Mad Rustanの創作知識の原点を探ろう

僕といえば広く浅くな(?)モノに対する、アクの強い主義主張。全体的な傾向としては、とにかくあまのじゃく気質であるというのは言えるかな。
今日は様々な創作ジャンル(的なの?)に対して、なぜ知るようになったか、どうその主張を持つに至ったかを書いてくよ。
前の記事のつづきみたいもんだから良かったら見てね
でも怪文書になっちゃったから僕のことあんま知らない人は読まない方がいいし取り上げてるテーマがアレだから

救いようのない展開

僕は考えつくものが概して、救いようがない、言ってしまえば鬱展開になってしまいがちです。単にハッピーエンドに対してつまらなさを感じているからかもしれないけど。
まあこの原因としては、前記事で言及した文章作品にあります。そう、元が明るい世界観を持っているにも関わらず、それに人間的なブラック感情と鬱展開を容赦なくぶち込んでいた。そういう二律背反的な罪悪、背徳にとても強い刺激を受けたのです。
でも別原因としては、ハッピーエンドが約束されていることに対して意外性の欠如を感じていたのもあるかもしれません。

人の相手を奪う/自分の相手を奪われるやつ

この言葉を最初に知った経緯は覚えてないです。言葉を知ってからも「あーなんか流行ってるねー血で血を洗う論争があるらしいねー」みたいな感じでした。ただ、明確に意識し出したのはかなり最近とある二次創作の絵画を見てからです。で、その形式が自分の狙っている誰か(その誰かも自分のこと少し気にしてる)が自分の知らぬ間に奪われてるタイプでした。しかし、あくまでも第三者視点からその展開を見ることで、表現し難いですが(右に傾いていたのがいきなり力づくで左に傾く的な)逆転性と雪辱的な感情を知ったのです。(下地のCharacterと追加設定がマッチングしてる部分もありますが)個人的には刺さりに刺さりまくって見た後11時間徹夜しました。
ということで僕は肯定派です
[↓追記]
……とはいうものの、完全に堕ちるっていうことにはならないとも考えています。自分は相手を裏切ってしまったという後悔・懺悔の気持ちと行為に及んだという事実との狭間にいる、彼氏くんには秘密にして浮気相手ともある程度の距離で関係を持ち続ける、そんな板挟みになっていることが大事。彼氏くんを容易に裏切るなんて、そんな感情ありえないから。(そして恋愛関係成立前であったとしても、ある程度相思相愛であったのなら浮気感情に似た何かはあるのではないか、と思います。一方上記の理由もあってBSSにはあんま惹かれませんっすね)
[↑追記終わり]

◯◯◯◯嫌い

これは経緯が複雑です。僕がまだ小さめのときに、メダルゲームのことを調べるためにあるゲーセン系の掲示板を見ていました。すると、(メダルに限ったことじゃないだろうけど)やはり静かな大人たちから見た少々やかましい少年たちへの評価は散々なわけです。耳障りだ、不快だという(まあ言ってしまえば愚痴のような)書き込みもありました。
少年を嘆かわしく思う一方で、少女の方を歓迎する書き込みも一部ありました。それに僕は「おとこもおんなも関係ねーだろ!!」みたいにマジレスしたのです。
これが僕の長きに渡る戦いのはじまりでした。
時が経つにつれて、僕の意識はだんだんとリアル路線から創作の方へと傾いていくことになります。それと同時に奴らに対する意識の変革も始まったのです。
「―――純白のキャンバスを血に染めて何が面白い!?」
単に話の流れで襲うものだけでなく、そういう目的で描き出すこと自体に吐き気を催すようになったのです。これは御幼体に対してある種の聖性のようなものを僕が勝手に定義しだしたからでしょう。
「思考的に、話の流れの整合性的にそうはならんやろ」だけでなく「そもそもそのイメージをけがすのがダメ」なのです。
……結果として傍から見れば異常なまでの奴らに対する嫌悪を持っちゃっていました、という。
まあ最近は聖性云々より身体が震えるくらいの拒否反応がある(耐性がない)っていう理由で、嫌いというより恐怖になってきてるんだけど

別にそれを創るなとは言えないんだけど、ただ個人的な信仰に反してるんだよね
より込み入った話は前に↓で書いたのでより頭おかしくなりたい人は
http://thethatszatsu.blog.jp/archives/9553994.html

8禁系の文章

 文章表現だけでその感性を突くっていう試み自体が面白いよね
それはそうとして、記憶の限りではとある掲示板のSSが最初なんじゃないかな。コミカルな表現も多分に含みつつ、登場人物同士の関係も明確で面白い(いいさじ加減にどろどろしている)。そして彼らの掛け合い・行動・心理変化を文章だけでわかりやすく表現していた。実はそれ自体の描写はまったくなかったんだけど、上記の要素だけでもお腹いっぱいになるくらい、かんのーしょーせつ(の分類に入れていいかわからんけど)としては僕にはピッタリの出来だったわけ。
もう一つ影響でかいのがとある安価(小説)スレ。こっちは表現もきつめで、わりと容赦ない感じだったんだけど、被写体(被文体?)がなんとあのHABCDSでお馴染みのやつだったんです。(今でもその影響は少なからず受けています(要するにポケモナーの血が後天的に混じってきた))最初発見したときは頭が理解を拒んだけれど、読み込むと表現の巧みさと一緒に、文章からにじみ出る”いけないこと感”がすごかったんです
そして、「話の流れの面白さ」と「いけないこと感」を摂取した結果、そういう文章表現に対して謎の執着と拘りが生まれたわけです。ただあれなだけだとつまらない。もっとこう二重の深みが必要で、むしろメインディッシュは話の流れと感情の動きの方だ、っていう。

もうわけわからんよね