田舎で地域問題に取り組むことの難しさ
先日、京都大学の先生方が主催する美山と、そこに関わる様々な研究者の方々との少しクローズドなオンライン会議に出席。後半の地元からの話題提供として、自転車の聖地プロジェクトから始まる僕が関わってる一連の活動を皆さんに共有させていただく機会を得た。
これまで美山と言えばなんといっても、「茅葺きの里」や「芦生の森」が対外的にもメインで、研究内容もそこに絞られすぎではないかと思うきらいもあった。
そんな方々に、美山全域で行うサイクルツーリズムや、それに伴う地域振興への取り組みのこれまでの実績や可能性などについて情報共有させていただいたところ、ほぼ全員がそのボリュームや実績に驚かれたというわけだ。
内容に感動した!と、メッセージも続々と寄せられているとの報告も聞いている。
元々、僕がこれに呼ばれたのも、この会を主催してる先生方が、ふとしたことで僕のことを知り、わざわざCYCLE SEEDSに話を聞きに来てくださり、活動の精度、継続性、拡張性に驚かれたことから、今回是非に!ということになったわけなのだが、何より特筆すべきこととして、その先生方の反応で、
「これまで数年間、美山でこうした人材や活動を探してきたけど、誰一人ブラッキーさんや、その具体的な活動を紹介してくれなかった。」と、真顔で言われたことであった。
このエピソードから読み取れるのは、僕らみたいな活動には、
外からと中から見たのとでの、捕まえ方の大きなギャップの大きさ、住民の立場の違い、思いの乖離が激しく存在するということである。
つまり、一見、派手に見える活動や成果も、必ずしも地域の人が手放しで喜んで、外に向けて伝えようということにはならないという事を示唆する。
社会問題に対し、効果的な策を企画し、計画、実行し、それを検証してアップデートする。そして更なる問題点を洗い出し、それらに対応する柔軟な思考を元に、皆で目的やビジョンの意識を共有することはとても大切なのだが、例えば今回の僕にまつわる事例からもわかるように、世の中には、悪く言えばこうした移住者などの活動を「黙殺」しようとする「無意識の行動」が発生し、せっかくの活動が広く効果的に認知されないという事例が発生するわけなのだ。
多分、こうした事例はどこの田舎にもあるだろうと推察され、改めて日本の田舎は変わらないといけないと痛感する。
ただ、もう田舎は全国的にもテンパっており、その置かれた状況は、まさに田舎そのものの消滅に向かってるのが実際。
とにかく時間がないので、僕らはひたすら周りを気にせず、仲間たちと信じた道を進むのみ、つまり、より実効性のある活動を間断なく、継続性を持ちながら行うのみというわけなのだ。
子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。