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辞世の句一覧 - 3786文字

私の想い

辞世の句とは、この世に別れを告げまもなく死のうとする時に読む句。

人の人生は、一生かかっても、言い尽くすことはできない。

以下のたった30文字だけでもそれぞれのドラマ・人生を感じれることから、
あなたのような誰にも理解が不可能な、かけがえのないダイヤモンドのような人が、
簡単に命を絶とうことがどれだけ愚かな恥ずかしいことか理解してください。

文天祥「孔曰成仁 孟曰取義 惟其義尽 所以仁至 読聖賢書 所学何事 而今而後 庶幾無愧」

孔子は「仁」を成し遂げることを説き、孟子は「義」を取ることを説いた。その義を極めることで、仁が到達する。聖賢の書を読んで何を学んだのか?これから後も恥じることなく生きたい。

明智光秀「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」

順境も逆境も二つの道ではない。大道は心の源に通じている。五十五年の夢が覚めて、すべてが一つに帰る。

吉田松陰「吾今為国死 死不背君親 悠悠天地事 鑑照在明神」

私は今、国のために死ぬ。死んでも君主や親に背かない。広大な天地の事は、明神が見ている。

譚嗣同「望門投止思張倹 忍死須臾待杜根 我自横刀向天笑 去留肝胆両崑崙」

- 門を見て足を止めると、張倹のことを思い出す。
- 死を待つ忍耐の間、杜根のことを思う。
- 私は自ら刀を横にして、天に向かって笑う。
- 去ることも留まることも、心の中の胆力が崑崙山脈のように強い。

上杉謙信「四十九年一睡夢 一期栄華一盃酒」

四十九年の人生はひとつの眠りの夢のようなものだ。一生の栄華は一杯の酒のようなものだ。

快川紹喜「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」

心の安らぎを得るためには、必ずしも山や水の風景が必要ではない。心頭の煩悩を消し去れば、自然に涼しく感じるものだ。

柿本人麻呂「鴨山に 岩根し枕ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ」

鴨山で岩を枕にしている私のことを、あの人は知らずに待っているだろうか。

在原業平「つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」

最後には行かなければならない道だとは以前から聞いていたけれど、それが昨日今日のこととは思わなかった。

藤原定子「夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき」

一晩中誓ったことを忘れないならば、恋する涙の色がどんなに美しいかを知りたい。

平維盛「生まれては つひに死ぬてふ 事のみぞ 定めなき世に 定めありける」

生まれてきた以上、最終的には死ぬということだけが、この不確かな世の中で唯一確かなことだ。

西行「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」

願わくば、桜の花の咲くころに春に死にたい。そして、二月の満月のころに。

楠木正行「かゑらじと かねておもへば 梓弓 なき数に入る 名をぞとゞめる」

もう帰らないと覚悟しているので、戦場に向かう私の名は歴史に残るだろう。

大内義隆「討つ者も 討たるる者も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観」

敵を討つ者も討たれる者も、皆露や電光のように儚いものだ。こうした視点で物事を見るべきだ。

陶晴賢「何を惜しみ 何を恨まむ もとよりも このありさまの 定まれる身に」

何を惜しみ、何を恨もうか。もともと、このような運命に定められた身なのだから。

足利義輝「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」

五月の雨は露か涙か、不如帰(ホトトギス)よ、私の名を雲の上まで上げてくれ。

毛利元就「友を得て なほぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は」

友を得て、なお嬉しいのは桜の花が昨日から今日へと変わるその色と香りのようだ。

別所長治「今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命に代はる 我が身と思へば」

今となっては恨みはない。皆の命に代わる自分の身だと思えば。

清水宗治「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」

今こそ、この浮世を渡り切ろう。武士の名を高松の地に苔として残して。

お市の方「さらぬだに 打ぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ 郭公かな」

ただでさえ短い夏の夜が、さらに短くなるほどの夢路に誘うホトトギスよ。

柴田勝家「夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」

夏の夜の夢のように儚いこの世を去った後も、その名を雲の上まで上げてくれ、山のホトトギスよ。

織田信孝「昔より 主(あるじ)を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」

昔から主君を討つ運命にある野間の地だから、その報いを待てよ、羽柴筑前。

解説: 織田信孝は、野間の地が主君を討つ運命にあることを詠んでいます。その運命に従い、羽柴筑前(豊臣秀吉)に対して、報いを受けることを待てという覚悟を表現しています。

石川五右衛門「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」

石川の浜の砂が尽きることがあっても、この世から盗人がいなくなることはないだろう。

豊臣秀吉「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

露のように落ちて、露のように消えていった私の身。浪速(大阪)の出来事も夢のまた夢のようだ。

細川ガラシャ「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

散るべき時を知ってこそ、世の中の花は美しく、人もまた立派である。

石田三成「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」

筑摩の川辺に灯したかがり火とともに消えていく私の身である。

徳川家康「嬉しやと 再びさめて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空」

嬉しいことに、再び目が覚めて一眠り。浮き世の夢は、暁の空のようだ。

伊達政宗「曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」

曇りのない心の月を先立てて、この浮世の闇を照らして進んでいく。

蒲生氏郷「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」

終わりがあるのだから、風が吹かなくても花は散るのに、気が短い春の山風よ。

浅野長矩(内匠頭)「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」

風に誘われる花よりも、私は春の名残をどうすれば良いのかと悩む。

大石良雄(内蔵助)「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」

ああ楽しい、思いは晴れる。この身を捨てれば、浮世の月にかかる雲はない。

十返舎一九「此の世をば どりゃお暇(いとま)に せん香の 煙とともに 灰 左様なら」

この世をお暇するときに、香の煙とともに灰となる。さようなら。

曲亭馬琴「世の中の 役をのがれて もとのまゝ かへすぞあめと つちの人形」

世の中の役割を逃れて、元のまま土と水の人形に戻るのだ。

吉田松陰「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

たとえ身は武蔵の野辺に朽ち果てても、大和魂だけは残しておきたい。

土方歳三「よしや身は 蝦夷が島根に 朽ちぬとも 魂は東の 君や守らむ」

たとえ身は蝦夷(北海道)の島根に朽ち果てても、魂は東の君(主君)を守り続ける。

乃木希典「うつし世を 神去りましゝ 大君の みあと志たひて 我はゆくなり」

この現世を去られた大君の跡を追って、私も行くことにする。

乃木静子「先帝の 霊柩永しへに 宮闕を 出でさせたまふを 悲しみたる」

先帝の霊柩が永遠に宮殿を出て行かれるのを悲しんでいる。

牛島満「秋をまたで 枯れ行く島の 青草は 御国の春に またよみがえらなむ」

秋を待たずに枯れていく島の青草は、御国の春にまた蘇るだろう。

三島由紀夫「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」

散ることを惜しむ世の中や人々に先駆けて、散ることこそ花であり、小夜嵐の風だ。

島秋人「この澄める こころ在るとは 識らず来て 刑死の明日に 迫る夜温し」

この澄んだ心が自分にあるとは知らずに来て、明日刑死する前夜の穏やかさを感じている。

新門辰五郎「思ひおく まぐろの刺身 鰒汁 ふっくりぼぼに どぶろくの味」

思い残すのは、まぐろの刺身、あわびの汁、ふっくらとしたぼたもちにどぶろくの味だ。

松尾芭蕉「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

旅先で病気にかかり、夢の中で枯れた野原を走り回る。

高杉晋作「おもしろきこともなき世をおもしろく」

面白いことのない世の中を、面白くしてみせよう。

大西瀧治郎「これでよし百万年の仮寝かな」

これでよし、百万年の仮寝だ。

左近允尚正「絞首台何のその敵を見て立つ艦橋ぞ」

絞首台なんてなんのその、敵を見据えて立つ艦橋だ。

葛飾北斎「人魂で行く気散じや夏野原」

人魂のように行く気分転換の夏の野原。

井上井月「何処やらに鶴の声きく霞かな」

どこからか鶴の声が聞こえる、霞がかかる春の風景だ。

甘粕正彦「大ばくち身ぐるみ脱いですってんてん」

大ばくちを打って、全てを失いすっからかん。

正岡子規「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」

糸瓜(へちま)が咲き、痰が詰まった仏像のような私。

萩原朔太郎「行列の行きつく果ては餓鬼地獄」

行列が行きつく先は餓鬼地獄だ。

沖田総司「動かねば闇にへだつや花と水」

動かなければ、闇に隔てられて花と水がある。

石川力夫「大笑い三十年のバカ騒ぎ」

大笑いして、三十年の馬鹿騒ぎだった。

檀一雄「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」

モガリ笛を何夜も吹いて、花に再び会おう。

三波春夫「逝く空に 桜の花が あれば佳し」

逝く空に桜の花があればいいな。

以上

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