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インサイド・ブランデュー#1/地域チャンピオンズリーグ2018

 試合終了の笛が鳴った時、早乙女達海はベンチにいた。2018年11月、函館で開催された地域チャンピオンズリーグ(以下地域CL)第3戦。先制点を決めた後、怪我で退いていた。青森県のブランデュー弘前FCはこの年、東北社会人サッカーリーグ1部を優勝、地域CLに初めて出場していた。ピッチに残ったチームメートは決勝ラウンド進出に残されたいちるの望みにかけ、得失点差を有利にしておこうと貪欲に追加点を重ねていた。試合には勝ったが、わずか勝ち点1及ばず、JFL昇格の夢は潰えた。

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 達海は東北リーグで戦ってきた相手とのレベルの違いを感じていた。こいつら戦い方知ってるな。ボールの回され方やシュートの打たれ方が違う。自分たちは形を作れず、シュートにもっていけない。おかしい。J2からレンタルで来た東北リーグ得点王なんてこんなもんか。あざ笑われているようだった。3試合でわずか1ゴール。何もできず、放心したまま函館の空を見上げていた。立ち上がって振り返るとスタンドの一角を桜色に染めた弘前のサポーターの姿が目に入った。期待に応えられなかった無力感。無性にこみ上げてくる悔しさ。打ち震えながらロッカールームに立ち去ると達海は号泣した。

 2019年3月。雪がまだ残る弘前市運動公園球技場にボールを蹴る達海の姿があった。2月までJ2栃木SCのキャンプに参加した後、弘前へのレンタル延長が決まった。もう1年地域リーグでやってこい。ふてくされたい気持ちにもなった。しかし、栃木のキャンプで目の当たりにした技術の差。プロ意識の高さ。Jリーガーとして自分は甘い。ヒリヒリするような地域CLの緊張感の中で何もできなかった自分が今の自分。あの舞台を乗り越えられなければ、栃木で試合には出られない。もう一度あそこで戦いたい。他のクラブの選択肢もあったが、達海は弘前での2年目を選んだ。要求されるのは1年目以上の結果。だからこそ壁にぶつかった時も得るものは大きいはず。住み慣れた弘前ならサッカーに集中できる。自分に課した高いハードルを飛び越えてこそ、温かく接してくれた弘前の人たちの期待に応えられる。函館で見上げた満開の桜色。あの中に、涙ではなく笑顔で飛び込みたい。地元栃木への思いが強い達海には、弘前の人が自分の街のクラブを愛する気持ちが切ないくらいにわかる。

 達海は来年の自分を思い描く。地元のヒーローとして栃木のピッチで躍動する自分の姿を。しかし、描き切れない。何かが欠けている。それが弘前で見つかると確信したからこそ戻ってきた。地元への愛着を桜色のユニフォームに重ねて。

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 高木輝之にとって、弘前は初めて地元を離れて生活する街になる。近くにそびえる岩木山。なんかスケールの大きい街だな。ワクワクした気持ちになった。東京生まれ、東京育ちの22歳。Jリーグは身近にあった。4歳の時に親と一緒に行った国立競技場。初めて観た試合は東京ダービー。ゴールが決まった瞬間の歓声、沸き立つスタンド。幼い高木は夢中になった。買ってもらったユニフォームはFC東京のルーカス選手。ジュビロ磐田のゴン中山選手にも憧れた。ゴールを決めるストライカーが高木少年のヒーロー。幼なじみの高橋君に誘われて幼稚園でサッカーを始めた。その卒園大会の試合で活躍した高橋君が地元紙に写真入りで載った。すごいな、サッカーで新聞に載るなんて。身近なヒーローに高木は初めて競争心を覚えた。

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 小学校にあがると背の高かった高木はセンターバックに転向。仲間と切磋琢磨しながら上手くなり、試合に勝つことが楽しかった。6年生の時、東京ヴェルディのジュニアユースと対戦し、交代するまで無失点に抑えた高木は新聞に載った。東京代表にも選ばれた。中学は地元のクラブチーム、高校はスポーツ推薦で入った地元校でフォワードとして活躍した。が、いつも上には高橋君がいた。FC東京のジュニアユースからユースに進み、3年生の時にU18全国準優勝。もう追いつけない。憧れのJリーガーに近づいていく高橋君と置いていかれていく自分。高木は自分の歩むべき道を考え始めていた。

 大学進学は教職を優先した。サッカーとの出会いを与えてくれた父親も小学校の教員だった。思えば、自分もずっと教員になる夢も抱いていた。しかし、教職を取り、卒業を前にするとサッカーへの思いを断ち切れない。父は50代で教員を辞め、夢だった研究者への道を歩んだ。高橋君もまた、FC東京のトップチーム昇格が叶わず、JFLのクラブでJリーガーを目指している。自分だけ夢を諦めていいのか?Jリーガーになるという夢を実現した経験を子供たちに伝えたい。それこそが自分の夢だと気付いた高木は教職を封印し、サッカーを続けることにした。技術だけでなく自分の考えを評価し、尊重してくれるクラブに出会った。高木は今、弘前でJリーガーを目指している。


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 小田桐龍也は、はにかみながら津軽弁のイントネーションでボソボソと話す。県外出身者が多勢を占めるようになったチームにあって、地元キャラが際立つ。黒石市出身。17歳の時に創設されたブランデューU|18に入団した。高校卒業後の2016年にトップチームに昇格。ほとんど試合出場が無いまま2年を過ごすが、2018シーズンの序盤にチャンスをつかむ。内藤就行監督に豊富な運動量を買われ、サイドを主戦場に覚醒。最終ラインまで下がって守備もこなし、スルスルと前線に顔を出してゴールも決める。年の近い栃木組とは普段から仲が良かったが、ピッチの中でも息が合った。お互いに同じイメージを描いてるのがわかる。イメージ通りにパスを交換して走ると、相手の守備ラインを切り裂いていた。サッカーが楽しい。実質1年目。試合に出続けることも、ゴールを決めることも、全てが初めてだった。

 地域CL年予選ラウンド。過酷な3日間のサバイバル。初戦、高知ユナイテッドに逆転勝利し、迎えた2戦目は1位突破をかけたFC刈谷戦。チームは未知の領域に入っていた。息詰まる緊張感。極限状態の中、限界を超えたプレーが続く。GKの荒井大が再三のスーパーセーブでゴールを死守。前線の選手がゴールライン上からボールをかき出す。皆、死に物狂いだった。皆、高揚していた。

 決勝点はあっけなかった。前半30分を過ぎる頃、龍也は自分の右サイドに敵が圧力をかけていることに気付いていた。相手が1枚多い局面が増えていく。ヤバイな。耐えきれない。タッチライン際、裏に抜かれた。すかさずDFの濱中力がカバーに入る。その瞬間、相手の蹴ったクロスボールが濱中の伸ばした脚に当たった。函館の青い空に白いボールがふわりと浮かんだ。見上げるGK荒井大の頭を越えてゆっくりとゴールに吸い込まれていくボールの軌跡を、龍也は見ていることしかできなかった。

 決定的チャンスは後半に巡ってきた。ボランチの山本廉が左後方からセンターフォワードの本庄めがけて早めにボールを放り込み、競った本庄からこぼれたボールが、右からペナルティエリアに走りこんできた龍也の足元に転がってきた。いける。トラップして確実に。イメージは描けた。しかし、脚が動かない。遅れた一瞬の間に詰めてきたGKにシュートは弾かれ、龍也はもつれるように崩れ落ちた。もう脚に力が残っていなかった。

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 試合に負けるのはいつも悔しい。しかし、これほどの悔しさを覚えたことはなかった。1センチ、トラップがずれた瞬間、ピンチになった。1秒、走るのが遅れてゴールを決められなかった。ギリギリの戦いの中で見えた自分の力。思い出したくないが、思い出さなければいけない。もう一度、あの場所で自分に勝ちたい。

 今季から龍也は背番号10を背負う。クラブから打診された時は躊躇(ちゅうちょ)した。エースナンバーの地元選手。思い浮かぶのはヴァンラーレ八戸の新井山祥智選手。J3に昇格したチームにあって、今なお不動の10番として君臨する。弘前から夢見るJの舞台。そこで10番を背負うヒーローも地元の選手であってほしい。その時は-。もう寡黙なだけじゃない。期待と責任を受け止めて戦う覚悟はできている。10番は誰にも渡さない。自分を越えるために。勝つために。

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text: Hiroki Nakamura  | photo: Shinji Narita

エピソード1は2019年4月26日付「陸奥新報」別刷特集に掲載されました。

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photo:Hiroki Nakamura