教師を辞める決意
こんにちは、クロダです。
そういえば一人称「私」か「僕」かでどうしようかな、とりあえずしばらくは「わたし」にしてみようかな。
この記事では、わたしが教師を辞める決意に至った理由を書きます。
世の中の教師の現状がどれだけ「異常」であるかを述べることになると思います。
また、わたしだけの特別な状況ではなく、なるべく一般的な教師の現状を書きます。
同じ状況である教師は世の中にたくさんいます。
むしろわたしより「異常」な人も多いです。残念ながら。
わたしは、4年ほど正規で小学校教師をしてきました。
子どもと関わることや、教育について考えることが大好きで、幼い頃からの夢であった教師になれて幸せでした。
しかし、現実は理想とは違いました。
子どもが学校にいる時間だけで約8時間。
(8時前頃~16時前頃)
もちろん休憩なんてものをしっかり取れたことは4年間で1度もありません。
定められた勤務時間は7時間45分。
放課後には1日の勤務時間は過ぎていました。
もちろんそこで帰ることができるわけもなく、
打合せ、授業準備、校務分掌、事務作業…。
研修、出張、保護者対応…。
研究授業があり指導案を書くことも…。
最初は「子どものため」と、夜遅くまで残業したり、24時を超えても仕事が終わらず、仮眠をとって朝3時から仕事をすることもありました。
「子どものため」だけでは、精神的にも身体的にも頑張れなくなっていました。
そのうえ勤務時間を超えた分は法的には「自主的な仕事」なんて言われてる。
給特法という法律で残業代も出ない。
だんだん何のために働いているのかわからなくなっていきました。
そして、1度しかない人生がこれでいいのか考え始めました。
教員を辞める選択は、今までの努力を捨てることになる…。
その頃にはわたしは、子どものための仕事を少しずつ削るようになっていました。
そして、早く帰る日が増えると、心身ともに目に見えて回復していきました。
「子どもの人生のため」に働くと「自分の人生のため」にならない。
「自分の人生のため」に働くと「子どもの人生のため」にならない。
この反比例に、教師の仕事の将来性のなさを感じました。
環境そのものが変わらなければ未来はないが、文科省は何十年も調査を続けるだけで変わる気配がない…。
計算すると、無賃残業は月に60~100時間…。理不尽に耐えられなくなりました。
これらの「異常」さから、わたしは転職を決意しました。
さて、冒頭にも言いましたが、これはわたしだけがここまで「異常」な状態だったわけではないと思います。
むしろ教師をしている人には、これが「当たり前」だと考えている、もしくは「仕方がない」と考えている人が多い印象です。
プログラマーになって初めて休憩時間になったとき、「何か少しでも仕事を進めたほうがいいのでは」と、そわそわしました。
そのときに、仕事で休憩を取らないことが「当たり前」になっていた自分に気づきました。
その「当たり前」が「異常」であると初めて気づきました。
転職を決めてよかった。踏み出して正解だった。
まだ1か月しか経っていませんが、すでに心の底からそう思います。
安定職を捨てた身ですが、この先の人生にすごくわくわくしています。
教師を続けていたら、ブログを書くという楽しみにも出会えていなかったと考えると、改めて辞めてよかったと思えます。
たまに思ったことをこんなふうに書きまくるかもしれません。
書きたいことはまだまだあるのですが、目標は2分で読める文を投稿すること。
今回は書きすぎですね笑
まぁゆるく楽しく続けたいと思います。
読んでいただきありがとうございました!
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