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60の手習い

この諺のなす意味は皆様ご存知だと思います。

辞書で調べてみますと、「学問や習い事をするのに年齢制限などなく、たとえ晩年に始めても遅すぎるということはないという意味が込められている。」

昔は人生50年とも60年とも言われていました。

言わば人生60年の時代に、60の手習いをするということは、もうまもなくお迎えがくると判っていても新しいことを始めるという意味なんですよね。

私はこの言葉が大好きで、よく使っています。

私たちはつい、口癖として。

もう何歳だから‥‥・という言葉を使ってしまいます。

もう50歳だから大学は無理だとか。・・・

もう50歳だから資格試験なんて無理だ・・・

特にサラリーマンの人はよくこのセリフを口にします。

私も考えてみれば55歳、昔の国鉄では55歳が定年でしたので、職場を去るそんな年齢に達しています。

実際に私の父親も52歳で退職(定年より3年早く引退しました〉

ですので、私の郵政局の友人たちもその殆どが守りの体制に入っています。

以前にも書きましたが、私の友人の貯金課長は部下が40人ほどいる職場なので職場としては大きく、会社組織の人間としては出世したほうでしょう。

でも、完全に逃げの体制に入っていて新しいことにはチャレンジしたくない、「AFPを取得したくない」と言って尻込み状態です。

自分のためじゃないですかというのですが、今さら新しいことを学びたくない・・・・。

そうなんですね、思考停止状態に入っている。

新しい知識を吸収したり、新しくいろいろな人と出逢えば違う視点や違う考え方が出来るのですがそういったことをしないんです。

僕らから見ればとても勿体無いことです。

自分が得た知識は誰も盗むことはできません。

だからこそ、やる気があればいろいろなことにチャレンジして欲しいんですね。

私も、実は時間もないくせに新しい役職に就任しました。

できないという言い訳をしたくないので。

鉄道に関することを中心に活動しています、年齢を重ねてもさらにチャレンジすることで見えてくるものもありますから。

みなさんも、なにか一つチャレンジしてみませんか?

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