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夢が実現しない理由は、私ががんばってなかったからという当たり前の現実

52歳にもなって、人生に満足感が得られていません(でした)。かと言って、「自分の人生はこんなもの」という具合に妥協をするでもないので、厄介だと言えます。
人生は、ないものに目を向けるよりも、あるものに目を向ける方が幸せを感じやすいことは知っています。
たとえば、仕事があって、住むところがあるというのは、ない状態と比較すると幸せでしょう。しかし、あるものに満足できなければ、別の仕事をしたくなるし、住まいも変えたくなります。ならば、変えればいいだけの話なのですが、必ずしも、思い通りのものが手に入るとは限りません。
こうして、満足感を得られずに、閉塞感が募ります。
私の場合は、自分は努力をしていると思っていたので、閉塞感は強烈でした。その感情が自分に向くと、自己肯定感が下がるし、他人に向くと、嫉妬したり、人を見下すようになります。要は、自分を認められずに、人から見ても人間性の悪さを露呈してしまうということです。


何度も転職をする人

社会人になってから、30歳半ばまで5回転職をしました。転職の理由は、「この会社は、私の居場所ではない」というものでした。人生経験のある人は、そんなことを言っている人はどこに行っても同じと思うでしょう。忍耐力のある人は、「そんなに自分に都合のいい会社はない」と思うかもしれません。
俯瞰力のある人から見れば、変えるべきは会社ではなく、自分であると洞察するでしょう。
まったくその通りだと思います。
しかし、自分をどう変えればいいのかということがわかりません。我慢することでもないような気がしますし、あるがままを受け入れるというような達観した境地にはなれそうにありません。
長らく、自分を変えるとはどういうことなのかと考え続けた結論は、「がんばる」という概念を捨てるということでした。


私がやってきたこと

・入社1年目から営業マンとして深夜まで仕事をした
・3年目に、新天地を求めて転職(実際は逃げるようにやめた)
・2年で次に転職
・さらに深夜まで仕事をして、毎週の休日出勤
・マーケティングの勉強を始める
・1000冊の本を読む
・さらに転職
・セミナーと情報商材に100万円ほど使う
・少し成果を出し、管理職に昇格
・取締役になる
・出版
・独立
・3年で1500万円の借入
・独立10年でようやくと生活ができるレベルになる

私はそれなりにがんばってきたと思います。
社会人1年目で就職した会社は、強力な営業力で成長していました。「車とポケベル(後に携帯電話)を渡すから、個人事業主として仕事をせよ」というのが社長の口癖で、新人の私は意味がわかりませんでしたが、電話営業や飛び込み訪問を繰り返す日々でした。8時30分始業で、夜は22時前に帰ることがありませんでした。しかし、目立った成果を上げることなくギブアップします。
小さな会社に行くと、大手にいたノウハウを重宝がられます。しかし、大きな会社から転職をしてきたという態度が生意気だったのでしょう。かなり上司にしごかれます。上司は、午前は11時出勤が許されていたので、深夜まで仕事をする人でした。上司より早く帰ることは許されず、深夜までの仕事と休日出勤は当たり前でした。
経験もなく、頭がキレる方でもなかったので、場当たり的なことばかりしていました。成果など出るはずもなく、非効率な仕事で疲弊しきっていました。
そんな仕事の仕方が30歳くらいまで続きました。仕事時間は長かったので、がんばっていると思っていましたが、将来への希望がまったく見えず、絶望的な気分で毎日を過ごしていました。
仕事のコツが少しわかってきたのは、30歳の半ばでした。仕事は単にやればいいというものではないことに気づきました。
この時からビジネス書で勉強をし始めました。そこで出会ったのが「マーケティング」です。この時のマーケティングとは、自分から売りに行くのではなく、お客様から買いに来ていただくというものです。まったく考えたことがなかった発想でした。依頼、それから3年ほどの間に1000冊の本を読みました。マーケティングを学ぶと心理学につながり、健康情報や生き方論の本を読み、週末はセミナーに出かけて、情報商材なども大量に買いました。
仕事のコツがわかれば成果も出始めます。
ある会社の社長に声をかけてもらって、課長で入社します。はじめての管理職でした。それから3年で取締役になります。年収は1000万円を超えました。
この時、本を出して有名になるという方法を知り、出版社に売込みを開始します。50社ほどに連絡をして最終的に、1社から出版をすることができました。
しかし、本はまったく売れずに、私の生活に変化はありませんでした。
その頃、リーマンショックが起こり、会社の売上は激減し、役員報酬も大幅に下がりました。生活レベルを上げてしまっていたので、家計の赤字を解消するために、独立をします。ところが、思ったような売上は上がらず、金融機関から合計で1500万円の借入(実質借金)をします。
独立10年目の現在、ようやくと生活ができるレベルに達しました。


私が成し遂げたこと

・企業の取締役に就任
・年収1000万円
・3冊の本の出版
・1500万円の借入を1回もジャンプさせずに完済(7年かかりました)
・商工会議所主催に創業塾の講師
・会社の代表取締役
・顧問先の社外取締役
・医療法人の事務長
・一般財団法人の理事

並べてみると、それなりな感じはします。借入が嵩んで絶望的な時から考えれば随分と立て直したと思います。しかし、私が目指しているのは今の状態ではありません。やはり、渇望感があり、不全感につながっています。


満足感が得られない人間が何をするのか?

不全感がある人間はどんな振る舞いをするのか。
私の経験から振り返ると、常に怒りを抱えているか、自分を責め続けます。
私の場合は、怒りで、
・自分よりもがんばっていない(と私が思っている)のに成功している人を批判する
・自分よりもがんばっていない(と私が思っている)で成功している人をバカになる
結果、常に不機嫌な状態になります。そして、常に焦っている状態になるのです。


なぜ、私のお腹に脂肪が溜まっているのか?

話はそれますが、私は高校球児で、スポーツは得意な方でした。身長170センチで65キロというのがベストな体型です。20代で体重が90キロになりました。10年くらいはそのままの状態で、その後にダイエットをして体重を59キロに落としました。この時の体脂肪は10%ほどになっていました。それから20年くらい過ぎていて、現在の体重は70キロほどで体脂肪が18%ほどになっています。
この3年ほど週に4日はジムに通っています。食事にも気をつけています。
しかし、体型が変わっていません。
理由は、ダイエットに関わる作業が足りてないということです。
やっているかどうかの問題ではなく、目標達成ができるレベルのことをやっているかが大切で、私はそこに達していないのです。


原因と結果の法則

雨が降れば濡れるというように、物事には原因と結果があります。原因と結果の法則には例外がありません。つまり、雨が降って、体が乾くということはないのです。
ところが、原因と結果はワンパターンではありません。逆は真なりではないのです。体を濡らそうと思えば、雨でなくて、滝に打たれてもいいわけですし、水道の水でも濡れることがあります。
実はこれが問題なんですね。
悪い結果が出ることをやれば悪い結果が出ますが、よい結果を出す方法というのは他にも選択肢があります。
食べ過ぎているのに痩せるということはありません。私がダイエットをできずに、腹筋が割れることがないのは、痩せるような生活をしていないからです。しかし、週に4日はジムに行って、炭水化物を控える生活はしています。法則的には痩せるはずです。それでも痩せないのは、トレーニングが足りておらず、ダイエットができる食事になっていないということなのですが、私は違う感覚を持っていました。
「やっているはずなのに結果が出ない。」
この感覚が間違った努力を続けてしまう理由なのです。思う結果になっていなければ、方法論か努力が足りないということなのです。この点を認めないと、かつての私のように不全感の塊になってしまいます。


努力することとは?

深夜まで仕事をしても成果が上がっていないなら、会社員でも評価されないでしょう。
トレーニングが不足したら体が鍛えられないし、ダイエット食を食べてもビールを飲んでいたら、痩せないでしょう。
努力をしても、思うような成果がでないということは、
・大して努力をしていない
・才能がない
・努力をするポイントを間違っている

おおよそは、ポイントを間違っているということでしょう。

現在の姿は、日々の積み重ねによって作られます。毎日コツコツをやれば結果が伴うと言われます。これは間違いがないでしょう。しかし、間違った努力を続けることも、失敗に向かってコツコツとやっていることになるのです。
努力とはがんばることだけではなく、目指すゴールにたどり着く道に向かってコツコツと歩いていくということです。時々、急いで走れば疲れます。疲れた状態を努力と言いがちですが、休みながらも前に進むことも努力です。


バカな親の背中

結論を言えば、私は大人だし、親ですが、若者や子どもたちに偉そうなことは言えません。なぜなら、努力やがんばるということの本質がいまだにわかっていないからです。
努力は裏切らないとか、努力は必ず報われるなんてことは絶対に言えません。
だから、納得感のある人生を目指して、ウロウロとしている50過ぎのおっさんの姿しか見せることはできないのです。先のことばかりを考えて、今に目が向かないと、今を生きていないことになってしまいます。
バカな親はバカな背中を見せるしかないのです。かっこをつけてもかっこ悪いものはかっこ悪い。

それでも、ひとつの法則を信じていたいのです。

「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」
(「原因」と「結果」の法則 ジェームス・アレン)

人は目指す場所に行けるのです。
私の夢は叶う。


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