

ある時、日曜日の出勤を指示された。

サイボーグと日曜日に仕事。
考えただけで、どんより。

他の同僚はもちろんいない。

フロアにポツポツと課長職はいた。

会社に行くとすでにサイボーグはいた。

ホワイトボードに怒涛の指示を出される。

私もサイボーグと化して、モーレツに働き、とにかく一刻も早く終わらせて帰りたかった。

ご飯は食べられないだろうと、とらやの一口羊羹を二つほど持っていった。
片手で食べられるし、糖分補給になる。

やはり夕方になっても仕事は終わらず、買いに行く時間ももったいない。

お腹が空いて1人で羊羹を食べるのも憚られ、

私の大事な(笑)一口羊羹をあげるか悩みながら、聞いてみると食べるとおっしゃるので、一つ譲った。

すると、

『これはうまいな。もうないのか。』
と言われた。


いやいや、私が上司なら部下に買いますけど。

漢気がない人だ。

シュークリーム

他の部下にも思いやりは皆無。

私はいつもポケットマネーでメンバーにお菓子など差し入れていた。
自分が食べたい時に、みんなの分も買っていた。

時間がないからいつも斜め前のコンビニで買っていた。

ある時、同じものが人数分なくて、2種類になった。

サイボーグはたまたま席を外していたし、同僚から配り始めた。

いずれも仕事の妨げにならないよう、片手で食べられるお菓子。

最後になったサイボーグには、シュークリームを置いた。

席に戻った上司は、シュークリームを食べたのだが(もちろん、お礼はない)その時、中のクリームをネクタイにボトッと落としてしまった。

サイボーグ曰く、
『なんだ、食べにくいな。違うお菓子が良かった。』
『申し訳ありません。』と私。

ネクタイを洗いに席を立ったサイボーグがいなくなると、周りから『なんで?(私は)悪くないじゃないですか?
むしろ、部下を労うことしないあっちが悪いのに。』と言われた。

そんなサイボーグ。

あまりに仕事が終わらないから、他人にも頼みたいというと、

『ここにお前とAさん(優秀なパートさん)以外に使えるやつがいるのか?
どうせやらせてもミスして、お前の仕事が増えるだけだ!自分でやれ!』と怒鳴られ分担は許されなかった。

監査が入った時も、別の方の仕事なのに事前の準備に駆り出され、
確かに不備だらけでやり直して深夜残業。
1人残って黙々と。

サイボーグはある意味正しかった。

ある同僚Bさん。
気を利かせたのか、私のチェックを通さずなぜか勝手にやってしまった仕事が大変な大失敗で私と鬼上司で尻拭いして懲りた。
かなり大変な尻拭いだった。

コピーもまともにとれないBさん。
他の同僚も確かにあまり仕事ができなかった。

Bさんは絶望的だった。

毎回ノートを取ってもらうが、どこに書いたかも忘れてしまい、そこを私が教える始末。

私はその部署から2人異動で出たの後任(補充は1人)で2人分の仕事があり、もはや教えている時間がないので諦めた。
優秀パートAさんがいなかったら、無理だったと思う。
毎日23時くらいに会社を出ており長時間労働だった。(もちろん朝も始業前。)

Bさんはコピーもとれなかった。

会議資料の両面、丁合、ホチキス留の設定を何回教えても覚えられないのかミスをする。
何度もみんなが帰った後22時過ぎにに彼女のミスコピーを廃棄し、やり直したことか。。。

今思い出してもキツイ毎日だったなぁ。(遠い目)

その頃には、私はもはや悟り?の境地で、いかにそのサイボーグに対して、自分が心をフラットに保てるかに意欲を燃やしていた。

相手は変わらない。

ならば自分がやりやすいようにするしかない。
いちいち、腹を立てても仕方がない。

それでも、自分で考えず、指示に従うだけだと、脳みそが退化しそうでそれは不安だった。

一口羊羹

とらやの一口羊羹を見ると、サイボーグのことを思い出す。

このサイボーグとの記憶はある意味強烈でいまだにいろいろと思い出す。

トラウマというより、死ぬほど頑張れた昔の私を思い出すのだ。

何であんなに頑張れたのか、って。

プライベートを犠牲にして、
得たものがあったんだろうか。

ないとすれば悲しいが今更仕方ない。

時間は巻き戻せない。

代償

その頃からか、
自分軸が揺らぐというか、
分からなくなってしまった感じがある。

時々思う。

もし闘っていたらどうだったかな。

でも、闘えば、次どこに飛ばされるか分からない。

そう言っていた周りの男性の気持ちがよく分かる。
その時はそれが怖かった。

確かに。

逆らって、次おかしなところ?に飛ばされるリスクはあるのだ。

当時の私は、
『サイボーグには勝てない。
勝てない闘いを挑むのは意味がない。』
そう思っていた。

一口羊羹を見ると思い出すあの日々。

毎日時計台と灯りの消えたテレビ塔と見ながら帰ったなあ。

NHKの気温は真冬はだいたいマイナス15度から20度だった。

時計台とテレビ塔も仕事人間だった自分を思い出すものだ。

今は少し改善されたかもしれないが、土日も時間外も仕事をしている人はいる。

私はその働き方はやめた。
もう昔みたいに無理が効かないし。

こんなに頑張っても、
国力は下がっているし、
生産性も高くない日本。

なぜだろう。。




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