Malaysia pt.2 共存と信仰&最近のAI考アウラの没落 KL
KL二日酔いの最終日、ヒンドゥー教の聖地バトゥ洞窟にいく。
頭痛がしそうな272段の極彩色の階段はいかにもアジアセンスが爆発した感じだった。それは混沌。
どの画角にも人間がいる。
今日は最終日だからバックパックを持っての移動、何が入っているでもないはずなのに重い。
マレーシアはマレー系、中華系、インド系の3民族、イスラム教を国教としながら、ヒンドゥ教、仏教の3宗教が共存していた。
きっとどんな人間にも居場所を与えてくれる土地なのだろう。前述したように太陽光が優しい、サングラスは出番がなかった。
階段を登り切った。
毎年2月になると、神話にちなんで断食して民族音楽とともにトランス状態になったあと、背中などに針を刺したり、重いミルクの壺を持ちながら裸足で洞窟にいくといった内容の「タイプーサム」という祭りが開催されるとのこと。
なんだか信仰に引っ張られて自立とは依存先の数が多いことだと思う。
信仰と依存は似ている。
字面で捉えると、自立はなんだかタワーを建築するような感じなのかな。
根無草と言われている俺も本当は柱になるものが欲しい。
それは彼女なのか友人なのか仕事なのか宗教なのかドラッグなのか酒なのかタバコなのかわからない。
スピってる発言すると水っぽいものとか人が好きで依存していたい。乾きが怖い。潤っている人間のがいい。いつだってなるべくシンプルで肌色でいたい。
前書いたように、俺は一滴のインクのようなものだから水のような存在の中に少し解けて、少しだけインパクトを与えていたい。
AI考のメモ
『銃、病原菌、鉄』を読んだ。
病原菌の後に登場した世界のブレイクスルーがこれかと感じた。
今日チャットGPTと会話して簡単な仕事を振れるようになった。
あまりにもクレバーで、必要な情報をくれる、世界中の本棚を凝縮した秘書なのだ。
非常に面白い点はより
良いアンサーを得るためには、こちらも相応の教養も以ってクエスチョンを投げる必要がある点、結局、人間は勉強し続ける必要があると感じられた。
AIにできなくて
人間にできることってなんだ?
生殖以外あるか?
人間の喜怒哀楽もパターンなのか『HER』って映画ではホアキンフェニックスは
恋愛していたな。
そもそも喜怒哀楽を筆頭に感情の正体は帰納的にパターンなのか、演繹的にパターンなのか。
平等に使えるようになったら、人間の能力は平準化される。
その時個々の強みはアートや想像力、生殖だけになるのか。
アートの要件定義はどうなる。
全部読み取られたら俺の正体はなんだ。
アウラの没落を思い出した。
俺らは知能だけでない、肉体と知性と魂で構成されているか
自分の知能が今までの経験に基づいた帰納的に得られたものなのか、
それとも演繹的なものなのかとりあえずしりたい。