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キレる老人について思うこと

今日は少しだけ、老いについて考えてみたいと思います。
といっても、難しい事を書けるほど立派な頭は有りませんのでお気楽にお読みください。
また、大層な表題付けたわけにはつまらなかったら、「つまらない」とお書きくださいね。

さて、最近よく巷で目にすることに、「老人の犯罪」とか、「キレる老人」と言った記事が目に留まったりします。

何故でしょう?

老人が尊敬されなくなったとも言われていますが、尊敬されたのは、それなりの理由があったからではないでしょうか。

人生のよき相談者であり、指導者であったならば尊敬されるでしょう。
例えば職人の世界で、勘が頼りの仕事の場合そうした経験値は何者にも代えがたい、故に年長者のベテラン職人は親方と言って親しまれ尊敬される。

それが、機械化が進んで、今まで人力で行っていた仕事の多くが機械に取って代わられる。
そうなってくると、機械の操作を覚えれば、昨日今日その業界に入った人も、何十年も同じ仕事をしている人も同じ品質のものを作ることが出来るとなれば・・・。結果的には若い人の方が効率が良いかもしれない。

私もそうですが、年を重ねてくるとどうしても瞬発力が弱ってくる。
咄嗟の反応が若い頃と比べると、遅くなってくるし、実際遅くなっていることを悲しいけれど実感している。

また、新しい操作を覚えるにしても、中々呪文のようなコマンドを覚えようとしても若い人と比べるとそれこそ、倍の時間がかかったりする。

だから、手仕事でしか出せない伝統芸能とか工芸品を除けば若い人の方が老いた人よりも優れているわけですから尊敬されません。

また、最近はネット全盛で何でもかんでも「ネットを調べれば答えがある」と言うことで、「自分で考える」、もしくは「年長者の経験などを参考にする」と言ったことが無くなってきています。

昔なら、姑から嫁に家庭の味が引き継がれ・・・と言ったこともありましたが、最近はそうしたことも希薄になっているようです。

当然、誰も尊敬する相手が無くなってくるわけです。
だから、若い人にぞんざいに扱われたなんて言って「キレる老人」も出てくるんでしょうね。

でも、そんな人に限って自身が若い時は案外老人をぞんざいに扱ってきたのではないでしょうか。

世代間ギャップは、昔からあることでソクラテスの頃から「近頃の若者は・・・」という若者の行動を嘆いたと言う記録があると言われています。

だから、キレる老人というのは、今も昔も「自分たちの中の常識で考えた基準で行動している」のではないでしょうか。

そして、それは下記のような自分基準を作ってはいないでしょうか?

俺は高齢者だから、この程度は許される。
俺は高齢者だから、行動に間違いがあるはずはない。
俺は高齢者だから、若い奴は俺の言うとおりにすればよい。

結果的に上記のような行動基準を作ってそれが許されないと言ってキレる。

今の時代、よほど徒弟的な仕事でもない限り、「高齢者だからある程度のことは許される」なんて時代ではないしと思うし、そんな時代錯誤的なことをしていれば誰からも無視されるのは当然かと思います。

今一度老いるとはどういうことかとか。
考えてみてはいかがでしょうか。

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