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#小説
ταυτολογίαあるいは秋の海の出来事(5)殺人事件
沖に台風がいた日曜日、路地裏から裏口に登る七段の階段の上で吐き気を堪え切った話をしてください。
ここは「昨日の国」だ、とトートロジーは思う。
古びた階段を裏口から入るために七段の階段をのぼる。裏口を入ってすぐに大きな冷蔵庫が見える。そこに、と彼は思う。そこにその小さな体を閉じ込めることはできるだろう、と。いつか自分は、と彼は思う、その小さな子供のような存在を殺すのかもしれなかった。殺すのだ
ταυτολογίαあるいは秋の海の出来事(4)彩り
ταυτολογίαさんはりんごの皮をつなげたまま剥ききった朝、夜行列車の車内でした、フルーチェを食べたことがないという話をしてください。
「りんごだ」
メタファの小さな指先が、つ、とまるく動く。「べたべたしてる」
蜜だよ、とトートロジーは答える。トートロジーと名乗っている彼は答える。トートロジーにとっての彼の名前が彼のものになりつつある。メタファは彼をトートロジー、と呼び、トートロジー
ταυτολογίαあるいは秋の海の出来事(3)肉体
パイを貰った。
ごうっと音を立てて通り過ぎるものはなにだろうと思った。私は真昼間の銀行にいた。銀行はとても広いように思えた。そこは私の理解している銀行とは違う場所だった。一番、二番、三番、四番、五番、六番、整然と並んだ部屋が見渡す限りどこまでも続き、私はドアマンから受け取った二番の番号札とともに、二番待合室に入った。
ゴロン、と重い音をたててドアが閉まり、その瞬間、ゴロン、と脳の中から、
萩の原逍遥記(宙2)
それはぼくたちの儀式で、ぼくたちはそれをつうじて一緒にいるのではないかと思うことがある。夜じゅうぼくは自転車に乗り、君は廊下に倒れていた。朝のはじまるぎりぎりのところで、空がまだこらえているなか、ぼくたちはマドレーヌをしずかに紅茶に浸して殺した。
「まちがっているのは、だれだとおもう?」
ぼくたちは貝たちをおそれている。紅茶がそれらに有効だということは知っているが、あたたかい紅茶はなんとな
萩の原逍遥記(宙1)
世界がどれくらい美しかろうとそれはぼくには関係がない。
夜の道を歩いている。ぼくはお酒を好まないが、仕事上の付き合いで飲みすぎてしまうことはある。お酒を飲んでいるとぼくは自転車に乗ることができない。子供の頃、自転車に乗れるようになったのは、ぼくがいちばん遅かった。ぼくはそのことを、―――にだけは知られたくないと思っていた。ぼくがみそっかすなことを、―――にだけは知られたくないと思っていた。
萩の原逍遥記(野1)
久しぶり、と巽ちゃんは言いました。久しぶり、とわたしは答えました。それはマナーに従った呪文のようにわたしには思えました。
question。巽ちゃんとは誰でしょうか?
巽ちゃんとはわたしの隣の家に住んでいた子供の名前で、彼は五人兄弟の末っ子でした。わたしは三人兄弟の末っ子で、末っ子同士だからということでもありませんが、わたしたちは仲の良い幼馴染でした。たぶん、はたからみれば、そんなふうに
ταυτολογίαあるいは秋の海の出来事(2)名前
すべてを押しつぶすような曇天が、べったりと夜を塗りこめている。排気ガスの匂いはここまでは上がってこない。窓から頭を乗り出して見上げると、そこはどうやら最上階だった。空が近く見えるのはしかし、建物の高さの問題ではなく、空の方から落ちてきているに過ぎなかった。はちみつのように今にもぽたりと重く落ちてきそうな空だった。
デスクの上に無造作に置かれた懐中電灯を、人物はかちりと着けた。それは部屋に一本
ταυτολογίαあるいは秋の海の出来事(1)ホテル・ユートピア
あの年は冷夏のうえ台風ばかりが繰り返し齎され、結果夏と呼べる時間がひどく短かった。一枚だけ買った切手のように明瞭にその短い熱病を覚えている。熱病としか言いようのないあの時間、走って行く兄弟のなか立ち止まった弟が、立ちくらみのように言ったのを覚えている。「おまえの胸にべつの目がある」
モノレールの終点まで乗ると唐突に海が見える。煤けた階段を降り、曇天に押しつぶされるように歩いていくと、そこは人