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MEA(Metropolitan Electricity Authority)

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巨大なタービン?、
タイ初のエレクトリック会社ですが現在も同じ場所、
事務所だけは残っています。

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前回書いていたとおり、
ワットリアップ裏から無断侵入です。笑。

表通りからは不可、
市場裏手に回りましたがこちらも当然に守衛が居座り、

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(裏口)

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寺との境界、
人一人が辛うじて通れる路地発見で敷地内へ、

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写真を写しています。
個別の電気契約、
結んだ経験がありませんのでよく分かりませんが支払い窓口、
日本同様、
あるんでしょうかね~。

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考えてみると窓口での電気料金支払い、
あるなら進入可能だと思われますので一般人でも入れるんじゃ?!。
メイン入り口、
なぜ止められたのかは分かりませんが電気料金請求書提示なら可かも。

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発電車など、
撮影に興じてましたら守衛登場、
キツイお叱りはありませんでしたが厳ついお顔、
なにか話してましたが分からず!、
例の如く、
カップ、カップにて離脱してますが、

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あくまで寺から迷い込んだ体、
装ってましたが。笑。

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駐車場内からですが古い建物、
裏手になりますが、
どうやらこちらが始まりの場所ですね。
正面入り口、
チャクラペット通りに面していますし。

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正面入り口の古写真ですが守衛らしき人物も写っています。

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同じく正面から写してますがちょいアングル違い、
古写真、
ちょい上空っぽいですが現在は道路上で写せませんでした。

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以前に上げた写真ですが再計上、
サイアムエレクトリックと書かれてますが、

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どうやら掲げられている場所は同じ、

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旧正面入り口、
邪魔?な写真が飾られてますがとくに左のお方はタイ人には不人気、

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旧出入り口、
ビニール幕にて覆われてましたが、

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(今現在の通用口)

こちらに旧発電所光景が印刷されていました。

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路面電車(電化トラム)、
電気とは切っても切れない関係でしょうが車庫、
こちらから出発なんでしょうか?。

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上部、
ピピタパンとの文字が見えますが博物館の事ですよね~。

昔はどこかに存在、
流用写真なんでしょうか。

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実はこのビニール幕、
気がついたのは地域博物館帰りの赤バス車内から、

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82番赤バス、
パパデーンから王宮前までの路線ですがプラポックラオ橋を渡り左折、
プット橋を潜ります。

以前からあったなら当然に気付いた筈、
しかし、
今回発見で写真を撮りに赴いた次第ですね。

サパーンプットから委託8番乗車、
こちらは昨日書いてますが一日の流れ最初です。

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煙突、
3本が写ってますが焼却炉建屋でしょう。

当然に発電機、
回す為には蒸気が必須でしょうし。
小さな運河、
船も浮かんでいますがおそらくは焼却材料、
チャオプラヤー川から引き込んだ運河利用で搬入なんでしょう。

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建屋、
現在は大きな時間貸し駐車場ですがおそらくはこちらに建っていたものと思われます。

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再計上写真ですが位置的にも合ってますし。

旧城壁の外堀ですがオーンアーン運河、
燃料搬入、
こちらも利用されたかも?!。
いつも書いてますがチャオプラヤー川の恩恵、
今更ながらに痛感でしょうか?。

下らん薀蓄話、
殆どヨタ話に近いですが旧発電所由来、

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(外国人技師?)

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黎明期、
やはり頼ったのは外国の技術力、

チャックリー革命、
明治維新と同じ語りでしょうが日本も同じ、
歴史好きには堪らんビニール幕ですよね。

ワットリアップ発電所、
当然に今は存在しませんが古写真にての存在確認、

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1958年とありますがプット橋(メモリアル橋)、
映画セットの合成ではなく実際のワットリアップ発電所が写ってますよね~。


ワットリアップ発電所、
いつまで稼動していたかは分りませんが1958年なら間違いなく戦後、
戦火を逃れ終戦後も稼動確認です。

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プット橋、
1933年、
完成の翌年ですがこちらにも発電所、
しっかりと写っています。

どうやら現在の船着場、
下流方向に存在していたのも分る貴重な写真ですよね。

プット橋、
やはり映画のように爆撃されたとの記載もありますがラマ6世橋との錯綜かも?。

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古のトラムですがワットリアップ前走行、
(1967年)。
撮られた年代は判明ですが未だ煙突が写っています。
黒煙、
吐いていませんので稼動しているかどうかはわかりませんが1967年までは確実に存在、
戦後、
結構な長期間、
バンコク周辺の電気供給を担っていたんでしょう。


取り壊し(廃止)の理由ですがどうやら風向きによっては王宮に煙が届く事、
そう書かれていた資料もありますが本当の理由は未だ分りません。

煙害、
郊外移転への流れは日本とて同じなんですがね。笑。

長期間、
バンコクの足であったトラム(路面電車)ですが
やはりサイアムエレクトリック社内に車庫があったようです。
チャクラペット通りからチャロエンラット橋を渡りマハラット通りへ、

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(1960年写真)

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(直近写真)

ワットポー横をかすめ王宮方面は既に書いています。
古写真、
個別では分りませんがジグソーの如く色々な繋ぎ合せ、
ちょい全体が見え始めてますがコロナ禍、
資料写真など、
探しに出れないのがツライっちゃツライですがね~。笑。

飲み屋(繁華街)、
開いたとしても縁無しですが無料の地域博物館なら訪問出来ますし。笑。

パフラット市場近く、
古い建物だと思ってましたがスアンクラーブ ウィタヤーライ校、

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コロナ禍、
他校同様閉まってましたがラマ5世行幸との記載(1910年)、
100年以上の歴史ですよね。

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場所、
添付地図でお分かりでしょうがワットリアップ正面、
どうやら長い建物、
自慢のようですが約200m(198,35m)、

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約100年、
タイ(バンコク)の歴史を見てきた建物でしょうが立地的な災難見舞われ、

1945年、
連合国の爆撃を受け破壊されています。

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こちら、
終戦直後の写真だそうですがでかい穴が確認出来ます。

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理由はお分かりでしょうが連合国軍の目標はワットリアップ、
正確にはワットリアップ発電所、
プラアーティット通りを挟み反対側ですよね。

第2次世界大戦末期、
連合国の爆撃ですがやはり攻撃目標は主要重要設備、
ラマ6世橋、
爆撃も書いてますが発電所も主要目標、
疑いのない事実でしょう。


カンチャナブリー、

「チュッカドーン」、

市場名由来も書いていますがやはり大戦末期、
色々な軍事拠点への空爆も多くあったんでしょうね。

そう云えば私アパート近く、
ファイチャイなる交差点が存在ですが新設なったMRTブルーライン駅名もファイチャイ、

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こちらも第二次世界大戦由来ですがどうやら大型の照明施設存在、
空爆の航空機を照らすサーチライトでしょうか?。
なんどか探すも跡形も為し、
交差点名由来、
案内看板一つと云う体たらくでしたがイギリス(連合国)の空爆、
来るとしたなら当然に西(インド)から、

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航空機なら一瞬の距離ですが周辺、
対空砲火など、
備えられていたのかもまったく不明、
空爆機、
ただ照らすだけでは無意味でしょうが。笑。

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学校前からの写真ですがアーチ、
その奥の建物が現MEAです。

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発電所、
辛うじて爆撃を逃れたんでしょうが学校への誤爆、
犠牲者などの記載もありませんがちょい心配ですよね。

こちら、
爆撃を受ける前の写真でしょうか?!。

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現在、

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難儀な腹、
いつも書いてますがワットリアップへの便所飛び込み、
タイ、
便所場所把握も必須用件ですよね。笑。

トラム(路面電車)、
旧市街ルートは殆ど判明してますがやはり基本は電力、
タイ初の西洋道路チャルンクルン通り、
始まりは馬車引きであったトラムですが電化へとシフト、

電化、
ワットリアップ発電所の賜物でしょうしね。

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ちょい思い事で離脱、 どうやらnoteさん、 裏話は禁止のようですし。笑。 裏話が書けぬならフリーの表話のみ、 面白みもありませんのでプラ…

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