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運命の絆。 FL / ファカタヴァ タラウ侍

トンガ出身。双子の兄。弟は、現在日本代表メンバーとして9月8日から始まるラグビーワールドカップフランス大会に向けて遠征しているアマト・ファカタヴァ選手。二人はいつも一緒だった。家族や兄弟の絆、日本との絆、日本でできたファミリーとの新しい絆。様々な人たちの思いも背負って、タラウはラグビーを続ける。昨シーズン中の試合で大きな怪我を負ってしまったが、来シーズンに向けて順調に回復している。大きな志を持って日本にやって来て、ラムズファミリーになってくれたタラウの道のりを辿ってみよう。

友達や従兄弟たちと、ラグビーで遊んでいた

「トンガのメインアイランドに住んでいました。トンガの人口は詳しくは分かりませんが、多分世田谷の方が多いです。たくさんいないってことはわかっています(笑)」

「双子の弟のアマトと、もう一人弟がいます。それにお姉さんが二人。もう一人の弟は、横浜キヤノンイーグルスに所属しています(※FL/No.8 ソセフォ・ファカタヴァ選手)。男の子は3人とも日本でラグビーのプロ選手になっています。ラッキー(笑)」

左からアマト、ソセフォ、タラウ

「アマトが弟で、僕が兄になるのですが、あんまり自分がお兄さんだと思ったことはありません。「僕の言うことを聞きなさい!」みたいなお兄さん的なことはしなくて、友達のような対等の関係です。昔からアマトとは仲が良かったのですが、トンガを出てからよけい親密になったような気がします」

左がタラウ、真ん中がネイサン ヒューズ、右がアマト

トンガでは、ラグビーはNo.1スポーツであり、唯一のスポーツと言ってもいいぐらいの存在だ。ほとんどの男の子はラグビーをやる。ラグビーユニオン(15人制)の方が人気だが、ラグビーリーグ(13人制)も行われている。

「子供の頃は、近所の友達とタッチラグビーをよくやっていました。そうやってだんだん上手になっていきました。高校に入るまでは、ラグビーのコーチングを受けたことはありません。テレビでラグビーを見て、それを真似してやっていました(笑)。高校に入る前までは、従兄弟たちとか友達とタッチラグビーをプレーしたりすることが、トンガでは普通です。タッチラグビーでタックルは無しです。パスやスキルがうまくなっていきました」

当時のトンガでは、ラグビーの上手い高校生が入ることができるクラブチームはあったが、子供たちのためのクラブチームは無かった。

兄弟3人とも、小さい頃からラグビーが好きだったので、将来はラグビー選手になることが夢だった。

プロラグビー選手になるため、ニュージーランドの高校へ留学

父親代わりの叔父さんが通っていた高校に入学した。特にラグビーが強い高校ではなかったが、その高校のチームで初めて本格的にラグビーを習った。学年ごとにチームがあって、それぞれのチームに30人ぐらいの選手がいて、毎日練習をしていた。

高校2年まではそのトンガの高校に通っていたが、3年の時にニュージーランドの高校に転校した。それは、将来ニュージーランドでプロラグビー選手になるためだった。

左がタラウ、右がアマト

「スカウトされて奨学金をもらって留学しました。アマトも一緒です。いつも一緒(笑)」

ニュージーランドでは、ホームステイ生活をしていた。ラグビーでのポジションは、ロックとフランカーだった。

「ニュージーランドの高校では、大きなトーナメントに出ました。21歳以下のカンタベリー州代表に選ばれて、州対抗のニュージーランドU21大会に出ました。アマトも一緒です。

ワイカト州チームとかオークランド州チームなどいろいろな州代表チームと戦いました。プレイオフトーナメントみたいな感じで勝ったら先に進むという形式です」

チャンスを求めて、何も知らない日本の大学へ

「下の弟が、先に日本の目黒学院高校に行っていたことが大きかったです。もちろんニュージーランドを出るということは、ニュージーランドでプロのラグビー選手になるってことを諦めなければならないことはわかっていました。でも僕の叔父さんも、それがいいんじゃないかと言いました。自分たちがまだ若い時に父が亡くなってしまったので、叔父さんが育ての親みたいな感じでした」

赤ちゃんを抱っこしているのが叔父さん

シナリ・ラトゥ氏(※トンガ出身の元日本代表ラグビー選手)と大東文化大学ラグビー部監督の青柳氏(※青柳 勝彦氏。現パナソニックワイルドナイツFWコーチ))の二人が、トンガで大東文化大学ラグビー部のスカウト活動を行なっていた。

「日本に来ればラグビーのいい未来が待っているし、家族を助けることができると言われました。日本についても日本のラグビーに関しても全く知りませんでしたが、弟に会えるなとは思いました」

そうして日本にやって来た。全てが初めてのことで、最初はナーバスになっていた。

「ニュージーランドとかトンガとは全く違う国だなと思いました。僕の周りには、日本人しかいなかったし、寮もトンガのスタイルとは違って、全てが新しい経験でした」

トンガで街を走っているトヨタや三菱の車が日本製だということがわかって、驚いた。

日本語が全く分からなかったため、コミュニケーションには苦労した。チームメイトの日本人が日本語を教えてくれて、そこから日本の文化も学び始めた。例えば、寮には日本式のルールがあって、それをちゃんと守らなくてはいけないこととかを含めて。

「でも、アマトといつも一緒にいたので、ホームシックになったことはありません。それは、ニュージーランドの高校に一緒に行っていた時もそうでした」

父親代わりとなってくれていた叔父さんから、日本に来る前に言われた言葉が支えとなった。

『生き残るためには、自分で生き残る方法を見つけないといけないよ』
『どんな国に行こうとも、そこにはルールがあるから、そのルールをきちんと守りなさい』

それと叔父さんからは、『もう一生帰ってくるな』とも言われた。

「『もちろんトンガに遊びに来るのはいいよ。でも問題を起こして、もうどうしてもトンガにしか帰れないという状況になるなよ』とか『なんか日本で悪いことをして追放されるようなことは絶対にするな』と、言われました」

日本に来る前は、日本ではラグビーはそんなに一般的なスポーツでは無いと思っていた。でも実際に来てみると、思っていたよりもレベルは高かった。

「クレイジーにジムワークもやるし、体にいい食事やプロテインとかのサプリメントも豊富にあって、フィットネスもしっかりやっていました。どんどん強くなる過程だなって思いました」

大学1年と3年の時は、大学選手権でトップ4に入った。また4年の時には、アマトと共に関東学生代表に選ばれた。

湯川純平選手は、2歳下だが同期のチームメイトだった。

若い選手でもチャンスがあると感じたリコーブラックラムズへ入団

「リコーは、若い選手にもチャンスを与えてくれるチームだと感じていたので、行きたいと思っていました。リコーに行けば、プレーをするチャンスがあるだろうって思いました」

現在の外国人選手枠カテゴリーA資格条件は、48 か月間以上継続して日本を居 住地としていればよいが(※日本国外滞在日数が年間 62 日以下であること等の条件あり)、当時は帰化していないとカテゴリーAには入れなかった。だから、大学4年間を日本でラグビーをしていただけでは、カテゴリーBにしかなれなかったので、公式戦出場するにあたっては一試合あたりの外国人枠人数制限があった。

「リコーに入って、大学とはレベルが違うなと思いました。でも、プロのラグビー生活がここでスタートしたなっていう気持ちになりました」

選手たちのプレーのレベルも高いと感じたし、コーチングのスキルも全然違うと思い、ここに来れたことをすごくうれしく思ったが、問題が一つあった。

大学時代に手を骨折してしまって全く練習ができなかったために、トンガに二ヶ月ぐらい帰国していて、その間にクレイジーなぐらい体重が増えてしまったのだ。

「フィットネスがなかったので、毎日死にそうなぐらい走らされました(笑)。走らされ続けていたので、ちょっと諦めようっていう気にもなったけど、僕のキャリアをここでしっかりと作っていきたいって思って、頑張りました」

「リコーに入団してから、大学時代と比べたらフィットネスはすごく良くなったと思います。あとはラグビーの知識やスキルも上がったと思います。全てが学びでした。スクラムのテクニックも含めてほとんどの部分で能力が上がったと思います。

大学時代から比べると、凄くレベルアップしていると思います。ラグビーのことをもっと学んで、わかるようになったと感じています」

これからのことと、ブラックラムズ東京への思い

昨シーズンの試合で大怪我を負ってしまい、現在は来シーズン出場に向けてリハビリを続けている。

「いつかはインターナショナルなレベルでやりたいと思っていたけど、やっぱりこの大きな怪我があってからは、ブラックラムズ東京のためにプレーしたいという気持ちがより強くなりました」

だがチャンスがあれば、今でもインターナショナルレベルでプレーしたいと思っている。

「アマトと一緒に日本代表にもなりたいですね。アマトからは、日本代表はまたレベルが違うよって聞いています。やっぱりインターナショナルレベルだし、ラグビーの最高峰ってこういうことなんだなって言っていました」

今はまず、それよりもブラックラムズ東京のためにプレーしたいと思っている。

「僕もやっぱりどんどん歳を取るわけです。ここを去る時が、多分ラグビーが終わる時かなと感じています。もうすぐ30歳だし、僕はブラックラムズ東京が自分を必要としてくれる限りここにいたいと思っています。だから僕の今のフォーカスは、ここにあります。もちろん、チャンスがあったらインターナショナルレベルでプレーしたいという気持ちはあるけど、今はブラックラムズ東京のためにプレーすることが一番です」

「日本での生活もすごく楽しんでいます。ここでラグビーできることは、本当にいいなって思っています。日本でラグビーをして日本に住むっていうことは、自分の夢の一つであったので、すごく嬉しいです」

「怪我は一日一日良くなってきているので、来シーズンがすごく楽しみです。またチャレンジしたいと思っています」

来シーズンは、タラウが怪我からきっと復活できると信じている。そして、運命の絆であるタラウとアマトの揃った姿がやっぱり見たい。皆さま、どうぞファカタヴァ タラウ侍選手を応援してください!

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