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柔道部に来た面白おじさんを振り返るの巻

中学時代、柔道部に来た面白おじさんたち。何の仕事をしているのか、どこから来たのか、素性は謎に包まれている。中学時代の中山少年の目にはにはとてもミステリアスな存在に写りました。
一般的な「部活動あるある」とかだったら別に改まって振り返らんでもいいと思ったのですが、今になって思い返すと「部活動ないない」だったんだなぁと思ったので振り返っていこうと思います。

我が柔道部の基本的な情報

特に目立った結果を出しているわけでもなく、強豪チームとかではないくせに、やたらと出稽古に行かされたり、三が日に練習させたりと練習量はそれなりに多く、弱小チームと強豪チームの悪いとこ取りをしたような部活動でした。大きなくくりとしては弱小チーム寄りだと思います。
柔道経験者の先生も忙しいのか平日は基本的には部活に来ないので、部活中は総合格闘技を見よう見まねでやったり、のちに中山の代名詞となる飛びつき腕十字やサンボ(ロシアの格闘技)の技を後輩たちに試したりと、とても自由にやらせていただいていた気がします。

そんな自由すぎる環境ゆえ、柔道部をわがものとせんと時折我らが柔道場には「町の柔道家」もとい「面白おじさん」こと「部外者」がやってくるのでありました。

講習大好きヘルニアおじさん

年齢は50代~60代くらいでおじさんというかおじいさん先生でした。
初めて道場に訪れた際にはとても腰が低く礼儀正しい印象を受けました。
話をよくよく聞いてみると、ヘルニアをやってしまい2年くらい休んでおり、もともとは我が柔道部の先輩たちに稽古をつけていたとのことでした。
そんな礼儀正しかったおじさんも2回目3回目と訪れるたびにだんだん個性を出し始めてきました。

講習会をぶっ壊す中山

ある日、おじさんは我々で決めたやるはずだった練習を勝手にぶっちぎって急遽寝技の講習会を始めました。なぜかその日は僕と後輩のA君と二人だけで練習をしており、その中におじさんが入って講習会をおっぱじめるという今にして考えるととても摩訶不思議な状況でした。

講習会の内容自体は特に印象に残っていないのですが、「お前らに抑え込みのコツを説明してやんよ」との事でなぜか中山少年が横四方固めで抑え込まれました。おじさんとしては「ワシの抑え込みは逃げれんだろ!どうだ!」的なことをやろうとしたのですが、「逃げたらおもしろいな」適当に受ければいいものを謎スイッチが入ってしまった中山少年がこともあろうにおじさんの本気の抑え込みから抜け出し、講習を根本から成立させなくするという禁忌を犯したことは昨日のことのように覚えております。

横四方固め(下がワイ)

抑え込みから逃げ出したあとに、間髪入れずに絞め技を入れてきたところに「大人の本気」を感じました。まぁ結果として絞め技もかからずなおかつ、上を取り返してやったんですけどね。
寝技に関しては当時から頭1つくらい抜きんでていた気がします。
今は何か新しい技術を習うときは「とりあえず聞いてみてそのうえで取捨選択する」スタイルを採用しているのでそんなことは絶対しないんですけどね。
ちなみに、抑え込みから逃げ出した後も普通におじさんとの練習は続いており、練習後には「君は将来すばらしい寝業師になれるかもしれない」とお褒めの言葉をいただきました。おじさん先見の明ありますね。あとは、逃げ出した後の後輩のA君の何とも言えない顔は今でも覚えています。

弱小校でよかったこと

自由すぎるがゆえに統率がされていないため、時として練習を止めて「おまえはなんのために柔道やってるんや!」と説教垂れる先輩がいたり、柔道未経験の先生が練習内容に関して声を荒げてブチ切れる事案が発生したり(しかも他校)、勝手に練習を「侵略」して柔道部を乗っ取る子連れ狼がいたりと生徒指導者含めバラエティーに富んでる我が柔道部。
そんな、柔道部にいたからこそ「やっぱ格闘技っておもしれー!!!」を最高に感じれたのではないかと最近になって思います。「自分で考える」現在のスタイルの原点は間違いなく中学時代の自由すぎる環境ゆえです。

明日は仕事終わりに練習に行こうと思います。今の柔術の道場の先生は世界王者と全日本王者なので「町の柔道家」からえらい進歩を感じます。「思えば遠くに来たもんだ」感がすごいです。長文失礼しました。明日もコツコツ頑張るので皆さんも頑張りましょう。

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