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ぼくが子ども自転車教室を続ける理由〜ウィーラースクール

ぼくは日本でウィーラースクールという、子ども向けの自転車教室をやっている。

「日本で」と書いたのは、ぼくらがやっている自転車教室がもともと日本にあったものではなく、北欧の国ベルギーの自転車教室がその起源だからだ。
なぜベルギーなのかというと、彼の国は自転車競技が非常に盛んで、ロードレースやトラック、シクロクロスなどで多くの世界チャンピオンを輩出している。それだけではなくものすごく多くの自転車競技のファンもいる。それもかなり熱狂的だ。
これはベルギーに限った事ではなく、ヨーロッパ(特に北部の国々)では、自転車という乗りものが、かなりの市民権を得ている。当然、街の中には縦横に張り巡らされた自転車道、通行帯があり、へたに車で動くよりも、自転車に乗った方が効率よく街中を動けるインフラの仕組みになっている。
当然、法律もまた自転車を車よりも優遇するようになっていて、自転車活用の優位を妨げるものがあまりない。

翻って日本だ。
ご存じのように、日本で自転車教室と言えば、交通安全教室という名で、警察や交通安全協会が全国の小学校で行っている教室をイメージする人は多いだろうと思う。もう何十年も続いたこの活動を継続する大変さを考えると、実行する方々には頭が下がる思いだが、正直なところ、日本の交通社会を見渡しても、ルールをよく理解していない自転車乗りが多い。
なぜ、自転車の交通安全教育を行っているのに、交通ルール無視、いや、無視どころか、内容をまったく知らない人が多いのか。
マナーのかけらもない自転車の乗り方をする人が多いのか。

ぼくは考えた。
これは、そもそもの教育になにかが足らないのではないか。
そもそも教育の手法も、間違っているからじゃないのか。

そんな時に出会ったのが、彼の国からやってきたウィーラースクールだった。
今から15年前の2004年、神戸ポートアイランドで開催されていた自転車ロードレース会場に、その奇妙なスクールが神戸の市民グループにより開催されていた。
そして、それがウィーラースクールが日本で初めてお披露目された記念すべき瞬間でもあった。

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当時のウィーラースクールは、交通安全やマナーといったものに言及するようなものではなく、自転車競技者の底辺拡大を目的とした、れっきとしたサイクルスポーツ教室であった。
しかし、初めて目にしたそれは、確かにサイクルスポーツの教室だったのだが、これまで見たものとは何かが違っていた。
そこにはスポーツを、それも勝利を目指すという感じでガツガツやるような雰囲気はない。ただ一本橋や、スラロームのようなゲーム要素のたくさん入ったコースの中を、子どもたちが一生懸命挑戦し、成功したり失敗したりを繰り返しながら、そしてなにより「楽しそうに」走っているのが印象的なスクールだった。

そして、この「楽しさ」を前面に押しだした、ヨーロッパのスクールとの出会いが、図らずもぼくのこの後の人生を大きく変えることになる。
同時に、この出会いにより自転車を通じたぼくの社会に対しての考え方や、自身の行動そのものも大きく変えられることになった。

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改めて当時のぼくは考えた。
なぜ、日本では自転車の乗り方が良い方向に向かわないのか。
そもそもなぜ、日本での自転車活用の理解が進まないのか。

それは、自転車=便利で快適 という認識が社会全体に広がっていないからではなかろうか。そしてとても大切な感覚、「自転車は楽しい」ということを、子どもたちに教えてこなかったからではないだろうかと気づいたのだ。

ぼくらが開催する自転車教室「ウィーラースクール」は、なにより「楽しさ」を重視する。ただ楽しいだけでなく、なぜ楽しいのかを、受講する子どもたちに身体と心で感じとってもらうことを目指している。

楽しさは、生きるために必要なモチベーションだ。
そしてそのモチベーションは誰に決められるものでもなく、自分で見つけるものなのだ。

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自転車は子どもでも、自由に遠くへ行ける乗りもの。
だからこそ、そのために彼ら自身が、自分の身を守れるようにすることが、実は交通安全教育に求められるとても大切な使命だ。
そしてそれは、単にルールなどの情報を覚えることではなく、交通社会という集団行動の中で、自分がどう振る舞うべきなのかということを子どもたちに体験をもって感じ取ってもらうものだと、
自転車教育に携わってきたこれまでの自身の10年以上の経験から、ぼくはそう確信を持って言い切ることが出来る。

ぼくらはウィーラースクールを通じて、子どもたち自身が「自分で考え」、「他者を思いやる行動」ができる力、つまり社会性の基礎となる力を身につけてほしいと、心から願っている。
なぜなら、その力を身につけた子どもたちが、今度は未来の社会を担うからだ。
自転車という乗りものは、たかが自転車ではあるが、されど自転車でもある。そういう意味でも、自転車教室は個人レベルで出来る大きな社会変革を実現させる、未知の可能性を秘めていると強く思うのだ。

それが、ぼくが子ども自転車教室を続ける理由であり、そのはじまりでもある。

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子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。