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十二分に溺れる

高2の頃,教室から一番近い廊下の窓から見える夕焼けを当時の親友と一緒に眺めながらよく語らった。思い出は美化されるものだが,彼とは程よく性格が似ていて,初めから言葉がぴったりと通じる様はまるで生き別れた双子だった。高校生活は十二分に充実しすぎたせいで,とにかく隙あらば死にそうだった。自分はおそらく人生で初めて絶望を経験し,失恋やら親友の自死やら世の不条理やら自己矛盾やらに押しつぶされそうだった。彼もまたそうだったが,彼の方が賢く生きていた。一方で,彼より私の方が達観している瞬間もあった。本当にそうだったのだろうか?実はよく覚えていない。とにかく,当時は彼がいたから私は生きたし,私も彼を支えていた自信がある。

最後に話したのは5年前で,祖母の家から電話を掛けた。どうあがいても生産性の無い失恋トークを聞いてもらった。大学に入りしばらくしたあとも高校時代の恋人が忘れられず,確実に進展しないことがわかっている話を泣きながら永遠に続けた。時の流れとは恐ろしいもので,彼は大学に入ってから随分と前に進んでいて,私は止まっていた。もしかしたら後退していたのかもしれない。それ以降,彼とは連絡を取っていない。

今,彼と会ったらどんな話をするのだろうか。

人との距離というのは本当にどうなるかわからない。最近,人との距離感に振り回された。非常に難しかった。とにかく難しかった。いきなり私の生活に湧いたそいつは,初めて会った人種なのに自分の高校時代を彷彿とさせた。
色々と苦戦したが,結果脳内が若返った気がする。大学に入ると大抵の人は,他人と気持ち遠目に距離を保った方が楽だということに気づく。私も例にもれずそうだった。浅く,広くが楽しかったし,そのように振舞っていた。叔母には,風のような子だと言われた。おかげで人間関係の悩みは有って無いようなレベルだった。しかし半ば強制的に高校時代に引き戻され,必死にあがいて,結果良い脳内リハビリになったと思う。人間そう簡単に変われるものではないということにも気づいた。

でもやっぱり浅く,広く,風のように生きたい。

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