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本能で生きている

異動したてや、新卒の皆さんはお疲れ様です。疲れが溜まっているかと思うのでゆっくり休もう。

最近、ジムに行くようにしている。
理由は決して前向きなものではなく、薬の副作用で体重が約1割増えたからである。病人なのに惚気て申し訳ないが、恋人は特に太っても構わないと言う。しかし、ただでさえそう見目に気を遣っているわけでもないのに脂まで付いてしまって、全身角煮人間になってしまった暁にはビッグバンが如く寛容性の広がりを見せ続ける恋人にも見捨てられかねないので、ジムに行って脂ではなくエンジンたる筋肉をつけようとしている。

昔取った杵柄とはよく言うもので、小中高大一貫運動部であった私としては、身体の今の状態のみならず、精神性まで感覚を通してかなり把握できるので運動は良いなと思う。やっているときはかなりしんどいという点を除けば。
筋力増強が目的ではなく、健康維持が目的なので有酸素運動を絡めつつ筋肉量が増えるようにメニューを組んでいる。筋肉量を増やす方は3日間ほど筋肉痛が続く点を除けば内なる暴力性の高まりを感じ、それに伴い高揚感を得ることが出来るので精神にとてもいい。肉体の破壊と引き換えに精神を持ち直している。惰弱な精神と屈強な肉体を生まれ持った私としてはこれ以上の天賦を持ちえないと思う。
有酸素運動の方は嫌いである。しんどいし、簡単に数値化出来ない。20分走ると決めたら20分間走れるペースで走ると思いがちだが、減量が目的の場合、20分で体力を使い切るように走らなければならない。これは20分間に渡って体力を綺麗に配分しながら走ることを意味し、莫大な精神力を要する。しかし私は惰弱な精神性の持ち主であるため驚くほどに集中力がない。特に興味のないことには5秒持てばいい方である。そして足を動かすことに興味などもちろん無いのでこの20分はとても苦痛を伴ったものになる。精神的にも身体的にも苦痛である。残念ながらマゾヒストではないので多分続かない。

薬の副作用と最初に書いた。どんな薬なのかと言うとまあ抗うつ薬なのだが、これがすごい。私はこれまで3種類の抗うつ薬を飲んだ。1種類は本当に身体に合わず、嘔吐が止まらんわ、アカシジアは止まらんわ、常に受験前日の精神状態のようなそわそわ感に襲われるわで外に出たらおそらく道路の真ん中で叫んでニュースになっていたであろうくらいには合わなかった。突然走りたくなったり、叫びたくなる衝動に駆られることがあると思うのだが、あれが一日中続くのを想像してもらいたい。本能的にはしたくてしたくて堪らないのだが理性でそれを押さえつけているイメージである。
他の2種類は総合的に見てメリットのほうが大きかったため飲み続けている。片方は生きる屍のようにはなるが屍よりはマシ、という程度に動けるようにし、もう片方はその屍に打つ活力剤のようなものである。薬で無理やり動くためのエネルギーを補填していると言ったほうが正しいか。
しかし、薬はすごいもので、飲み始めてから頭の中に四六時中あった靄のようなものが晴れ、こうして物事を考えながら文章が打てるようになった。散らかったゴミで埋め尽くされていた部屋に強制的にスペースを作ったような感じである。思考がまとまらないというのはとても辛い。言葉がうまく扱えなくなるのである。喋っているのは母語なのに自分が何を言っているのか分からず、もちろん相手も何を言っているのかわからない。常にぼーっとするわけでもなく頭の中に無数の言葉が乱立して回転を邪魔していた。それがなくなった訳では無いが、薬によって減り、少しずつ良くなっている。気がする。たまに死ぬのでわからない。

しかしいい面もあれば悪い面もある。
まず性欲が死んだ。
さらに元々好きでない人間に対して完全に興味がなくなった。ぶよぶよ動く肉の塊がよく分かってもない言葉のようなものを発していても嫌悪感しか感じない。
寝られない。中途覚醒が1日7〜8回、1時間毎にはある。長くても1.5時間程度しか寝られない。睡眠薬を飲んでも変わらない。ただクソ眠くなるだけである。
そして食欲が爆増した。良いことのように聞こえるが想像してみて欲しい。性欲なら四六時中発情している。睡眠欲なら四六時中寝ている。これと同じである。食べ物を見ると食べたくて仕方がなくなる。胃にスペースがあるとかないとかではない。初期はよく分からずに許容量を超えて食いまくり、親に隠れて吐いていた。最近は胃が大きくなったのか食べられてしまうため体重が爆増した。そしてやばいと思い、最初のジムに行き始めるに戻る。

理性ではなく本能に振り回されて生きている。欲求は満たされないととても辛いものである。今も空腹感を紛らわすためにこうして日記のようなものを書いている。いつか良くなりたいと思いつつ、いつ良くなるのかもわからない不安もある。こうまでして人生に生きる価値はあるのだろうか。一度しっかりと考えたい。

最後にいつものように写真を置いておく。季節感は無い。


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