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異文化の国で、ラグビーをやりたかった。 LO/ ジョシュ グッドヒュー

他の外国人選手もそうだが、異国の小さな街に生まれ育った、のっぽの少年が今こうしてブラックラムズファミリーの一員となってくれていることに不思議な縁を感じる。ジョシュは、きっと好奇心が強いのだと思う。日本に来るまで順調にキャリアを重ねて来たが、ずっとラグビー漬けの人生を歩んできた。今はラグビーだけでは無く異なる文化も生活も楽しむことができている。ジョシュ グッドヒュー選手の、これまでの道のりをいっしょに辿ってみよう。

ラグビー一家に生まれて

左からジャック、兄、姉、兄、ジョシュ

実家はニュージーランドのノースランド(北島)の酪農家。人口4000人ぐらいの小さな街に住んでいた。

ジョシュの父親はプロではなかったが元ラグビー選手で、ローカルクラブのコーチをやっていた。上の兄二人が、先にラグビーを始めていた。4歳の時、母にやってこいと言われて、双子の兄弟のジャックと一緒に、上の二人の兄たちが入っていた地元の小さなラグビークラブに入りラグビーを始める。ニュージーランドだと、男の子は普通4歳ぐらいからラグビーを始めるものらしい。

そのクラブには13歳になるまで通っていた。

「遊びで、夏はタッチラグビーとか水泳とかもやっていましたが、レースとか競争とか、そういうレベルではありませんでした。最初からコンタクトありのラグビーでした。今は変わってますけどね(笑)。覚えている限りでは、体をぶつける怖さは無かったと思います。まあそれぐらいの歳頃の子供は、とにかく楽しさっていうのがやっぱり一番大きかったんじゃないかな」

小さい頃から、ちょっと細めではあったが背は高かった。

「8歳ぐらいまでは、特にポジションはありませんでした。その後は、No.8をやりました。ボールを持って走って、ロックより全然楽しいと思います(笑)」

13歳になると、兄たちが先に入っていたオークランドの全寮制の寄宿学校『マウント・アルバート・グラマー・スクール』にジャックと一緒に入学。

「その学校を選んだ理由はたくさんあるのですが、教育のこともあるし、オークランドの方が多様性があり、いろんな人がいるので、いろんな文化を体験して欲しいという両親の思いもあったようです。もちろんラグビーも強豪校でした」
 
ジャックとジョシュが入った頃には、一番上の兄はもう卒業していたが、4人兄弟全員がその学校で寮生活を送った。
 
学校には10個以上のラグビーチームがあった。14歳までは学年別のチームで、15歳〜18歳はパフォーマンスによってトップチームの1st 15チームから2nd 15チーム…というように分かれていた。
 
「マウント・アルバートに入ってからのポジションは、ロックです。No.8にはパシフィックアイランダー系の強いボールキャリアーがいっぱいいたんですよね(笑)」
 
15歳からトップチームである1st 15チームに入ることができた。15歳でトップチームに入れるのは3、4人しかいなかった。
 
最後はキャプテンまで務めたが、オークランド州のスクールリーグでの成績は芳しく無かったと云う。

「最初の2年はプレーオフに行けなくて、最後の年はセミファイナルで負けました。双子の兄弟のジャックや後にオーストラリア代表になった選手も一緒で、強いチームだったのですが、結果は残せませんでした」
 
オークランド州の年代別代表にはずっと選ばれていたが、当時は将来プロラグビー選手でやっていけるという確固たる自信は無かった。

「高校時代は身長はそれなりにあったのですが細かったので、自分よりもっと強い選手がいました。でも高校を卒業してから、結構サイズが大きくなってプロに繋がったと思います」

高校卒業後は、当時イングランドのウスター・ウォリアーズでプレーしていた長兄キャメロンを頼って渡英。

「兄がいたチームのアカデミーで、1ヶ月半ぐらいプレーしていました。そこで契約することも考えてはみましたが、まだニュージーランドを離れたくないというか、ちょっと準備しきれてないという判断で戻りました」

帰国後、地元のノースランド(※ニュージーランド国内プロリーグ『バニングス NPC』に加盟する、北島にあるラグビーユニオンチーム)でプレーし、U19歳州代表のキャプテンも務めた。

「ホームチームのノースランドのためにプレーしたいという思いはいつもありました。ノースランドは、子供の頃ほとんど全試合観に行っていたぐらいの特別なチームだったので、そこの選手になることを目指していました。僕ら兄弟の間では、オールブラックスが目標というわけでは無く、まずノースランドに入ることが頭にありました」

その後、南島に移り住み、ジャックのいたリンカーン大学に進学。2015年からは再び故郷に戻り、ノースランドで7シーズンプレーした。2015年にはU 20ニュージーランド代表としてU 20ワールド・ラグビーチャンピオンシップの優勝に貢献した。

スーパーラグビー『ブルーズ』での6シーズン

2017年からは、国内リーグのノースランドでの活動と並行して、スーパーラグビー『ブルーズ』でも活動。12月〜6月までがスーパーラグビーのシーズンで、バニングスNPC(国内プロリーグ)は8月〜11月がシーズンなので、2017年〜2022年までは二つのチームを掛け持ちしていた。

「スーパーラグビーで試合が終わった後の月曜日は、もうエネルギーゼロっていう感じでした(笑)。南アフリカにいたと思ったら、ニュージーランドに戻ってハリケーンズとやらなくちゃいけなかったり、めちゃくちゃ疲れました。次の週が来たら、またすぐ海外の試合に行かなくてはならなかったりしたので、メンタル的に強くなりました」
 
「サンウルブズとは3回試合して、そのうち2回は東京でやっています。一回負けました(笑)」

日本に来る前のブルーズでの最後のシーズンは、チームの主力として活躍し、スーパーラグビーの決勝まで行ったが、ジャックがいるクルセイダースと戦い、敗れて準優勝となった。

「僕が入団した当時のブルーズは、それほど強くはありませんでした。最後優勝には手が届きませんでしたが、だんだん強くなっていった過程に関われたことには特別な思いがあります。また幼なじみでベストフレンドのトム・ロビンソン選手と一緒にプレーできたこともいい思い出です」

異文化の国でラグビーをやりたくて、ブラックラムズ東京入団

2022年のニュージーランド国内リーグを戦い終えると、休むことなくブラックラムズ東京に移籍。

「ニュージーランドではもう十分やり尽くしたなと感じて、違う国に住んでみたいと思っていました。できれば、日本がいいなって思っていたんです。日本でプレーした経験のある選手からいろいろと話を訊いてみると、みんなリコーがベストなチームじゃないかと言っていました。エージェントの人に相談したら、リコーが興味を持っているって聞いて、チャンスだと思ってもう飛びつくように決めました。

なぜ日本でプレーしたかったかというと、”I Love Japanese Foods”(笑)。
本当は別の文化に飛び込むというか、そういったチャレンジをしてみたいと思ったからです」

「イングランド等のチームに移籍することも可能だったかもしれないのですが、英語圏の国だと言葉は一緒ですよね。全然違う国に行った方が、もっと世界を別の視点で見ることができるんじゃないかと思いました。それと日本のラグビーは観ていて楽しくて、エンターテイメント性があると思いました。ヨーロッパのラグビーは、僕にとってちょっとつまらないかなって感じるので、そういったラグビーのところでも日本に魅力を感じました」

現在は放映していないらしいが、以前はニュージーランドのテレビでも日本のトップリーグの試合を見ることができた。ジョシュは、アタックにフォーカスが強いラグビースタイルだなと感じた。また、かなりフィットネスが高くないとできないゲームをやっているなとも思った。シーズンごとに選手たちが成長していくのも見てわかり、すごくいいリーグになっていく予感がして、エキサイティングな印象を持った。

日本でのラグビーライフについて

「日本に来てみると、すごくフレンドリーですごく温かく迎えてくれる国だなって思いましたね。もちろんニュージーランドとは全然違うんですけど、いろんな所にアクセスしやすいこととか、何かストラクチャーがしっかりしてるっていう感じはありますよね。それと、これも本当に僕の個人的な印象かもしれないですけど、何か辛抱強い感じがします。
 
例えばニュージーランドで誰かが歩いているのを邪魔してしまったりしたら、多分怒られるとか悪い言葉を言われることが想像できるのですが、日本人はすごく親切で丁寧で、そういうことはないのかなと思います」
 
「スーパーラグビーのように年中いろんな国に移動してラグビーをしなければいけない環境と違って、日本のリーグは、僕と妻にとってはやっぱりいいですよね。国外から戻ってきてすごく疲れているのに、また次の日も練習みたいなねことは、日本のリーグでは無いので。ですから、妻と一緒の時間を過ごすという意味でも、すごくいい機会になっています。東京を二人でちょっと探索したりもしています。それと、自分にとってはリカバリーの意味でも良かったと思います」

2022-23シーズンを戦い終えて

「フィジカリティレベルに関しては、少しショックを受けました。もちろんフィジカリティレベルも高いのは分かってましたけど、スーパーラグビーの方がそこはもっと上だと思っていましたので。スーパーラグビーとフィジカリティレベルは近いと思います」
 
「トレーニング中でも、何かを見てそれを言葉にしようとするのは結構難しい時もあります。通訳の人を通してでも、基本的なアイディアとかを伝えられるようにチャレンジしています。でもやっぱり日本語を覚えることはすごく大事なことだなと思って、頑張っています(笑)。やっぱり頑張ってその国の言語を覚えようとしている選手の方が、成功する確率が高いと思ってます」
 
「スーパーラグビーをやって、ニュージーランドの国内リーグをやって、すぐ日本に来て試合に出ていたので、結構体が痛んでいたと思うんですね。今こうやってオフの期間をもらえたっていうのは、自分のラグビーキャリアの中で初めてぐらいです(※インタビューは、2023年7月27日)。なので、今はとにかく体をもう一度健康な状態に戻そうっていうところにフォーカスしています」
 
「日本に来ていいスタートを切れたんですけど、シーズン中何度か怪我をしてしまっていたので、次のシーズンは全試合に出られるようにしたいと思っています。今体調はすごくいい感じに戻りました」

今シーズン、トップ4に入るために

「かなりプレッシャーのかかる場面でも、実行できるようになること。プレッシャーが無い時はすごくいいチームだと思うんですけど、プレッシャーがかかった場面で本来のプレーができなかったことがありました。例えばクロスゲームになった時に、チームとしてどういうリアクションを見せていけるかが重要なのかなと思います。
 
そのプレッシャーって、外から来るというよりは、多分メンタルの問題なんじゃないかと思いますね」

ラグビーの好きなところと、これから先のこと

「チームとしてハードワークをして、そのハードワークが週末結果につながるところがすごく好きです。すごく報われた気持ちになります。あとは、やってきたことがちゃんと実になって結果につながるんだって分かると、またやりたくなりますね」
 
「あと数年は日本に残りたいと思っています。もちろん契約次第ですけど。
今の時点では他のどこかでプレーしたいとかっていう願望はないですね。歳をとってプロ選手を引退したら、ホームタウンに戻ってアマチュアラグビーをできたらいいなとは思っています。何人か自分の子供を持って、子供たちにコーチングをしてあげたりするのは夢ですね」

ファンの皆さまへ

「ブラックラムズのファンの皆さんは、すごく情熱的ですね。外国人にもすごく暖かいですし、サポートを感じるので、自分ももっといいパフォーマンスをしなければという気持ちになります。

ファンの皆さんがいつも応援してくれたり、いつも暖かい雰囲気を作ってくれるおかげで、すごくやりやすかったです。そういうところはすごく感謝していますので、ぜひ伝えてもらいたいと思います」

知る人ぞ知る、ジョシュのニックネームは、『ビッグセクシー』!その通りの素敵な笑顔で、ファンへの感謝の言葉を伝えてインタビューを終えた。オフシーズンに万全の体調に戻したジョシュ グッドヒュー選手の、今シーズンの活躍をぜひ楽しみにしてください。そして、試合会場でぜひ大きな声援を送ってください!

  




 


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