「あたりまえ」を慈しむ

33歳、適応障害の日常を日記のように書き綴っています

理想が高すぎて、苦しい。

33歳、フリーランス2年目。
自分で仕事をするようになって
「仕事」に対するハードルを、自分でとんでもなく高く設定していました。

朝から夜まで
いつメールが来てもすぐに返さなきゃ

成功している人は
寝ないで働いてる。
寝ちゃだめだ

仕事の依頼が来たら
全部引き受けないと!
頼まれごとは試されごとっていうし!

周りの人たちから言われる
「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」
の言葉がまったく耳に入っていなかった私は、
とにかくハードルをあげて、あげて、あげまくって
自分を追い込みまくっていました。

だからこそ
褒められても「いやまだまだ…」
って受け取れなかったし

「大成功だね!」と言われて
周りの人が喜んでくれても
できてないことに反省ばかりして、

達成感を感じたことが、あまりなかった。

適応障害になって日常生活ができなくなって

適応障害と診断されて
(診断される前からだけど)

普通に起きていることが
どれだけ"すごい"ことかを痛感した。

だって、起きていられないんだもん。
少し動くと、眠くなって
朝、布団から起き上がることができなくて
身体がだるくて重くて

「ああ、起き上がれるって、すごいことなんだな…」
って、布団の中で思いました。

「おいしい」と感じる幸せ

もともと食べることが大好きな私ですが、
適応障害になって
「味」があまりわからなくなりました。

おいしい、気がする。

味はするんです。
でも、「おいしい」って、なんだっけ?って。

パリパリした食感のもの、
味が濃いものは食べててわかりやすいけれど

お出汁が効いてたり、
お野菜の甘味だったり、
繊細な味わいがよくわからなくなってしまって。

2週間くらい、かな。
ゆっくり休んで、お薬を飲んで
ちょっとだけ「食べたいな」って思えた日に
食べたごはんの味がしたことが
本当に、嬉しかった。

「できた」を、感じることの大切さ

起きていられなくなって
仕事もできなくなって
家事もできなくて
こどもの送り迎えもままならない

最初は寝てばかりだった日々の中で、
休養と薬の効果で
だんだんと「できること」が増えてきました。

今日は、朝起きれた。
今日は、ごはんがおいしい。
家族に「おはよう」と言えた。
LINEの返信ができたこと。

今までは当たり前だと思っていたこと。
そのひとつひとつが、
できなくなっていくのは
すごく悲しかったし、辛かった。

でも、
またひとつひとつ、
「できた」を数えて

「できた」のハードルが
ポキっと折れて

ちいさなちいさな「当たり前」を
積み重ねていく感覚が、
今はもどかしくとも、嬉しいな、と感じる日々を
送っています。

今日、何ができた?

このブログを読んでくれているってことは
きっと、頑張り屋さんで
責任感が強くて

もしかしたら
ポキっと、折れそうで苦しいかもしれない。

休みたい、って思っているのに
その責任感から
もうどうしていいのか、わからないのかもしれない。

今日、できたこと。
どんなに小さくてもミジンコレベルだと思うことでもいいので
ぜひ、ひとつでもできたことがあったら

「がんばったね」
って、言葉に出してみてください。

私が、貴女のそばにいたら
「がんばったね」って直接伝えたいんだけれど

どうしても今はそれができないから。

「がんばったね」
って、口に出して言ってみて。

もしも涙が出たら
我慢せずに、泣いてください。
よく、がんばったね。

もしもやる気が出たら
その勢いで、日常を進んでいこう!
えいえいおー!

もしも、何も感じなかったら
一旦、休もう。
休むのが難しかったら、一度5分間だけ、
スマホを閉じて、自分の時間を過ごしてみてください。

あの日、止まれなかった私からの
息ができる、方法です。

どうか、貴女が
笑顔でいられますように。

30代は、思ったよりも息がしづらい。
そんなあなたが、 ここでは、深く息が、できるように。
笑顔にもどれるキッカケになりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?