2019年「JOKER」を見てスカッとした話。
Apple tvで「JOKER」を見た。
この記事は、JOKERのネタバレは含みません。
JOKERを見たことで「スカっと」した気分になったのがなんなのか、掘り起こしてみた、「読後感」を深めた散文、のようなものです。駄文への予防線はこれくらいにしておきます。
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僕は「不良」と呼ばれる人が苦手だった。なぜ「よくないこと」をするのか。時に私を含む周りに暴力をふるうのか。
まったく理解できなかった。小学生の時に中学生で金髪の先輩に目をつけられて下校時に首根っこ掴まれて以来敵視していたし、その時副生徒会長だった同級生のお姉さんに助けれられて以来、「まじであんなの苦しんで滅んでしまえばいいのに」と思っていた。
その後サミュエルハンチントンや森達也に出会い「文明」や「宗教」に興味をもち、文化人類学を目指していった。「文化」や「文明」という言葉を使って世の中をわかったふりになって、現実を知らないまま、大学生を粋がっていた。本当に「世間知らず」だった。
その後、「暴走族のフィールドワーク」や「西成」「千住」「山谷」を知り、ザ・ノンフィクションを見て、ポレポレ東中野に行き、ドキュメンタリーの巨匠の本を読むようになった。一丁前に学部生の頃の就活はマスコミを受けていた。
が、「間主観性」という言葉に強く惹かれ、ハマっていつの間にか大学院生では「メディアリテラシー」にのめり込んでいた。薄っぺらかった自分ではマスコミに受からずその見返しだったのかもしれない。(そんなに深く考えていなかったんだろう。)
その頃から、美しい言葉で切り取り、美しい瞬間で溢れ、徐々にドキュメンタリーのリアルさが深夜枠へ追いやられていくテレビが嫌になっていった。
「なぜこの世界はこんなにも隠すのだろう」
気づいたら「綺麗な面」ばかり知っていて、「もう一面」に触れない世界が出来上がっていた。確実にあるのに、なぜか綺麗に、交わらないのだ。思い込みかもしれないが、出会う人とその話や価値観が全くといいほど合わず、私の知っている世界は全て「私の妄想なのではないか」と本気で自信を持てなくなった。
清澄が倉庫をリノベしてコーヒーを飲み歩くおしゃれな街?
北千住は「これから楽しみな街」?
葛飾は下町情緒ある街?
宮下公園はニューヨークのハイライン?
モノは言いようだった。広告の世界なんてさらにそうだ。
金の力で汚い部分が塗り潰されていく。気づいたら追いやられている。
「喜劇なんて主観さ。笑えるか笑えないかは自分で決めるんだ」
あの絡んできた「不良」の金髪中学生は今何をしているんだろう。
クラスで一緒だったあいつ、全く気にしていなかったけど、実は苦しかったんだろう。
そういえば高校生になってから一瞬あった中学生のころ仲がよかったあいつも、久しぶりに見かけたら「金髪」にしていたな。
「俺はその時、知ろうとしただろうか。間主観性ないまま、こちらの世界に閉じこもっていたんじゃないか。」
27歳を超えたあたりから、週に1回は考えるようになっていた。
トランプが大統領となり、「やばい」と思いつつ、「スカっと」した感覚もあった。見えなかったけど確実にあった世界が見えてきた。そう思えてうれしかったんだ、きっと。
「これを皮切りにもっと見えてくるんだきっと」
その先にきっと混沌が待っている。そして世界が極彩色になり、笑いに溢れるんだ、そう思えて未来が明るく感じたんだろう。とても晴れやかな気分だ。