「捨てないのなら違いますよ持ち主がいるのなら夢ですよ」(藤原基央/BUMP OF CHICKEN)


三種の病原を捨てるに至った経緯

大きなきっかけは関東大震災の原発事故

原発事故の環境汚染から、子供が病気になるリスクを恐れ始めた。
子供を病気にしない様に気をつけよう…なんて思っていたんだけれど、
「既に私が病気じゃんか…(汗)」
病気のヤツが他人を病気にならない様にするなんて本末転倒だと思う様になった。

まずは自分から健康になろう

とはいえ、放射能汚染が気になってたので、その対策となるイベントだったりに足を運んだ。そこで、食養生だったり、オーリングテストだったり、現代医療(西洋医学)の視点ではないものを初めて知った。
さらに、放射性物質汚染以前に、既に日本は農薬や添加物などの化学物質まみれの国であることを初めて知った。
そして、私のカラダもとっくに薬まみれなんだから同じ状況なんだと気づき、未来を悲観して今を恐れていてもしょうがないと思う様になった。

人は誰でも致死率100%

既に病気を患い既に薬まみれの私…。今まで何も知らないで、言われるがままに病院に行って薬を飲んでいたことに気づき「何でそんなことをしてたんだろ?」と自問自答をした。
そこで返ってきたのは「死んだらどうしよう」だった。
さらに、「死んだらどうしよう」って思うってことは、裏を返せば「生きたらどうしよう」ってことで、「生きたい」ってことなんだと気づいた。
そして、「病気でも病気じゃなくても、死は必ず皆平等に訪れるもの」だからそれまで「生きればいいんだ」と気づいた。

三種の病原を捨てる流れ

楽しんでやるという意識へ変わる

自分の病気生活を振り返ってみたら、食事制限をしていたから好きなものを食べていなかったことに気づいた。
さらに、病気が治ってからやるんだと、やりたいことを後回しにしていたことに気づいた。
好きなものを好きな様に食べていないし、やりたいことをやりたい様にやってもいない私は、全然人生を楽しんでいないことに気づいた。
どうせ何をやっていたって何を選んだって致死率100%なんだから、思いっきり自分の人生楽しんでやろーじゃないのー!!!!って、自分の人生の責任を持つと腹を括った。
結果的に、「病気を治さなくちゃいけない」という考えが吹っ飛んでた。

お金と時間の流れが変わる

自分の人生を楽しんでやろうと腹を括ったので、
いい食べ物にお金を費やしたり、楽しいことに時間に費やしたりを、まずはしていこうと思った。
なので、長い間検査や薬にお金を使っていたり、通院に使っていたのを辞めた。

情報の源が変わる

病気を治したくて、病気についての書籍をたくさん買って勉強をしていた。
それらの書籍を古本屋へすべて売った。(病気の情報を捨てた
そして、薬や病院に行くことを辞めたことや、食事を大切にしてみようということを、何の気なしに言葉にして出したら、東洋医学や食養生の本を貸してもらう様になった。

人間関係が変わる

東洋医学や食養生の本を貸してもらう様になり、今までとは違う情報が入ってくる様になった。
今まで、私の中に取り入れたことのない情報だったので、その情報をたぐりながら進んでみた。すると、未体験のことがたくさーんあることを知った。それらを試してみたくなって、色々な場所へ行くこととなった。いく先々に新しい世界が広がっていて、新たな人たちと出会い、ご縁が次々と結ばれていった。
結果的に、「病院に行け」という人たちと縁が自然に切れていった。

三種の病原を捨てるのルール

自分が何を握りしめてるかを知る

私の無意識の中には、病気になったら病院へ行って病気を治すのが当たり前という考えがあった。だから、病院へ行って病気を治し続けていた。この「病気を治さなくちゃいけない」という考えに固執していたから、完璧に治そうとして「病気」かもしれないって、小さな症状を次々と見つけ出して病気に関連づけていたことが祟ったんだと思うんだよね。「〜しなきゃ」「〜すべき」「当たり前」「常識」はヒントになるね。

握り締めている自分の手を離す

「病気を治さなくちゃいけない」という考えに固執するって、「病気」にしかフォーカスできなくなっているということだから、「病気」を握り締める手が「ギュッ」ってなっている。そうなると、病気以外の余地がないから、世界が病気だけで創られてしまうから、病気ばかりの人生になってたんだよな。その世界線から外れたければ、手を緩めて余地を見出すことをしなくちゃだよね。「力が抜けない」はヒントになるね。

[追記]握りしめすぎず離しすぎずのバランスを保つ

「病気を治さなくちゃいけない」だと握りしめすぎていて、「病気」に覆われて自分を苦しめてしまう。
「病気」をすべて離してしまうと、「病気」がまた来たらどうしようと不安と闘ってしまう。
だから、「病気は治しても治さなくてもいい」「病気はあってもなくてもいい」のどっちでもいい状態、「病気」とつかず離れずのいい塩梅を保ち続けるのがいいんだろうな。

一生禊(捨てる)を続ける・・・

この例は「病気」だったけれど、握り締めているのはもっとたくさんあった。
この「病気」はその一つで「死」だったと思うの。後の二つは「金」と「性」。
多くの人がこの三つの悩みを持っているんじゃないかって思って…。
お金は、仕事の悩みだったり相続の悩みだったり。性は、パートナーシップの悩みだったり。
蓋をしがちなことの様な気がして「死・金・性」の三大タブーって名付けてたw
これらに関係する握り締めている何か(穢れ)を捨てる(祓う)が禊なんだろうな。
これを生涯やり続けるゲームだと思うと楽しめるかなぁw
って思ったんだけれど、夢の中で「一生やらなければならない」を捨てるって言われたのでそうじゃなくてもいいんだなぁって思いました。

memo

⭐︎武人へ


> 文人の死生観が面白いので是非語っていただきたい
どんなことだったっけ?w
話メモをアゲてもらえると助かりまっす(*´∀人).
武人が切ってくれることで、文人が整えられます(-人-。)感謝

★文人メモ


・(続・祖霊に呼ばれる話)「呼ばれる」みたいなことが起こる=自分の人生の生きる情報→直感力
・(空き家お片付けダンジョンにて得たこと)感覚を研ぎ澄ませて身体の声を聴きそれに従う=【いい人】思考がやってくるそれは邪念→カラダの声に従う=軸を太くする&邪念を祓う=結界を張る
・カラダを整えるとどうなるか→世界との関係性が整う

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