見出し画像

写真の撮り方3 明日のために 極める

皆さん、おはようございます。
先日は、「正眼の構え」のごとく、と書かせていただいたのですが、今日は、いささか哲学的な話ですが。

写真とは何か?ということで考えてみたいと思います。

写真は、読んで字の如しで、「真を写す」機械です。

私の場合は、真を写すということを、目に映る物をそのまま切り取るのではなく、心の目で見えるものをフィルムなりデジカメの素子の上に記録させるものと考えています。

私の場合、「写真は私の頭のなかで考えた世界の再現」でしかないんです。

言い方を変えれば、ドラえもんに出てくる「もしもボックス」を写真の力を借りて表現している。笑

前置きが長くなりましたが、今日は写真を撮るために私が実践してきたことを述べてみたいと思います。

それは、写真の道を「極める」ということです。

もちろん、道具を最高のもので揃えるという選択肢もあると思います。

でも、私はそうしたことではなくて、物事の本質を極めて欲しいと思うんですね。

写真の場合、著名な写真家の写真集などを何度も見るのも良いと思います。

実際に真似することは良いです。

最近はネットの普及で高品質な写真が本当に自由に見ることができるようになりましたからね。笑

私の場合、性格がひん曲がっているので・・・(^^ゞ

写真ではなく、絵画を美術館に足を運んでみていました。

現在芸術しかり、古典然り。絵画が中心ですが絵画にこだわらず芸術というもの、無知な私には全く判りませんが、作者から伝わってくるオーラというかメッセージを感じたくて足繁く通いました。

一度きりの美術館もあれば、大原美術館のように何度も足を運んだところも・・・、(^_^;)

絵が見たくなって、大原美術館に行くためだけに岡山に行ったなんてこともありました。お馬鹿でしょ。ちがった、大馬鹿でしょ。笑

でも、それは全て自分自身が、写真を極めたいからなんです。

どうすれば、写真で水墨画風に撮影できるか・・・とか。

絵画的表現に近い撮り方を画像加工処理ソフトを使わずに表現するか・・・

無理と矛盾な解を求めていました。

今でも、その答えを求めるために毎日カメラをもつと七転八倒しています。(^_^;)

まとまりが無くなってしまいましたが、一つだけ言えることは。

写真を真を写す機械と考えるか、自身の心(真)象風景を写しとる機械かの違いだと思います。

私の場合、後者ですので。

機械ではなく、機会で無くてはいけないのです。

長文になってしまいましたね。

最後まで読んでいいただきありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?